1−8 『再会』

 朝昼晩と、地球産の白米や調味料を使ってコック自ら調理し、それをマーヤに与え続けていたが……。いくら量が少なめとはいえ、メインとなる白米2キロは一週間と保つはずがなく。

 少しずつ減っていくお米の量を気にしながら作っていたコックの元に、諏訪部が再び姿を現したのは最初の召喚から3日後のことだった。


「おっせぇんだよ、マーヤを殺す気かお前」


 食事が摂れないまま数年生き延びたマーヤに、コックのセリフはどこか皮肉めいていた。両手を顔の前に合わせて拝むように謝罪する諏訪部。だがコックの言葉は尤もだ。確かに上司が言った通りーーもっと早く行動するべきだったと反省する。

 ボナペティ家の誰も、諏訪部の存在を知らない。コックが敢えて知らせていなかったのだ。理由は諸々あるのだが、コックにとって一番の理由は「説明が面倒だったから」に他ならない。

 ここはボナペティ家の主人、ロイドから与えられた客室だ。マーヤが完全に健康を取り戻すまでは、という夫婦からのたっての希望により、コックはボナペティ家に長期滞在させられている。

 グロモント伯爵から借りてきた魔術書……、もといカタログブックとなるタブレットに届いていた通知を見たコック。そこには諏訪部からのメッセージがあり、出来るだけ早く召喚して欲しいという旨が綴られていた。

 そこでコックは自分のアカウントを使って再度、諏訪部を召喚したというわけだ。ちなみに双方の承認が取れていれば、満月(フルムーン)の晩でなくても召喚は可能となっている。


「いやぁ、本当に申し訳ない。元々荷物は少ない方だったんですけど。転勤・異動は初めてでして」

「言い訳はどうでもいい。ーーで? あんたもここに住むんだってな」


 ある程度の話は、諏訪部から直接会ってから聞いていた。コックはそれを興味なさそうな態度で聞いていたが、大体は理解している様子だ。


「本部から移住先を手配してもらってるんですよ。この町の外れにある一軒家、そこへコックさんが食材を買いに来る……という感じでやっていこうと思ってます。そうすれば召喚費が食材だけで済みますしね。マーヤさんのお部屋で直接食材を購入してたら、ご家族の方に怪しまれてしまいますから。買い付けという形が一番自然でしょう」

「何て言うんだ? あんたんとこの食材しか食べられない……、それをあの両親が知ったら食材提供元を詰められたりとかは?」

「一応グロモント伯爵御用達の、ごく限られた地域で生産・出荷されている食材……という名目でやっていこうと思ってるんですけど。それでも食い下がって来ますかね……」


 諏訪部が直接会って話をしたわけではないが、コックの話によればボナペティ夫妻はレストラン経営をしている上に、本人達も食材や料理に関して並々ならぬ執着があると聞いた。

 これまで異世界アレバルニア産の食材のほとんど全てを食して受け付けなかったマーヤが、唯一受け付けた食材ともなれば、親ならば……料理人ならば……レストラン経営者ならば……、見過ごすはずがない。

 だからこそ両親には内密に、異世界である地球の食材だということは秘密にしなければいけないと思った。

 諏訪部が所属している異世界物流センター食品卸売市場では、過度な取引は請け負っていない。それは異世界間でのバランスを保つ為とも言われているし、あらゆるトラブル回避の為とも言われている。

 異世界同士、超えてはならない一線というものがあるのだ。それを無視して過度な取引を行えば、もしかしたら地球産の食材を異世界で栽培しようと考える者が出て来るかもしれない。それはつまり、異世界の生態系を壊す可能性がゼロではないのだ。

 そういった条件の下、異世界物流センター地球本部では取引相手を入念に選別する必要がある。異世界アレバルニアでその条件をクリアしたのが、コックの後見人でもあるグロモント伯爵なのだ。


「あのおっさんは貴族界でも相当な変人で通ってるし、おっさんの名前を出せばどうとでもなるだろ。イケんじゃね?」

「相変わらず適当なんだから……。でもまぁ、こちらの事情としてはそういうことなので」


 諏訪部がこの町に移住し、本部が手配した一軒家で地球産の食材を召喚という形で輸入、それをコックが買い付ける……という流れで、一旦話がまとまった時ーー。

 諏訪部はずっと気になっていたことをコックに訊ねる。


「ところで、ボナペティさんはお元気ですか? 日本のおかゆ、しっかり食べることが出来てますかね?」

「あぁ、あんたにもらったおかゆレシピで色々アレンジしてみたんだけどよ。すげぇ勢いで平らげるからこっちがビックリするレベルだ」

「そうですか! それはよかった」


 あの時のマーヤの表情を思い出す。涙を流しながら、美味しそうに食べる姿を。その顔を思い出しただけで、何故だか諏訪部も「もっと頑張らなくては」という気持ちになっていた。


