9 『食べるって、楽しい』
マーヤがまだあまり喋ることが出来ないということで、ほとんど諏訪部が一方的に話しかけているだけの状態になっていた。しかしお喋りは好きな方だった諏訪部は、それを苦痛ともなんとも思わない。
マーヤもまた、今まで相手の話を聞くだけの日々を過ごしていたこともあり、黙って話を聞くだけの状態が特に嫌というわけではなかった。
まだ会って2日目、それを忘れないように諏訪部は当たり障りのない話題ばかりを選んで、マーヤとの信頼関係を築こうとする。結局のところ、相手からの返事を期待することが出来ないので、頷くか笑顔で答えるか……。そういった形で済むような返事になるよう、話題はかなり慎重に選ばなければいけなかった。
眠りの魔法で寝ている間、夢は見るのか?
動物は好きか?
元気になって出掛けるとしたら、徒歩か乗り物、どっちで行く?
ほぼ2択で済むような質問、諏訪部自身の簡単な紹介を含めた話題、元気になったらマーヤが遊びに来るついでに諏訪部の元へ買い物に来たらいい、など。
そういった明るめの話題をあれこれとしている間に、コックが昼食を作って戻って来た。
相変わらずノックと同時にドアを開けてくる。もし入って欲しくないタイミングだったらどうするのか、と聞いてもコックはあっけらかんと「寝たきりにそんなタイミングないだろ」と、繊細さに欠けた回答で諏訪部は肩を落とした。彼にデリカシーさを求めるのは、そもそも間違いだったかもしれないと、逆に反省してしまう程に。
持って来たのは、残り最後となったお米で作られたおかゆだった。
六年間も何も食べられなかったので、三日経ってもまだ十倍がゆのままらしい。これはあくまでコック自身の目安というより、医者の判断だった。マーヤの胃の状態を医者に相談しながら、現状どのような食事なら胃に負担をかけずに食べられるのか。
その結果、まだあと一週間はこの状態を続けた方がいいという結論に達したそうだ。
諏訪部はコックに召喚される時、手土産を渡していた。それは追加の食材だ。前回渡したものだけでは、そろそろ飽きが来ている頃合いだろうと思ってのチョイスだった。
梅干し、かつおぶし、そして佃煮。これをおかゆと一緒に添えても良し、ご飯のお供のようにして食べるも良し。諏訪部自身が病気で食欲がない時に、この組み合わせで食べるのがとても美味しかったから、という理由。
さすがに全部乗せしなかったコックの計らいに感謝しつつ、彼が選んだものは梅干しを添えたおかゆだった。
「この赤いやつ、梅干しって言うんですけどね。単体で食べるとものすごく酸っぱいですから、おかゆと一緒に食べるのがいいですよ。熱いから気をつけてくださいね」
「へえ、これそんな酸っぱいんだ?」
コックの言葉に改めて「味見はしないんだな」と思った諏訪部。
マーヤを座らせ、組み立て式の簡易テーブルをベッドに設置する。そしてコックお手製の梅干しおかゆをマーヤの前に置いた。立っている湯気の匂いを嗅ぐ。他に匂いの立つ食材はないので、お米の匂いしかしてないんだろうなと諏訪部は心の中で思った。
それからスプーンを手にして、おかゆに向かってフーフーと息を吹きかけて冷ます。
(そうか。もう自分でスプーンを持てるし、冷ますことも自分で出来るようになったんだな)
まるで赤ちゃんが幼児に成長した様子を見守る、父親のような感情だった。自分でも変だなと思いつつ、初めて出会って食事をしたところを見て来たので、感無量になるのは仕方ないんだと自分で自分を弁護する。
まずは恐る恐る、酸っぱいという事前情報を得た梅干しをスプーンで上手にすくって、一口サイズの梅干しを一気に口に放り込もうとした。
「あー、えっと! ほんのちょっとかじる程度でいいですよ、まずは! 全部一気に食べたりしたら、初めて梅干し食べる人には酸味の刺激が強過ぎるんで!」
