1−10 『それぞれの近況』

 町外れ、周囲は何もない。

 隣人の家まで徒歩でおよそ三十分といった、そんな外れだった。異世界物流センターの仕事が早いと言うべきか、上司の手回しが迅速と言うべきか。

 木造一軒家二階建て、一人で住むには大きすぎる位だが。一階部分は恐らく店舗となるだろう。つまり自分のプライベート部分は二階のみ、だと諏訪部は察する。

 今も地球から派遣されてきた男と、この世界の者であろう大工が会話をしていた。

 大きめのリュックだけ背負ってやって来た諏訪部の存在に気付き、声をかけてくる。


「やぁ、諏訪部さん。自分は人事部の小林と申します。こちらはウィスタリスで、主に建築業に携わっているガムルさんです」

「初めまして、諏訪部と申します。俺が住む予定の家の修繕作業をしてくださってるということですが……」


 異世界物流センターの人事部は一際大きな部門であり、その分人も多い。それだけ扱う内容が数多く、異世界の移住に関する諸々のことも全てこの人事部が取り仕切っていた。

 異世界である地球から来た人間だと悟られないよう、この世界の人間になりきって移住手続きをする。そこにどんな言葉マジックがあるのか、相手の人間は快く引き受けてくれることがほとんどだ。

 今回も諏訪部が住む家が少々古いということもあり、その修繕をこの町の大工に依頼して、ようやくその作業全てが終わった。諏訪部の移住が決まってからすぐに手続きをし、修繕手配をしたので諏訪部が宿屋で修繕作業を待っている日数は五日程で済んでいる。

 ある程度の改修も行ったらしい。諏訪部はようやく手荷物を持って、これから住む我が家と対面……というわけだ。諏訪部の他の荷物はすでに二階に運ばれているらしい。ダンボール箱が二つ。それも異世界アレバルニアにあっても不思議ではないものを選別しなければいけなかったので、当然家電などは持って来ることが出来ない。

 雑貨類、家具なども異世界アレバルニアの手引書を見ながら選別したので、元々物が少ない諏訪部の私物は更に少なくなっていた。


 小林とガムルに案内されて中に入ると、やはり一階は店舗部分となっていた。カウンター、商品棚、客用の椅子など。まだ商品や飾り付けなどが一切ないので、綺麗さっぱりとなっているが、ぱっと見ではしっかりとした「お店」という雰囲気を醸し出している。

 トイレは一階、カウンターの奥にはキッチンがあった。それもかなり広めのキッチンで、まるで食堂でも開くのかという作りになっている。これにはさすがに疑問を感じた諏訪部が二人に訊ねると、依頼内容に食い違いがあったことを認めた。


「いやぁ、食品関係を扱う店舗という風に書いたつもりなんですけどね。食堂関係、と間違えて書いてしまったみたいで。でもそういうのやっても、逆に面白いんじゃないですか? こちらの食材で食堂とか」

「いやいや、私は料理とか得意じゃないですから。こんな立派なキッチン、高かったでしょう。お金、大丈夫なんですか? うちの上司に知られでもしたら……」

「あ、そこは人事部が持ちますんで。こちらのミスですし」


 それであの上司が納得するだろうか、と思ったがこれ以上はやめておいた。諏訪部自身、小林が適当に言った「地球の食材で食堂」という言葉に、何かしら引っ掛かるものがあったからだ。

 それが何なのか、今はまだよくわからないが。もしかしたらこの先で何かの役に立つかもしれないと、諏訪部はそれ以上小林を責めるのはやめておく。

 続いてカウンターの奥にある階段から二階へ上がると、リビングと主寝室らしき広い個室に、主寝室に比べると少し手狭な個室が一部屋あった。階段からリビングへそのまま続いており、リビングを挟んで両サイドに個室がある作りになっていた。


「どちらの部屋もクローゼットあり、広さに違いがある程度ですよ。リビングにあるベランダは南向き、主寝室は東向き、もう一つは西向きとなってます。家具なんかを詰め込むと、リビングが少々手狭に感じるでしょうが」

