1−14 『アールグレイのミルクティー』

 翌朝、諏訪部は申し訳ない気持ちを胸にマーヤの元へ訪れる。

 もうコソコソ人目を気にして屋敷に行く必要はなくなった。堂々とした理由が出来たからだ。

 マーヤの今日1日の予定はあらかじめ聞いていたので、食事中や勉強中などを避けた時間帯で顔を出そうと思っていた。徒歩でボナペティ邸に到着すると、庭師と挨拶。それから仕事中の使用人などから声をかけられ、笑顔で会釈。

 笑顔は得意だったので、人好きするような愛想を振りまくと若い女中などは「きゃー」と黄色い声を上げて機嫌良く手を振ってくるものだから、さすがの諏訪部も少々戸惑ってしまう。

 そんなことを何度か繰り返しつつ、表玄関でドアノックを叩いてドアが開くのを待つ。少しの間にこの屋敷を取り仕切っている執事らしき初老の男性が出迎え、要件を伝えるとすぐに通してくれた。

 ロイド・ボナペティから話が通っているので、執事はすぐさま「スワべ様でございますね。どうぞ」と軽いお辞儀をして迎えてくれる。受け入れてもらった状態で入れてもらうことが、こんなにも心軽やかなものなのかという思いで諏訪部もまたいつもの営業スマイルを顔面に貼り付けて中に入る。

 広々とした玄関口、見渡すと複数人の女中がそれぞれの仕事をして歩き回っているのが目に入った。朝は特に忙しいのか、一人一人に挨拶して回るのも仕事の邪魔をしているようで気が引けた諏訪部は、目が合った時にだけ笑顔で会釈というルールを守りながらマーヤの部屋へと急ぐ。


 ***


「本っ当に申し訳ないです!」


 軽い挨拶の後、諏訪部は深々と頭を下げてマーヤに謝罪をした。

 マーヤはキョトンとしたままベッドの上で諏訪部を見上げる。


「私が不甲斐ないばかりに、マーヤさんのいないところで勝手に話を進めてしまって本当にすみませんでした」

「あの、でもそれはスワべさんが悪いわけじゃ……」


 愛らしいウィスパーボイスが諏訪部を擁護する。

 しかしそれでも頭を下げたまま謝罪を続ける諏訪部。


「それにマーヤさんを始め、ご両親に対しても食材の提供に関して騙したような形になってしまいました。事情があるとはいえ、もっと配慮すべきだったところなのに。そのせいでマーヤさんがグロモント伯爵サイドでの食堂経営を勝手に約束する形になってしまって。マーヤさんの将来はマーヤさん自身が選択すべきところなのに、そういったことも度外視したような結果になってしまったこと、深くお詫びいたします」

「あの、スワべさん……」

「私がもっとしっかりしていればーー」

「聞けっつーの」


 突然の来訪者に尻を蹴られ、諏訪部はそのまま前のめりに体勢を崩したかと思うと、不覚にもマーヤのベッドに突っ伏してしまった。「きゃっ!」と短い悲鳴を上げるマーヤ、何が起きたか理解する前に飛び上がるようにベッドから起きて、その勢いのままに今度は床に尻餅をついてしまう。

 見上げるとすぐ目の前に呆れ返った表情をしたコックが、ピッチャーを持って立っていた。


「コックさん!? 蹴るのは酷くないですか!?」

「あんたが人の話を全然聞かないからだろ」

「あの、あのっ、私は別に気にしてませんので……っ!」


 コックの喝によって一方的な謝罪会見が終わりを告げ、ようやく落ち着きを取り戻した諏訪部は勧められた椅子に座り項垂れる。

 コックが淹れた紅茶はアールグレイ、これは本場イギリス製の茶葉だ。ハーブとして有名なベルガモットという柑橘系の香りを付けたフレーバーは、飲む者の気持ちを落ち着かせる効果があるという。ベルガモットの香りを存分に楽しむにはホットで飲むのが一番だが、アイスティーにしてもその香りが失われることはない。コックはマーヤの体調を鑑みて、飲み物は大体ホットで淹れることが多いのでホットミルクティーで出した。本場イギリスでも、アールグレイといえばミルクティーと言われるほど、その味と香りは極上のものである。


 カップを持って、まずは香りを楽しむマーヤ。

 柑橘系の爽やかな香りで思わず顔が綻んでしまう。ふぅっと息を吹きかけることも、もはや一人前である。それからゆっくりと口を付けて、こくりと紅茶を飲んだ。

 諏訪部もカップを受け取り、ほぼマーヤと同じ仕草をする。本来はマーヤの心を落ち着かせる為にと仕入れた茶葉だ。それがまさか、自分の気持ちを落ち着かせる為に飲む日が来るとは思っていなかった。ーー美味しい。


「さっきのお話だけど、元々異世界のチキュウから仕入れていることは黙っておく約束だったし。むしろお父さんとお母さんが、そんな話をスワべさんやコックさんにしていたなんて、そっちの方に驚いたというか……。ごめんなさい」

「いえ、それに関してはこちらの手回しが不足していたことです。マーヤさんが謝る必要は全くないんですよ」


 いつもの笑顔で「マーヤに非はない」と弁明する諏訪部。

 それでも一人で抱え込んで、責任を背負おうとしている諏訪部のことが心配なマーヤは、自分は全然平気であることを諏訪部にちゃんと伝えなければと必死になる。

 ああ言えばこう言う。互いが互いを庇って収拾つかなくなってきたところで、コックが口を挟んだ。


「あーあー、いつまでもじゃれ合ってんじゃねぇっつーの。見てるこっちが恥ずかしいわ」

『じゃれ合ってません!』


 二人の声が重なる。綺麗にハモった二人は気まずそうに目と目を合わせたが、マーヤの方は頬を少し赤らめてパッと諏訪部から目を逸らしてしまう。それをしっかり見届けたコックは、話を締め括った。この話題はもう飽きたと言わんばかりに。


「ともかく、これまでの食材提供費は伯爵への借金。その借金返済の為に、伯爵名義のレストランを経営してもらう。レストラン経営する為には、まず人並みに健康にならなきゃならねぇ。健康になるには食事療法と運動。やることははっきりしてんだから、あれこれとこねくり回して考えてんじゃねぇっつーの。わかったかよ、お二人さん」


 有無も言わさない勢いでキッパリと言い切ったコックの言葉に、二人とも「はい」と小さく頷いた。ひとまずこれで納得し、残りの紅茶を啜っていく。

 それからしばらく今後の食事内容に関することや、マーヤの予定をメモすると諏訪部は席を外すことにした。

 諏訪部もまた、マーヤの体調を慮った食材の選別やレシピの打ち合わせをコックとしなければいけない。何より、休憩を終えたマーヤは今から運動療法の為に、地球でいうところの理学療法士とマンツーマンの訓練があるからだ。

 また来ます、とだけ言い残して諏訪部とコックはマーヤと一旦別れる。

 部屋に一人残ったマーヤは、運動する為のラフな格好に着替える準備を始めた。この部屋は風通しがいいので、開け放していた窓とカーテンを一旦閉める。全身鏡の前でネグリジェを脱いで、自分の体をまじまじと見つめた。

 手足はまだ細い。細すぎる位に。鎖骨と肋骨の存在感もしっかり確認出来る程に浮き出ている。これが自分の体なのかと思うと、少し怖く感じた。ガリガリに痩せ細った体は、これでもだいぶ肉が付いた方だ。

 それでもまだ自分が他人様に見せられるような、綺麗な体ではないことを痛感する。

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