「会ってくか?」

「え、いいん……ですか?」

「当たり前だろ。あんたんとこの食材や調味料がなかったら、マーヤは文字通り死んでたんだからさ」


 そう言われると救われる気持ちになるような、心苦しくなるような、複雑な気持ちだった。

 だが、諏訪部自身もマーヤに会いたいと思っていたのが本音だ。


「遠慮すんな。あんたは命の恩人なんだからよ」

「……それを言うなら、コックさんもでしょ? あなたが作らなければ、ボナペティさんはおかゆを食べることすら出来なかったんですから」


 遠慮とか、配慮とか、そういった湿っぽい気遣いを面倒に思っているコックは、今すぐ諏訪部をマーヤに会わせる為に背中を向けてドアを開けた。このまま自分が出て行っても大丈夫なのかと思ったが、今日は屋敷にほとんど誰もいないことを告げられる。

 ボナペティ夫妻の開いたレストランの一つが、今日で3周年を迎えるということで家族は全員……動けないマーヤを置いて、レストランへ食事に出掛けたそうだ。使用人も、ごく少数の者だけを残して3周年記念パーティーに参加させているという。

 屋敷の主人としては粋な計らいだと思われるが、諏訪部は妙な寂しさを覚える。

 満足に動けないとはいえ、家族である娘を一人残してレストランへ食事をしに行ってしまうことに対し、どこか嫌悪感のようなものを抱いてしまったのかもしれない。

 仕方ないと思うが、今もなお健康を取り戻す為に頑張っている彼女のことを、もう少し気遣えないものかと諏訪部は思う。


(長年、家族みんなが苦しんできたのはわかる。だからこそマーヤさん一人の為に、家族全員が犠牲になれなんて……、部外者である俺が言えた義理じゃないよな。でも何だろう、胸の奥がすごくもやつく……)


 ***


 コックに案内されながら屋敷の中を歩いていたが、確かに人が少ないように思えた。貴族の住む屋敷の中を歩いたのは、グロモント伯爵邸しか経験がなかったが。

 本当に必要最低限の人数しか残さなかったと見える。階段を上って2階に辿り着き、少し歩いて突き当たった場所がマーヤの部屋らしい。コックは慣れた感じでドアをノックする。そして返事が返ってくる前にドアを開けた。

 それでいいのか? と怪訝に思いながらも、コックの後に続いて部屋の中を覗く。以前見たままの部屋だった。質素、かつ簡素な室内。言われなければ年頃の少女の部屋だとは、とても思えない部屋。

 ベッドの上にマーヤがいた。まだ長時間座ることが出来ないせいか、開けた窓から吹いてくる風で揺れているカーテンを眺めていた様子だ。今日は快晴らしい、窓から入り込んでくる日差しが室内を明るく照らし、心地良い風がマーヤの青い前髪をサラサラとなびかせていた。

 ゆっくりと振り向くマーヤが、コックの後ろにいる諏訪部の存在に気付く。

 諏訪部は少し照れるように、片手を振って軽く会釈した。諏訪部を見た瞬間、マーヤはまるで感動の再会とでもいうように瞳を輝かせる。

 そして慌てるように、しかし体が思うように動かせないのでゆっくりとした緩慢な動きで起き上がろうとした。その様子があまりにも危なっかしかったので、諏訪部は反射的に駆け寄って手を貸す。


「起き上がっても大丈夫なんですか? 無理だけはしないでくださいね。病み上がりみたいなものなんですから」

「あ……」


 肩を支えられたマーヤは、諏訪部がすぐ近くに来たことで顔を真っ赤にさせる。

 まだあまり声は出せない。短く発する声だけが、マーヤの口から飛び出すばかりだ。


(あの時の、不思議な人……っ! この人のおかげで私、やっと食べることが出来たんだ。お礼を……、お礼を言わなくちゃ……! でも、まだフラフラして思うように動けない。声も、思ったように出せない。それに私、お風呂に入れてないから臭うかも……っ! こんな側に寄られたら、臭くて嫌われてしまうかもしれない!)


 色んな思考がマーヤの頭の中を飛び交った。

 自分の体臭を不快に思われたくないと思ったマーヤは、少し距離を置こうとする。しかしそれは意思疎通がままならないせいで諏訪部に誤解を与えてしまう。


(なんだ? 拒否? 拒絶? 知らない変な男が急に体に触って来たから、もしかして嫌われた!?)


