1−13 『交渉』

 諏訪部は唖然とした。と、同時に思考が停止して頭の中が真っ白になる。


 ナンデ上司ガ、ココニ?

 ドウシテ?


「な、なんだね君は。おい、こちらのマダムは?」


 諏訪部ほどではないが慌てるロイド、咄嗟に榊原を制止しようとしているメイドに向かって問いただす。

 すると榊原玲子の後方に立っている恰幅の良い紳士の姿を目にしたコックが、さっきまでグビグビ飲んでいたセンブリ茶をブーっと噴水のように吐き出した。


「は、伯爵???」

「やぁ、久しぶりじゃないか。元気にやってそうだね、ボーイ」


 ひらりと優雅に片手を振って、コックに満面の笑みを見せる紳士は、これまでの話題に何度も出てきたグロモント伯爵その人だ。

 ここアレバルニアでも名高い美食家、食を追及し過ぎて美味から珍味まで幅広く食すグルメ伯爵。


「グ、グロモント伯爵……!? お、お久しぶりでございます」

「あの、遠路はるばるこんな所まで……っ、一体全体……?」


 身分的立場から圧倒的に上である伯爵に対し、夫妻は急いで立ち上がり緊張気味に会釈する。

 そう、元々はグロモント伯爵がコックを遣わした。

 ボナペティ夫妻の懇願する姿に目にし、娘の状況に耳を傾け、世界でも三人しかいないとされている『究極シェフ』のギフテッドを持つボリソヴィチ・オフチェンコフこと、通称コックをボナペティ家に送った張本人。

 マーヤ救済の為に、グロモント伯爵は動いてくれていたのだ。本来ならば秘匿としなければいけない「異世界物流センター食品卸売市場」との専属契約があるにも関わらず、伯爵はたった一人の憐れな少女を救う為に「彼女」と打ち合わせをしていた。


 貴婦人の衣装に身を包んだ榊原玲子は、異世界アレバルニアに実在するマダムそのもの。

 ひと睨みで人間一人を射殺せそうな目ヂカラさえ除けば、貴族夫人と呼ばれても不思議じゃない出立ちである。

 腰に手を当て、大きな胸がより一層際立つほどに胸を張り、威風堂々とした態度で諏訪部を睨みつけながら答えた。


「突然の訪問、失礼致します。私の部下の不甲斐なさにいても立ってもいられず、こちらのグロモント伯爵に頼み込んで伺わせてもらいました。私、レイコ・サカキバラと申します。遥か東国にございますジパングという、地図にも載らない小さな島国からやって参りました」


 聞き覚えのない国名に首を傾げ、互いに顔を見合わせる夫妻。

 デタラメだと理解しているからこそ、開いた口が塞がらない諏訪部の間抜けな表情。

 それでも榊原は何食わぬ顔で堂々と、嘘偽りないという顔で淡々と嘘をついていく。


「我が国は鎖国、つまり外交などを一切しない主義を貫いておりまして。しかし新たな世代の中から、我が国ジパング独特の食材や料理の数々を他国にも共有出来ないものか……。商売という路線から、他国と交流出来ないものかと考える者が増えましてね。その足掛かり、手始めとして独特の文化より生まれた食材を、こちらのグロモント伯爵にまず提供し、少しずつ流通していこうかという段階を踏んでいる最中なのです」


 スラスラと流れるように出てくる嘘に、グロモント伯爵も意気揚々と乗っかっていく。

 こちらは正真正銘、どこからどう見ても貴族という風体だ。

 クルクルと綺麗にカールされた白髪は、地球でいうところの音楽家モーツァルトを思わせる髪型だ。

 加えて見事な口髭、これまで良い食材を口にしてきたであろう血色の良い肌は、年齢を感じさせないほどツヤツヤとしている。体型は中年太りを通り越して、まるでビア樽かダルマを連想させるような丸いフォルム。

 しかしそれでも、貴族紳士としての気品は全く失われていない。

 グロモント伯爵の朗らかそうな笑みが、そうさせるのだろう。

 そんな二人を前にして、丁重にもてなさないわけにはいかなくなったボナペティ夫妻は「立ち話もなんですから、どうぞお座りください」と言って、突然の訪問客を迎え入れた。

 ピリッと張り詰めた空気の中でメイドが二人にお茶を出し、ほぼ同時にカップに口を付ける。

 喉を潤した直後、先に口を開いたのはグロモント伯爵だった。


「ボナペティ夫妻、私との約束をお忘れかな? こちらがご提供する料理や食材に関して、一切関与しないと約束する。それを守るならば、私のお気に入りであるボーイをお貸しする……と言ったはずだがね?」


 優しそうな微笑み、人畜無害そうな笑顔の裏に、言い知れぬ圧があった。

 夫妻はしどろもどろになりながら弁明する。


「いえ、でも……そうですけれどっ! ですが伯爵、私達は娘可愛さにですね? 命が懸かっているんですのよ? 気にならない方がどうかしてると思いませんか?」

「やめないか、エブリン。伯爵のおっしゃる通りだ。約束を違えることは、貴族の恥……。仮にもマーヤがここまで回復するに至ったのも、こちらにいらっしゃる方々のご協力があってこそ。私達が不躾だったようだ」

