17 『カーラの動揺』
究極シェフのギフテッドを持ったコックがボナペティ家を訪れた、翌日のこと……。
朝から屋敷では大騒ぎだった。
最初の騒ぎでは、メイドが夜中にマーヤの部屋の様子を見に行ったら、自分で起き上がれるはずのないマーヤがベッドの上で座って、こちらを凝視していた……という。そういった怪談話から始まっていた。
そして客人として招かれているコックが、キッチンで見たこともない料理を作っているかと思えば、それをマーヤの部屋に持って行き、その料理をマーヤが平然とした様子で食べている。
これまでどんな食事も一口で吐き戻していたはずなのに、とても美味しそうに口にしている姿を見て、母エブリンは嬉しさのあまり気絶するほどだった。
当然、父ロイドも驚きを隠せずコックに詰め寄り、一体どんな魔法を使ったのか。どんな食材を使って、どんな料理を作ればマーヤが食べることができるのか。しつこいくらいに訊ねていた。
当然、本当のことを言うわけにはいかずに、コックは「伯爵からもらった食材を試してみた」と、目が高速で泳いでいる状態で嘘をつく。悪ぶって見えても、嘘は下手らしい。
屋敷中がお祭り騒ぎのようだった。誰もがマーヤの体調を心配していた、何よりの証拠である。
だがそんな喜びに満ち溢れている状況でも、それを面白く思っていない人間がいた。
姉カーラは顔色を悪くし、平静を装っていても動揺は隠しきれていない様子だ。ゆったりと紅茶をすすっているように見えて、実は口から滝のように紅茶がこぼれて、ドレスはビシャビシャになっていた。
(どういうこと? マーヤにかけられた呪いは、とても強力なもののはずよ。それが、急に食べられるようになるなんて……っ! そんなこと、あるはずがないじゃない。でないと、今までのは何だったっていうのよ)
この六年間、確かにマーヤは水以外を口にすることができなかったはずだ。
すぐそばで見ていたのだから、間違いない。
それが『究極シェフ』のギフテッドを持つコックによって、呪いが解かれたとでもいうのだろうか?
カーラが悔しそうに歯噛みしていると、異常な様子に気付いた弟ニアが話しかける。
「カーラ姉さん、ダバダバに紅茶こぼしてるけど……大丈夫?」
「えっ? えぇ、大丈夫よ? なんでもないわ? 私はいつもの通りよ?」
優雅に微笑みながらも動揺を隠し切れていないカーラに、ニアは察して声を落とした。
その表情はどこか複雑そうだ。喜んでいるのか、がっかりしているのか、判別がつかない程に。
「やっぱり腑に落ちないんだ。
実の姉であるマーヤのことを、ニアは「あれ」と呼ぶ。
ニアの中で彼女はもはや姉でもなければ、人間だとも思っていない。全てはあの日から……、ニアの中でマーヤという名の姉は死んだも同然となっている。
トラウマが彼女の存在を否定していた。
「僕だって同じ気持ちさ。今まであらゆる食材で料理して、食べさせようと試みても失敗してきたのに。究極シェフの力がどこまですごいのか知らないけど、こうもあっさり食べられるなんて……どう考えても妙だ」
ニアは鋭く聡い。そうしなければ、このボナペティ家で生き残ることが困難だった証だ。
カーラも努力で両親の関心を得ようとしていた時期があった。それでも究極シェフのギフテッドを持つマーヤを超えることは出来なかった。だから諦めた。年頃の一般的なレディとして振る舞い、生きて行くことを選んだ。
「……だから何だって言うのよ。これまでと何も変わらないじゃない。お父様とお母様が興味を持っているのは、昔からあの娘だってことくらい」
だけどそれでも許せなかった。
マーヤの命の灯火が怪しくなってきた頃合いに、ようやくほんの少しばかり自分達に関心を向けるようになってきたと、そう思っていたというのに。
その矢先に両親は希望を捨てきれず、美食家の伯爵に請い願い、そして遣わされた究極シェフのコック。
だからといってマーヤにかけた呪いが断ち切れるだなんて、カーラは思っていなかった。
「解せないわ。どうして急に食べられるようになったの?」
思い返してみる。そういえば最初、両親が用意した世界各国のあらゆる食材を使った料理は、全て口にしなかったと言ってたはずだ。少なくともカーラはそう聞いていた。
ふとニアに訊ねる。そういえばニアはあの時、用意されていた食材をチェックしに行ったはずだ。
「ねぇ、キッチンにあった食材は全部アレバルニア産だったのよね?」
突然の問いにニアは、怪訝な表情になりつつぶっきらぼうに答えた。
後になって気になる位なら、あの時一緒に見に行けばよかったのにと不満げだ。
「そうだよ、よくあんなに集めたものだって感心する程にね」
「じゃあ今あの娘が口にしてる食材も、昨日あった食材と一緒?」
「知らないよ、あれからチェックなんてしてないし」
だんだんとイライラが募ってきた。人に聞く位なら自分で確かめればいいのに。
思えばカーラはいつもそうだ。何でもかんでも他人を当てにする。自分で動けばそれで済むはずなのに、いつも自分では動こうとせず、ああしろこうしろと他人にさせてばかり。
挙げ句にその結果までいちいち訊ねてくるのだ。うるさいったらありゃしない、とニアは常々思っていた。
しかしそんな不満を、彼が口にすることはない。
今では
やがてカーラは爪を噛む。彼女が無意識にこの行為をする時は、相当にストレスが溜まっている時だ。
そして何か悪巧みをしている時の……。
姉の癖を心得ていたニアは、一応カーラが問題を起こしてしまう前に訊ねる。
「妙なことして、僕にまで迷惑かけないでよね」
「何ですって? 私がいつあんたに」
「ほら、早く着替えたら? この後、子爵令嬢のお屋敷でお茶会するんでしょ」
かぁっと頬を紅潮させながら、カーラはテーブルをバンっと手で叩きつけて怒りをぶつける。
そんな癇癪も見飽きてるニアは涼しげに紅茶を啜っていた。驚いていたのはメイドだ。ご令嬢が突然怒り出したので、何か粗相をしてしまったのかと慌てふためく。
「何でもないから、出掛ける準備を」
「かしこまりました、カーラお嬢様!」
カーラは外面だけはいい。
それが例えボナペティ家の中でも例外ではない。
使用人に横暴な振る舞いをして、評判が地に落ちた令嬢はたくさん見てきている。
カーラがその本性を露わにして当たるのはニアと、ベッドで伏せっている双子の妹相手の時だけだ。
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