1−7 『転勤しかない』

 コックに託され、諏訪部はひとまず人目を忍ぶために、一度地球の営業部へと帰って来た。異世界物流センターには、召喚専用ルームという場所が設けられ、その広大な室内にはいくつも地面に魔法陣が描かれていた。どの魔法陣も微妙に模様が違っており、それぞれの営業マン専用の魔法陣が用意されていることになっている。

 端から三番目の魔法陣が、マーヤの持っていた魔術書……タブレットの表紙に描かれていた魔法陣の形と全く同じものだ。そこから帰還してきた諏訪部は、深いため息をつきながら魔法陣から出て、出入り口のある方へと向かう。出入り口のその手前には、受付がある。魔法陣を使用する際には、使用許可書に部署名とフルネームでサインしなければいけない決まりだ。

 帰還しても当然サインをしなくてはいけない。


「ざーっす」


 受付がサインを確認して、使用許可書の写しを受け取る。これは魔法陣使用履歴として、直属の上司に提出しなければいけない仕組みだ。不要不急で使用することは禁じられている。悪用されないように、この辺りは徹底していた。諏訪部はもう一つ深いため息をついて、出入り口の階段を上っていく。魔法陣のある召喚専用ルームは地下にある。エレベーターもあるが、諏訪部は健康のためにと毎回長い階段を上り下りしていた。

 一応の固定客はついた。しかしどう説明したものか。


「相手は未成年、しかも意思疎通が難しい病人ときたもんだ。保護者の許可が必要になってくるなぁ……」


 異世界物流センターの決まりとして、不特定多数の人間に存在が広まってはいけない……というものがある。――侵略に備えるためのものだ。異世界と聞けば、誰もが行ってみたくなる未知の世界。そして権力者というものは、決まって支配しようと考える。だから余計な情報が出回らないように、慎重に相手を選んで交渉する。それが営業部の掟のようなものだった。

 だからこそ、これ以上こちらの存在を知られるわけにはいかない。だけど未成年に果たして、毎食分の食材を購入するお小遣いは持っているだろうか。コックの話から察するに、マーヤの両親は特に注意した方がいい、という印象を持っていた諏訪部。


「なんとなくだけど、料理とかそういうものに対してものすごい野心的な何かを感じるんだよなぁ。そんな人相手に、珍しい食材を取り扱っていることが知れたら、大枚はたいてでも産地を聞き出そうとしてきそうな……。でも結局のところ異世界アレバルニアにとって、地球産の食材は珍しいことに変わりはないし……」


 どんなに頭を捻ろうとも、地球とアレバルニアを行き来するだけの余裕はないだろう。諏訪部を召喚するにしても、食材を直接購入するにしても、その度にお金は必要になるのだから。先ほども問題にしたように、召喚主であるマーヤにそれだけのことができる体力が、まずなさそうだ。


「気が進まないけど、ありのままを上司に報告するしかない……よなぁ」


 そう考えただけで背筋がゾッとした。思い出すだけで全身が震え上がる。諏訪部は営業部の女上司、榊原玲子が大の苦手であった。高圧的な態度、厳しすぎる口調、何より部下に対してとてつもなく横暴なところが。営業成績とお酒をこよなく愛する彼女のことだ。お涙頂戴のマーヤの状況なんて、話したところで心が揺れるとは思えない。しかし、報告義務はある。平社員のつらいところであった。


 ***


「それじゃあお前、転勤して来い」

「……はい?」


 説明時間およそ二十分、その内容に対する返答は秒で済んだ。大急ぎでしたためた報告書をパラパラめくるように目を通したかと思えば、なんてことはないとでも言うように、書類をデスクの上に雑に積む。それから合わせた両手にあごを乗せ、眼鏡の奥の鋭い瞳が諏訪部を見据えた。その目で睨まれると金縛りに遭ったように、嫌な汗が背中やら額やらを伝っていく。まさに蛇に睨まれた蛙のように、諏訪部は引きつり笑いを浮かべながらもう一度「はい?」と訊ねた。