(お? なんか急に素直になったな……)


 諏訪部は訝しんだが、理由は榊原とグロモント伯爵の圧力によるものだとすぐに理解する。

 ロイドが言ったようにマーヤが回復したのは、伯爵の采配があってこそ。そんな彼との約束を反故にしてしまっては、恩知らずな貴族というレッテルを貼られてしまう。

 そうすると信用第一である飲食関係の仕事が破綻してしまいかねない。

 経営者というのはそういうものだ。少なくとも営業マンである諏訪部はそう思っている。

 それにしてはあまりに潔すぎる、と思うところもあるが。このようにあっさり引き下がってもらった方が、諏訪部としても有難いので、とりあえず黙っておくことにする。

 後は上司である榊原の説教が待っているだけだと思うと、諏訪部の胃がキリキリしてきた。

 存外ロイドが引き際をわかっていたので、伯爵は「ふむ」と口髭を片手で触りながら榊原に提案する。


「どうかね、マダム。今までは私との契約の元でガールに食材を提供して来たが、取引先を拡大するという意味も含めてだ。これからはガールとも契約してみたらどうだろうか?」


 伯爵の鶴の一声に、夫妻の顔色が変わった。

 同時に諏訪部の顔色も変わる。現状、諏訪部は「マーヤを契約者」として食材を提供している。

 しかしそれはボナペティ夫妻の知らぬところでの話。夫妻に対しては「グロモント伯爵の計らいで仕入れた食材」という名目で、地球産の食材を提供していることになっているのだ。

 だから今伯爵が言ったことは、現状何も変わらないのと一緒である。内密にしていたことを、ただ大っぴらにするだけのことだ。諏訪部としては隠し事をする必要が無くなるので、本来なら願ったり叶ったりの展開になるはずなのだが。


「あの、ちょっと待ってください!」


 咄嗟に立ち上がった諏訪部の突然の大声に、全員が一斉に注目した。

 たじ……となる諏訪部だが、彼の声はとても良く通るのでこうなるのは当然。それでも注目されると、つい怖気付いてしまう。


「なんだ、言ってみろ」と、榊原は目を細め威圧する。

「何か不満かね、ミスター?」伯爵は柔和な笑みで聞き返す。


「いや、あの……。不満というわけではないのですが」


 そう言ってから、深呼吸をして心を落ち着かせながら、自分の考えを告げる。

 考えというよりも、これはむしろ諏訪部自身の、営業マンとしてではなく一人の人間としての意見だ。


「私が口出すようなことじゃないとわかっています。ですがマーヤさんはまだ回復途中であって、体調が万全ではありません。今の伯爵のお話だと、契約主をマーヤさんにするのだということになりますよね。つまり保護者であるボナペティ夫妻ではなく、マーヤさん個人との取引……という形に聞こえました」

「そう言ったつもりだがね?」


 諏訪部は手足を揃え、失礼のないよう伯爵に向き合い進言する。

 長く取引している間柄とはいえ、相手はこの国の大貴族。無礼を働くわけにはいかない。


「失礼ながら申し上げます。マーヤさんは長い眠りから覚めたばかりで、今やっと……。ようやく自分の足で立って歩くことが出来たばかりなんです。これまでの人生経験も、他人とのコミュニケーション能力も、彼女は他の同い年の女の子より様々な経験が圧倒的に不足しています。そんな自分のことで精一杯の彼女に、今度は取引という大掛かりな仕事を一任させるのは、大きな負担になると……私は考えているのですが」

「つまり、マーヤ嬢を契約主にすることは反対だと?」


 実際には何も変わらない。これまでと何一つ変わることはないのだが、それでも諏訪部は心配だった。

 やっと自分一人の力で起き上がれるようになったマーヤ。

 自分でスプーンやフォークを使って食事が出来るようになった。

 自分で立ち上がり、歩けるようになった。

 数年間、ベッドの上で眠り続けていた少女が、ようやく人間らしい生活を取り戻そうとしている。


「そういうわけではありません。ただ……マーヤさんが眠っていた時間は私達が思っている以上に……、想像を絶するほどに長いものです。マーヤさんは世界から取り残された状態で生きてきました。肉体の健康面だけじゃありません、マーヤさんには失った時間を取り戻す為にたくさん学んで、取り戻さないといけないことがあるんです。そんな時に小難しい取引の話をしていいものかどうか……」