 取り乱す諏訪部、恥ずかしそうに距離を取ろうとするマーヤ。

 そんな二人を見ながらコックは、特に何も感じることなく部屋にあった壁掛け時計に目をやって、そろそろお昼ご飯の時間が迫っていることにだけ気を配った。


「そんじゃ、昼メシ作って来るわ」


 くるりと踵を返して出て行くコックに、二人は慌てて呼び止めようとする。


「え、ちょ……コックさん!?」

(この状態で二人きりにするか普通!? やばい、気まずいぞ!)


「……っ!!」

(コックさん、私まだあんまり喋れないのに二人だけにしないで! どうしたらいいの!?)


 二人の心の声は空しくもコックには届かない。彼にはそのような繊細な気遣いは持ち合わせていないから。

 パタンとドアが閉まる音と共に、静寂が室内を支配する。さわさわと外から吹いてくる風と共に、鳥の鳴き声が時折聞こえてくる程度。


(ようやく食べられるようになったとはいえ、彼女はまだ本調子じゃない。無理させるわけにはいかないな)


 そう心の中で呟くと、諏訪部はゆっくり立ち上がる。マーヤから見れば突然立ち上がったように見えたので、てっきり自分と二人きりになるのが嫌だから、諏訪部も部屋を出て行こうとしているのだと思ってしまう。

 慌ててか細い手を伸ばし、諏訪部のシャツの端を掴んだ。握力もまだ弱く、そのまま歩いて行けば引き止めるには不十分な指の力なのだが、諏訪部はマーヤが自分のシャツを掴んでいることにすぐさま気付き、目をしばたたかせた。

 まだ頬もこけていて、落ち窪んだ大きな瞳が縋るように諏訪部を見上げる。その表情から「不安」という感情を読み取った諏訪部は、マーヤを安心させるようににっこり微笑む。

 そっとシャツを摘んでいる彼女の手に、諏訪部は自分の手を添えて声をかけた。


「寒くないですか? 少し風が強いみたいなので、窓を半分閉めようかなって思っただけです」


 彼の言葉にホッとして、マーヤはベッドに再び横たわる。

 半分ほど開かれていた窓を、更に半分だけ閉めてから再びベッドの側へ戻る。側には丸椅子が置いてあったので、それに腰掛けてマーヤを見た。

 営業スマイルを忘れずに、諏訪部はマーヤに話しかける。以前にも思ったことだが、彼女はこちらの話を聞くことならちゃんと出来る。会話が出来なくても、せめて少しでも距離が近くなるように。信用してもらえるように、営業マンとしてその辺りの配慮は欠かせなかった。


「コックさんから聞きましたよ。おかゆ、しっかり食べることが出来てるみたいですね。心なしか、以前より顔色が良くなっているみたいだ。……安心しました」


(スワべさん、だったかな……。私のこと、心配しててくれたんだ……)


「実はですね、私……この町に住むことになったんですよ。町外れに一軒家がありましてね。そこでボナペティさんが口に出来る食材を販売することにしたんです。あ、でもこれはコックさんの雇い主であるグロモント伯爵との契約で、不特定多数の顧客は受け付けてないんですけどね。色々と事情がありまして。もし私が販売している食材のことでご両親から何か聞かれても、申し訳ありませんが何も知らない……ということにしてもらえると助かります」


 今のマーヤに負担をかけることになるかもしれないが、もし何かの拍子にポロリと両親に情報が漏れてしまったら大変なことになる。そう思った諏訪部は、出来るだけ柔らかく彼女に伝えた。

 マーヤは小さく、こくりと頷く。一応了解してくれたと、諏訪部は察した。


(スワべさん、私と同じ町に住むんだ……。そしたらもうこれで会えなくなる、なんてことがないのね? 嬉しい。もし私がもっと元気になって、自分の足で外出出来るようになったら……。スワべさんに会いに行くことだって、出来るかもしれない。その頃には、今よりもっと……ちゃんとお話が出来るようになってるかしら?)


 マーヤは嬉しくてたまらなかった。

 まだ会って2回程だが、彼の優しい微笑みはマーヤの心を癒してくれる。母親も愛おしそうに笑顔で接してくれるが、それとはまた違う。

 世話係も、看護師も、眠りの魔法をかけてくれる魔術師もみんな。マーヤに向ける表情は「同情」だった。

 可哀想に、という表情で見つめてくる。そこに悪意はない。だけど可哀想という思いから出てくる表情を見るのが、マーヤは心苦しかった。相手を楽しい気持ちにさせることが出来ない自分が、好きじゃなかった。

 覚えているが、諏訪部も初めて出会った時はそういった表情をしていたと思う。だけど彼はすぐに気を取り直して、笑顔を向けてくれた。マーヤにとってそれは、屈託のない笑顔に映ったのだ。

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