「あれ? シャワー……、お風呂はどこにあるんですか? 一階は店舗で、キッチンとトイレがある位でしたよね?」

「風呂場はカウンター奥の階段の横に、勝手口みたいなドアがあったでしょう? あそこがお風呂と洗濯場に続いてるんですよ」


 建物の説明は理解した。周囲のことも一通り説明を受ける。建物の周囲に簡易的な柵が建てられており、その範囲が敷地内となっているらしい。敷地の出入り口になっている部分は簡易扉、扉と言っても門扉というわけではない。

 敷地内はせいぜい普通車が、横並びに四台停められる程度のスペースとなっている。柵の向こう側は公道で、南側が町の外へ続く道、北側が町へ続く道となっているらしい。

 見晴らしはいいが、西側すぐ横が少し小高い丘になっており、東側は多少距離はあるがそこもまた丘になっていた。その下には林と農場が広がっている。北側へは下り坂になっていて、その先に住宅街や他のお店などがよく見える。町へ入る手前の道すがら、この家が建っている……という感じだろう。


「そこそこ往来があるんでね。前に住んでた老夫婦が、荷馬車の音がうるさいって言ってそのまま引っ越しちゃってから、ずっと空き家になってたんですよ」


 町の玄関口に建っているから、それは仕方ないか……と諏訪部はすぐに諦めた。

 一生住む家じゃない、というのが気持ちを素早く切り替えることが出来た理由である。


 ***

 

 半年後ーー。

 諏訪部が異世界アレバルニアでの生活に慣れて来た頃、コックの誘いを受けてボナペティ家を訪れた。

 マーヤが健康を取り戻すまで、という名目上……コックは未だにボナペティ家に滞在させられているらしい。


「今日あんたを招いたのは他でもない」


 神妙な面持ちでコックが告げる。

 まさか、地球産の食材のことがボナペティ夫妻に知れ渡ってしまったのか?

 それに対する対策案も考えてあるが、それならそうと屋敷に到着する前に言って欲しかったものだ。

 諏訪部もまた、コックに倣って緊張した面持ちになる。するとーー。


「マーヤが、立ったんだ……!」

「マーヤさん……が?」


 まるでどこかのアニメのような会話だが、今はそんな茶化したセリフなんて出て来ない。そもそもコックがその作品を知っているはずがないから。

 諏訪部は朗報に舞い上がりそうになった。食材を届ける度に会っていたわけではないが、それでも週に一度位は様子を見に来ていたので、マーヤがだんだんと健康を取り戻している様子は諏訪部も知っていた。

 しかしそれでも長時間一緒にいるわけにもいかないので、一時間かそこそこでいつもお暇していた諏訪部。マーヤの体力も慮ってのことなので、それは仕方ないと思っていた。

 諏訪部が知らない間も、マーヤはゆっくりとリハビリを続けていたのだ。それがようやく、実を結んだ。


 二人で真っ先にマーヤの部屋へ向かい、コックがノックをする。

 すると中から愛らしい声が返事をした。返事を聞いてからドアを開けると、マーヤがちょうど部屋の窓を閉めようとしていたところだった。自分の足で……。

 陽の光の当たったマーヤの横顔が、とても血色良く見える。花柄のワンピースを着たマーヤは、諏訪部を見るなり満面の笑みへと早変わりした。


「スワべさん! 本当に来てくれた! 嬉しい!」


 まだそれほど大きな声を出せない様子だが、そのウィスパーボイスがまたマーヤの魅力を引き立てているようで、耳触りが良かった。そんなことより、今日はいつになく元気そうで諏訪部の方が面食らっている。


「すっかり元気になったみたいですね。本当に良かった」

「今日はたくさんスワべさんと話せるって聞いて、私嬉しくて……。お母様に頼んで美味しいお茶を用意してもらったの」


 その言葉を聞いて、諏訪部は「え?」となる。

 マーヤはこの世界の食材一切が口に出来ない呪いにかかっているはずだ。そうコックから聞いている。

 諏訪部が絶句していると、コックが椅子にどかりと座って寛ぎながら説明した。


「スワべさんの為に用意したんだよ。一緒に同じお茶を飲めないのは残念だけどってさ」

「コックさん、恥ずかしいからバラさないでください」


 そう言いながらあらかじめ用意していたであろうティーセット、見ればこの部屋もだいぶ変わったものだ。

 初めて来た頃は必要最低限の家具類しかなかった部屋も、マーヤの行動範囲が広くなっていく度に買い足したんだろう。今ではドレッサー、机、引き出しタンスの上にはインテリア雑貨などが置かれている。