 今もなおマーヤが契約主なのだが、主に取り仕切っているのはここにいる諏訪部とコックが代わりにやっている。

 当初はマーヤ自身がろくに話も出来ないような状態だったので、致し方ないとわかっていた。

 しかしここから先「マーヤが決める」となると、色々と説明しなければいけない。


 ーーそれで本当にいいのだろうか。


 諏訪部は、マーヤが淹れてくれたお茶の味を思い出す。

 か細い手で、自分の為にお茶を淹れてくれた少女。

 茶菓子を用意して待ってくれていた。

 ついこの間まで、今にも死にそうな状態で、助けを求めるマーヤの姿を思い出す。

 出来ることならマーヤには、自分自身のことだけを考えて欲しい。

 諏訪部は自分の思い上がりかもしれないとわかっていても、口を挟まずにはいられなかった。


「何言ってんだ、お前?」


 部下の思い切った発言を耳にした榊原は、呆れ果てたような表情で突っ込んだ。

 そこに共感も、同情も、何もない。ただひたすらに「なんだこいつ」という感情しか含まれていない。

 自分の気持ちを蔑ろにされたと思った諏訪部は、ショックを受けて固まっていた。職場ではよくある光景だ。


「え、部長? え?」

「お前の言い分なんてどうでもいい。こちらはすでに決定事項だ、バカもん」


 にべもなく言い放つ榊原を制するように、伯爵が跡を継いだ。


「ミスター、すまないね。この提案をボナペティ夫妻が受け入れなかった場合、ガールへの食材提供はその瞬間から断つつもりでいたのだよ」

「どうしてですか!? まだ十六歳の女の子なんですよ!」


 そう反論して、伯爵の隣に鎮座している部長の鬼のような形相を目にした諏訪部は口をつぐむ。

 これ以上はいけない。本能で察した。

 しかし榊原の心境に気付いていない夫妻には関係なかったようで、伯爵の言葉に諏訪部以上に身を乗り出して反論してきたのはロイドだ。


「一体何の話をしているんです! どんな条件かは知りませんが、それを断ればマーヤに食べ物を与えないとあなたはおっしゃるんですか!? あなた方はマーヤを見殺しにすると!?」

「落ち着いてください、ボナペティ氏。私達は別にあなたのお嬢さんを無下に扱おうなどと思ってはいません。むしろ逆です」

「ど、どういうことですの? はっきりおっしゃってください!」


 榊原と伯爵が目配せして、それから告げた。


「ガールは料理人最高峰のギフテッドである『究極シェフ』を授かっているそうですな?」

「えぇ、その通りです。その為にマーヤには私達が経営しているレストランを引き継がせたいと考えていました」

「でも原因不明の摂食障害のせいで、それどころじゃありませんでしたけど。それが何か?」


 夫妻はこれまでの年月を思い出しながら、表情に翳りを見せる。

 それを慮ってか、伯爵は優しげにうんうんと頷きながら、言葉を続けた。


「こちらのウィスタリス支部責任者であるマダムとも話したのですが、私達はガールの才能ーーギフテッドに興味があってね。ジパングの食材は訳あって大量生産不可能で、誰彼構わず取引を行うことが出来ずにいたのだよ。ジパング産の食材を調理出来る人材も不足している。そこで、だ。作るもの全て美味にしてしまう『究極シェフ』のギフテッドを活かして、近い将来ガールにレストランのシェフとして働いてもらいたいと思っているのだよ」

『えぇっ!?』


 大きな声を出して驚いたのは夫妻や諏訪部、だけでなくコックも声を張り上げていた。

 それまでは我関せずといった風に会話に参加していなかったコックだったが、そこだけはちゃんと聞いていた様子だ。

 

「そ、それじゃあ私達の経営するレストランでも構わないのでは?」

「ダメです。これまでお嬢さんに提供してきた食材は、こちらのグロモント伯爵が立て替えてくださっている。つまりこれまでの食材や料理提供費は全て善意ではなく、れっきとした借金として計上しているんです」

「なっ!? そんな話……、私達は聞いて」

「ないでしょうな。話す前に『伯爵に全てお任せします』と言って帰ってしまったんだからね」


(詐欺じゃないですかそれ……)


 余計な口出しが出来ない諏訪部は、思わず心の中でツッコむ。

 普通なら詐欺と捉えてもおかしくないが、愛する娘の命が懸かっていると思ったら夫妻は何も言えないのだろう。現に地球産の食材をマーヤは口に出来ているし、回復もしている。完全な詐欺とは言い難い。


「何も売上の全てを借金返済に充てろ、とは言わないよ。その辺はガールに任せるし、こちらも期限を設けたりはしない。私はね、色んな料理を食べたいだけなのだよ。『究極シェフ』が作るジパング産の料理、想像しただけでお腹の虫がオーケストラを奏でそうだ」


 幸せそうに微笑む伯爵は、またお茶を啜る。

 ボナペティ家自慢の紅茶は、どうやら美食家である伯爵の舌を満足させたようだ。


「……諏訪部の言うことも一理あります。ですので、今の話はお嬢さんが人間らしい健康な肉体を取り戻してから。それまではこちらも出世払いという名目で、食材を提供し続けるとお約束いたしましょう」


 地球産の食材が無ければ、マーヤは水以外に飲食することが出来ずに死を待つだけ。

 ボナペティ夫妻に、他に選択肢はなかった。

 項垂れるように沈んだ表情で、夫妻は二つ返事をする。

 マーヤの食材を確保出来たことへの喜びより、自分達が経営するレストランをマーヤに継がせることが出来なくなったというショックの方が大きい様子だ。


 そんな光景を一部始終見届けた諏訪部とコックは、二人とも言葉を交わさずとも同じことを考えていた。


(やり口が詐欺師のそれ!)

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