1−12 『ボナペティ夫妻とのお茶会』

 どうしてこうなった。

 いや、こうなることはわかっていたはず。そう、いわばこれは必然。

 

 客人を丁重にもてなす為だけに用意されたリビングに、諏訪部は緊張した面持ちで椅子に座っていた。

 営業マンらしく背筋はピンとまっすぐに、足は開いて座ることなく、両手は膝の上に。これから重役との面接でも始まるのかという緊張感を持って、諏訪部は隣で日本から仕入れたセンブリ茶を啜っているコックを横目で見やる。


(ちょっと、コックさん! 呑気にお茶なんて啜ってないで! ボナペティ夫妻が俺に何の用事があって呼んだのか、本当に何も聞いてないんですか!?)

「あぁ、なーんも。俺がいつものようにおかゆ作って部屋に持って行こうとしたら、急に声を掛けてきてさ。食材を提供している人物にぜひ会いたいっつーもんだから、下手に濁すのも変だろ? だからオッケーしたんだよ」


 平然と普段の声量で話すコックに、諏訪部は周囲を気にしながら人差し指を口の前に当てて静かにして欲しいことを伝える。しかしデリカシーの欠けたコックに、そういった気遣いを要求するのは徒労に終わるだけだということを、実は諏訪部もわかっていたことだ。

 はぁ、と小さくため息をついてから考えをまとめる。


 もしボナペティ夫妻から、食材の出所を聞かれたら「辺境にある一部の地域で生産されている食材」と答えるようにしていること。

 食材の取引を要求してきたら、グロモント伯爵との専属契約を交わしているので不可能であること。

 諏訪部の身分を聞かれたら、食材を生産している土地の出身者であること。


 あらかたこういったシナリオで答える手筈になっている。

 これは営業部の部長とも打ち合わせ済みだ。しかし本来なら事前に面会の約束を取り付けた上で、上司である榊原も同席して諏訪部のフォローに当たる……という計画で実行するはずだった。

 こうも急な展開にはどうしても対応出来ない。いや、正確には「対応出来る」案件だ。しかしシナリオ上、食材は遠い辺境の地で生産していることにしているのだから、急な面会を取り付けられたはずなのにすぐさま諏訪部の上司が駆けつけることが出来る、という状況はどうあがいても不自然になる。

 もちろん「上司と諏訪部の二人で、ここウィスタリスに来ている」ということにすることだって出来るはずだ。だがそういうことにしてしまえば、榊原といつでもアポが取れることになってしまう。そうなると上司の時間を割いてしまうことになりかねない。

 アレバルニアでの仕事は諏訪部に任されている。ボナペティ夫妻の一声で、上司を地球からこの異世界まで何度も往復させるわけにはいかなかった。そうするとコストがかかるし、何より上司からお小言をいただく羽目になりかねない。それだけは諏訪部はどうしても避けたかった。何より、本気で、心の底から。


(おっかないからなぁ、部長は……。それにここでのことは、自分で何とかしたいし……)


 渋い顔をしながら腕組みをしていると、両開きのドアが開いてメイドがお辞儀をしながら入って来た。

 メイドの後ろには明らかにただ者ではない雰囲気を持った男女が、凛々しくも堂々とした態度で立っている。男性の方は鋭い眼光をしているが、甘いマスクのおかげで絶妙なバランスを保っている紳士だ。

 女性の方は凛とした気高さを持った佇まいが、その美しさと厳しさの両方を併せ持ったような雰囲気を漂わせている。どちらも美男美女の夫婦であるが、どこか油断ならないオーラを放っていた。

 いくつものレストラン経営を成功させているビジネスマン、といった風だ。

 諏訪部は椅子から立ち上がり、45度の角度でお辞儀をすると声量にだけは自信のあるハキハキとした口調で自己紹介をした。


「どうも初めまして、ボナペティご夫妻。私はグロモント伯爵の依頼により、ご夫妻のお嬢様であるマーヤさんに食材を提供させていただいているスワべという者でございます。この度はご挨拶が遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。グロモント伯爵のご意向で、食材提供者は無闇に表に出ないで欲しいとのことで、こちらにいらっしゃいますオフチェンコフ氏を筆頭に、卸売りなどを担当させていただいております」


 少し固かったか、と思いながら諏訪部は背筋を伝う冷や汗を感じながら、引き攣った表情が夫妻に悟られないように微妙な加減で顔を下に向ける。

 どういった反応が返ってくるのかハラハラしていた諏訪部に対し、マーヤの父親であるロイドが談笑でもしているかのような朗らかな声音で答えた。


「ははは、そう緊張しないでください。私達はあなた方のおかげで娘の命を救うことが出来たんです。もっと気楽にいきましょう」

「そうですわ、いわばあなた方は娘の命の恩人。さぁさ、立ち話もなんですからお座りになって。ボナペティグループで一番人気のお茶とお菓子でも食べながら、楽しくお話ししたいですわ」


 随分と和やかな雰囲気であるが、諏訪部の緊張は治らない。ひとまず営業で培った営業スマイルを浮かべながら、再び着席する。

 営業という仕事をしていると、自然と身につく。ーー人の顔色、声の特徴、醸し出される雰囲気から。


(まるで肉食獣にずっと狙われてるみたいだな……)


 夫妻はフレンドリーに接しているつもりらしいが、時折見せる鋭い眼差し。諏訪部の髪の先から手の動きに至るまで、全てをじっくり観察でもしているような。少しでも変な動きを見せれば、そこから一気に喉笛を噛み切られるようなピリピリとした殺気のようなものを、諏訪部は夫妻の仕草などで感じ取っていた。