 そしてお茶菓子を食べる為にくつろげるような、テーブルと椅子まで。色使いも若い女の子が好みそうな、パステルカラーで統一されていて、男の諏訪部としては少し落ち着かないが。実に年頃の女の子部屋、という感じだ。


「マーヤさん、淹れるだけなら私がしましょうか」

「大丈夫です。やらせてください。私、今は何でも出来そうな気がするから」


 振り向きざま笑顔で答える少女の姿に、一瞬ドキリとした。

 一体何日振りだっただろうか? 今日のマーヤが至って普通の女の子に見えて仕方がない。まだ手足は年齢の割に細すぎて、少しの衝撃でポキリと骨が折れそうな程だというのに。

 顔の肉付きもだいぶ良くなっている。以前は失礼な例え方だと思うが、干からびた老婆のように痩せ衰えていた。頬はこけ、目は落ち窪み、見ていると心がくるしくなるような姿だったというのに。それが今はどうだろう、まだ細すぎるという表現にはなるが、見違える程「人間らしく」なっていた。

 まだ筋肉が衰えたままなのか、歩くスピードはかなりゆっくりだ。それでもいい、自分の足で立って歩けることが何よりすごい。

 マーヤがゆっくりとお茶を淹れてくれている間に、諏訪部は雑談を始める。諏訪部自身のことはともかく、今は大切な顧客でもあるマーヤの近況が何よりも最優先事項だ。


「そういえばこの間の食材はどうでした? 地球にはマグロという魚がいて、その切り身をボイルしたやつ。色々と調味料やら何やらで施されているんですが、缶詰商品なんで私も調理過程までは詳しくなくてすみません……。ツナ缶って言うんですけど、単体でも美味しいし。魚料理は骨取りが大変でしょうから、まずはツナ缶からどうかなと思って。お魚も栄養がありますからね」

「とりあえずスワべさんからもらったツナ缶レシピで、簡単そうなやつ作ってみた。キャベツとツナで温かいサラダを作ってみた。この半年、胃に優しいもんばっか作ってたせいで冷たいもん作っていいのかどうかわからなくなってきちまったわ」


 ツナ缶は単体だけでも非常に美味しい上に、アレンジレシピはたくさんある。おつまみにもなるし、おかずにもなる。便利な食べ物だと思って、諏訪部が個人的におすすめしてみたものだ。

 今のマーヤの状態から見て、そろそろ普通の食材をどんどん仕入れてもいい気がして来た。これまでコックが言ったように、胃に優しそうな食材ばかりをピックアップしてきたが、そろそろ本格的に動物性タンパク質も食べさせた方がいいかもしれない。

 動物性タンパク質には、健康作りに欠かせないアミノ酸が豊富にある。人間が健康的に生きていく為に、肉食は欠かせない栄養素だ。


 他にも色んな食材を使った料理、どれが一番美味しかったかなど、食事に関する雑談をしながらマーヤが淹れてくれたお茶を飲む。マーヤ自身は温めた麦茶を飲んでいた。茶菓子も用意してくれていたみたいで、諏訪部は異世界のお菓子を頬張りながら美味しさの余り笑顔がこぼれる。

 マーヤもまた卵ボーロを一つずつ上品につまんでは、たくさん笑顔を見せるようになっていた。

 そんな楽しいお茶会をマーヤと出来るようになったことを、心の底から喜ぶ諏訪部。そんな楽しい時間の中でふと、コックが今思い出したかのように短く声を上げたので、諏訪部とマーヤがコックに注目する。


「あぁ、そういや言い忘れてた。ボナペティの両親がスワべさんと、一度会って話がしたいんだと。今夜空いてる?」

「え? ちょ……、はあああ!?」

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