「時間は有限! 一回で理解しろ、この間抜け!」

「ひいい、すみません!」

「要するに何度も召喚手続きするのが困難だから、簡略化したいんだろうが!」

「その通りです!」


 バシバシとデスクを叩きながら、榊原の勇ましい声がフロア内に響き渡る。彼女の恐ろしさは全員が知っているため、誰一人として茶化すように笑う者などいない。むしろ憐れみを浮かべた同情の眼差しで、諏訪部に向かって手を合わせるほどだった。


「だったらお前があっちの世界に移住して、居を構え、必要分をまとめて仕入れて、そこで販売したらいいだけの話だろうが! どこに悩む必要がある!」

「いや、あの、でもですね? 今回の召喚主であるボナペティさんがですね?」

「未成年で、親が厄介そうなモンスターなんだろう! お前が作った報告書に書いてあることを、二度も三度も説明するな! 時間の無駄だ!」

「すみません!」


 ああ言えば何倍にもなって返ってくる。だから嫌だった。できれば穏便に済ませ、和やかな雰囲気で仕事がしたいのに。そう思いながら諏訪部は、とにかく怒鳴られる度に頭を下げた。そこまでしてでも今回の仕事は自分の力でやり遂げたい、という強い思いがあった。だからこそ諏訪部はどんなに罵られようとも、懸命に罵声に耐える。罵声というより、ほとんど事実なのだが……と思いながら。


「これは上司命令だ。これからお前は、異世界アレバルニアへ転勤・異動とする! 諸々の手続きなどはこちらでしておくから、お前は荷物をまとめて向こうで暮らす準備をしろ! わかったな!」

「それって、今すぐですか!?」


 驚愕する諏訪部に、榊原玲子の射殺すような視線が突き刺さった。あ、これダメなやつだ……、と諏訪部は反論を完全に諦める。そうと決まれば話が早いと言わんばかりに、女上司の榊原は各方面へと連絡を始めた。転勤手続き、移住手続き、身分証明証の発行、異世界アレバルニアに関する手引き書の取り寄せ、などなど。本格的に決定してしまったことが目の前で着々と進行し、諏訪部は何度も会釈して笑顔を作りながら退散していった。


(まさか移住することになるなんて……。二件目の仕事で、早速移住か……。そう考えたらグロモント伯爵との取引がベリーイージーすぎたってことなのかなぁ……。そうか、異世界で生活か……)


 異世界物流センター食品卸売市場の営業部に勤めてから、まだ数ヶ月しか経っていないペーペーな平社員だった諏訪部。異世界に転勤した先輩も、何人か知っている。中には戦争に巻き込まれて、命からがら逃げてきた先輩がいれば、そのまま命を落とした先輩もいる。アレバルニアの手引き書によれば、比較的平和な世界だと書いてあった。しかし戦争なんていつ起きてもおかしくはない。

 平和が一番がモットーの諏訪部は、そういった出来事に巻き込まれないように世界情勢をしっかり把握しながら、その地で生活しなければいけなくなった。またまたため息が出てくる。だがそんな時、おかゆを食べるマーヤの姿を思い出した。あれほど痩せ細って、衰弱して、か細い命を繋いできた少女が、あんなに美味しそうに諏訪部の故郷のお米で作ったおかゆを、心の底から嬉しそうに食べていた姿……。

 彼女に、もっと美味しいものを食べさせてあげたい。地球には日本食だけじゃない、世界中に色々な、たくさんの美味しいが存在している。


「本当に、美味しそうに食べる子だったな。……マーヤさん」


 元気が出てきた。元気を与えるために派遣されるようなものなのに、逆に自分が元気をもらったようなものだ。諏訪部はマッチョマンよろしく、力持ちポーズをして、自分を奮い立たせる。


「諏訪部正太、異世界アレバルニアへ行って参ります!」

「うるさい! さっさと荷造りして来い、バカもんが!」

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