 警戒心を解かないように、しかし打ち解けたような表情で接する諏訪部とは裏腹に……。コックはよほどセンブリ茶が気に入ったのか、ピッチャーに大量に作って何度もおかわりをしている。

 こんな時にどれだけ飲むんだ、と心の中で突っ込まずにはいられない。そんな諏訪部をよそに、夫妻はメイドが持ってきたご自慢のお茶と茶菓子を口にする。まさかのおやつタイムが始まった。


「どうぞ、ウィスタリスの畑で摘んだ茶葉で出来た紅茶ですわ。風味が豊かで、素朴ながらもどこか気品を感じさせるほのかな苦味が売りですのよ。こっちはうちのコックが腕によりをかけて作った焼き菓子でして、ドライフルーツをふんだんに練り込んだパウンドケーキがこの辺りでは大人気でしてね」

「なるほど、色合いも食欲をそそられます。それでは失礼ながら、いただきます」


 お茶は確かに紅茶の味をしている。紅茶の種類に詳しくない諏訪部は思わず、コンビニで買って飲んだことがあるなぁ程度でしか美味しさがわからなかった。焼き菓子に至ってもそう、ケーキ屋さんで食べるようなちゃんとした焼き菓子だなぁ位にしかわからない。

 味オンチというわけでも、貧乏舌というわけでもない。ただ普通に、美味しいものは美味しい、位の感想しか出て来なかった。

 レストラン経営をしているのだから、きっと味にはうるさいはず。グルメ家で、妥協を許さない気質をしていそうだと思っていた諏訪部は、ひたすらピンチに立たされているような感覚に陥っていた。


(た、助けて……っ! 誰か! せめてグルメに詳しい伯爵とか!)


 横目で珍味好きのコックに助けを求めるが、すぐに諦めた。

 ここはさっさと要件を聞き出して、すぐさまお暇する方がいいかもしれない。そう思った矢先だ。


「ところでスワべさん、といったかな。マーヤが口にしている食材についてなんだが……」


 ついに父親が本題について語り出した、と諏訪部は構えた。

 笑顔を崩さない努力をしていたが、緊張感は消え失せない。


「彼ーーコックに聞いても、マーヤに聞いても、誰も詳しく教えてくれなくてね。私達にとって娘は宝物同然だ、そんな娘が毎食口にしている食材に関して、保護者である私達が詳細を一切知らない……というのは、かなり問題があると思わないかい?」


 朗らかな笑顔から一変、射るような視線で諏訪部を見据える。

 両手を組んで口元を隠すその姿は、まるで高度な騙し合いのゲームをしているようだ。


「仮にも私達は食材、料理に関するスペシャリストと言ってもいい。私はこの世界に存在する全ての調味料を網羅し、それを寸分の狂いなく計量することが出来る『調味』のギフテッドを持っている。そして妻はあらゆる食材を使って様々なレシピを考案する『料理考案』のギフテッドで、料理研究家として活躍してもらっている」


 ギフテッド、その言葉を聞いて諏訪部はアレバルニアについてのガイドブックで読んだことを思い出す。

 この世界では全ての人間にギフテッドとして、特殊なスキルを必ずひとつ持って生まれて来る。それはその人の個性、将来の指針ともなる程に重要視されていることも書かれていた。

 父ロイドの持つ『調味』と、母エブリンの持つ『料理考案』というギフテッドで、これまでの事業を次々と成功に導いたというわけだ。

 この二人の持つギフテッドのジャンルからして、確かに料理に関して……レストラン経営には打ってつけの才能と言えるだろう。


「だからこそ非常に興味深い。そんな私達だからこそ、娘が食べることが出来る食材が一体何なのか。それを知る権利があると、そう思わないかい?」

「そう、ですね……。大切な娘さんのことですから、保護者としては当然です」

(おいおい、流されてどうすんだよ)


 思わずコックは独り言を呟いた。呆れた表情で諏訪部を見る。実に情けない表情だった。

 改めて思う。諏訪部は情に流されやすい、と。


「私達は別に、あなた方がしてくれていることに文句を言いたいわけじゃないんだ。妻が言ったように、二人は娘の命の恩人だ。ここは穏便に話し合いたいと思っている。ただ、娘が唯一食べることが出来る食材。それが一体どこでどう生産されているのか。それを知りたいだけなんだ」

「で、ですからそれは……。グロモント伯爵との専属契約がありまして……」

「スワべさん! 私達は娘の今後を思って聞いているんです! 食材の提供が無ければ、娘はまた……っ! 水以外食べられないことになるんですのよ! 私、もうマーヤのあんな姿を見るのは……耐えられませんの! お願いします、娘の為を思って言ってるんです! スワべさん!」

「うぅ……っ」

「スワべさん!」


 ジリジリと鬼気迫る思いで詰め寄って来る夫妻に、諏訪部の営業スマイルが崩されようとしたその時だった。

 バァンと両開きのドアが勢いよく開かれて、その音で室内にいた全員が飛び上がる程に驚く。

 ドアの方を見ると、メイドが慌てて制止しようとする人物を見て諏訪部は「あっ」と声を上げた。

 オレンジ色のウェーブがかったロングヘアをたなびかせ、颯爽と登場した女性ーー榊原玲子、諏訪部の上司だ。

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