慌てて制する諏訪部。梅干しを食べたことがある者なら誰でも経験しておくに越したことはない、と思いつつ。仮にも相手は何も知らない異世界人、それに体の弱い女の子だ。もし激しい酸味にあてられて、地球産の食材が苦手になってしまうわけにいかない。何より、おかゆと言えば梅干しだと言う諏訪部にとって、梅干しを嫌いになって欲しくないという気持ちが勝っていた。
諏訪部のアドバイスを受けたマーヤは、小さく……小指の爪程度の大きさをかじり取った。酸っぱさが瞬時に口の中で広がっていく。あまりの酸っぱさに驚いたマーヤは、梅干しのかけらを口の中に含んだまま熱々のおかゆを冷ましつつ、少しの量を口に運んだ。
口の中で梅干しの酸味が、粘り気のあるおかゆと混ざり合って、程よいアクセントへと変化する。
「お……」
諏訪部は目が点になった。
マーヤが梅干しとおかゆを、自分の力で食べてくれた嬉しさで夢中になってたせいか。急に聞こえた囁き声が、誰のものか察するのに時間がかかる。
「美味しい……っ!」
とろけるような笑顔で、咀嚼しながら漏らした感想だった。
あごの力がまだ弱く、嚥下力もまだまだ発達していないマーヤ。口に含んでそのまま飲み込める程度の柔らかさのおかゆですら、マーヤは噛み締める。しっかりゆっくりと噛んで、味を堪能していた。口の中で咀嚼されながら踊るおかゆと梅干しのかけら。
それらをしっかり味わいながら、マーヤはもう片方の手で自分の頬を支える仕草をした。
どうやら彼女は美味しい料理を食べている時、そうする癖があるようだ……とコックから小声で教わる諏訪部。
いや、そんなことよりーー今?
「美味しいって……?」
「あぁ、なんかそういう言葉だけは喋れるみたいだぜ」
一口、また一口と。梅干しをほんの少しかじり取っては、フーフーと冷まして食べる段取りがどんどんスムーズになっていく。おかゆが苦手、という日本人も珍しくはない。だけどこんなにもおかゆを美味しそうに食べるマーヤに、諏訪部は自分も嬉しいような、日本人として誇らしいような。そんな気持ちになっていく。
美味しそうに食べている姿もそうなのだが、マーヤの場合はもっと……。別の様子も含まれていた。
「随分と、楽しそうに食べるんですね」
諏訪部が、無意識にそう呟く。
待ちに待った昼食が出て来て、あまりの美味しさに我を忘れていたマーヤ。自分が夢中になって食べている姿を、男性二人がじっと見ていたことに今さら気付く。
恥ずかしい、という気持ちもあったけどやめられない。美味しいが止まらない。
料理は美味しい。
食べることが、とても楽しい。
(梅干し、最初はびっくりしたけど……。スワべさんの言った通り、おかゆと一緒に食べたら酸っぱいのが気にならなくなった。今までほとんどお米の味だったのに、この梅干しのおかげでご馳走に生まれ変わったみたい! ほんのちょっと加えただけで、食べ飽きて来たと思っていたおかゆがまた美味しい料理に変身するなんて、なんて面白いの! 食べることで、たくさん気付く。食べるのって面白い! すごく楽しい!)
味気があまりないように感じられて来た頃合いに出て来た、真っ赤なアクセント。白と赤のコントラストで、いつも見ていたおかゆが、まるでドレスを着ておめかししたように感じられる。
見ても楽しい。
食べたら美味しい、そして新しい楽しさが顔を出す。
作ればもっと、楽しくなるのかな?
その日が待ち遠しかった。
でも今は、食べることを満喫しよう。
食べて、たくさん食べて、栄養を付けて、元気になろう。
元気になって、健康になって、もっともっと色んな料理を食べてみたい。
そして食事の美味しさと楽しさを、私以外の人達にも知って欲しい。
私が作った食事を、いつかみんなに……スワべさんに、楽しく食べてもらえたら、いいな。
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