1−6 『おかゆ』

 マーヤの状態が急変しないよう、気を配りながら見ているとドアの向こうから足音が聞こえてきた。それからノックする音。音の位置、響き方から察するに、恐らく足でドアをノックしている。諏訪部は丸椅子から立ち上がり、ドアを開けると目の前には両手が塞がれて立っているコックがいた。


「これ結構アツアツで持ってきたんだけど、大丈夫だと思うか?」

「おかゆは息を吹きかけて、冷ましながら食べるまでがワンセットなんです。個人的見解ですけど。さ、中へどうぞ」


 コックが部屋の中に入ってからドアを閉める。それから急いでベッドに向かって、マーヤの上半身を抱き起こした。壁際に枕を立てかけて座らせる。少しでもバランスを崩したら、そのまま倒れてしまいそうなくらい頼りなかった。「しっかり座ってくださいね」と声をかけながら、マーヤが安定して座ったことを確認する。

 それから座った状態でも食べられるよう、ベッドの側に取り付け型のテーブル台を発見した。今さらだが、ベッドの周辺を見てみると様々な道具が置かれている。今のテーブル台もそうだが、マーヤが寝たきりであることを前提に、そのままの状態でなんでもこなせるように準備がされていたようだ。

 テーブル台の両端にある脚部分を見て、ベッドに取り付ける箇所があることを確認して、しっかりと取り付ける。固定具合を確認してから、やっとコックがおかゆの入った深皿とスプーンをテーブル台の上に並べる。


「水はありますか。熱すぎて火傷でもしたら大変なので、水もあれば助かるんですが」

「えええ、先に言ってくれよ!」

「すみません、うっかりしてました」


 不満たっぷりの顔で部屋を出て行くコック。文句を言いながらも、頼めばちゃんとやってくれた。諏訪部は力なく座り込んでいるマーヤと、おかゆを交互に見つめる。


(このまま待ってるのも、あれだよなぁ……)


 彼女はきっと一分でも、一秒でも早く食事が必要に違いない。諏訪部はコックと水を待つことなく、丸椅子を極限までベッドに近付けて、スプーンでおかゆをすくった。ふぅふぅと息を吹きかけ、できるだけ冷ます。そうしながらも心の中では、そういえばちゃんと手を洗ってから召喚されたっけ、とか。息を吹きかけて、バイキンがーとかにならないだろうか、とか。そんなことを考えつつ、得意の営業スマイルを浮かべてそれら全てを誤魔化そうとした。


「はい、ボナペティさん。これは地球で生産している、お米っていう名前の主食ですよー。熱いから気をつけてくださいねー。はい、あーん」


 諏訪部は自分の口を大きく開けて、マーヤにも同じように口を開けるよう促した。それが通じたのか、うっすらと開かれた目がそれを見て、懸命に口を開けていく。骨張った頬が強調される。ゆっくりと口を開けて行き、なんとかスプーンが入る程度に開けられた。長年、あごの筋肉も使っていなかったからだろう。本人は大きく開けているつもりなんだろうが、口の隙間にスプーンを入れるので精一杯だった。

 ぱくり。

 マーヤは眉根を寄せて、口を閉じる。怯えるように、口の中に入ったものを、舌を使って確認した。あごの力がなくても、舌だけで潰せる程度に柔らかく、嚥下(えんげ)力さえ落ちていなければ、そのまま飲み込むことだってできる。それくらい柔らかくとろけたおかゆを、弱ったあごを使って懸命に咀嚼(そしゃく)する。

 噛む必要はないのに、マーヤは口の中に入った食べ物を数回咀嚼したあと、ようやく飲み込んだ。


「……っ」


 ほんの少量おかゆを飲み込んだマーヤは、細い肩を震わせて泣き出した。ぎゅっと閉じられた両目から、涙がどんどんとこぼれていく。震えながら骨と皮だけになった細い両手で口元を押さえて、嗚咽を漏らす。


(……美味しい)


マーヤは六年ぶりに食べた料理に感動していた。吐き気を催すことなく、拒絶反応も起きない。反射的に吐き出すこともなかった。


(食べられる……っ! 変な味もしないし、気持ち悪くなったりもしない……っ! すごく……、美味しいよ……)


 空っぽだった胃を埋めようと、マーヤは震える手でスプーンを持つ。あっ、と諏訪部が声を上げたのも束の間、マーヤは大粒の涙を流しながら目の前で温かい湯気をあげているおかゆを見て、もう片方の手で深皿を支える。スプーンでおかゆをすくっては口に運ぶ。最初はあまりの熱さにびくんと体を震わせて、諏訪部が慌てて手を差し伸べた。


「ゆっくり、落ち着いて。すごく熱いですから、冷ましながらゆっくり食べましょう」


 マーヤはこくんと頷いて、もう一度挑戦する。スプーンでおかゆをすくって、力なく息を吹きかける。しかしその程度ではすぐに冷ますことはできないと、諏訪部はスプーンを持つマーヤの手に自分の手を添えて、諏訪部自身の口元に持っていって息を吹きかけた。三〜四回ほど吹きかけて、マーヤの口元にスプーンを戻してから、手を離す。

 諏訪部の行動を全て目に焼き付けるように見ていたマーヤは、ぱくり。そして見よう見まねで同じように繰り返した。

 一口一口、食べては感動で打ち震えている。時々深皿を支えていた手を離して、涙を拭う。そしてまたおかゆをどんどん平らげていった。その様子を満足そうに眺めていると、ドアが開いてコックが入って来た。


「おっ、食べれてるじゃーん。よかったな」

「コックさん、お疲れ様。あなたが作ってくれたおかゆ、とても美味しそうに食べてくれてますよ。ほら」


 コックは満足そうにニカッと笑みをこぼすと、どかりとマーヤのベッドに座って、ピッチャーに入った水をコップに移し、テーブル台に置く。


「多少粘りがあるからな。喉を詰まらせないように、時々水も飲めよ」


 コックにそう言われ、マーヤはこくんと素直に頷き、スプーンを置いてコップを手に持とうとした。


(……あっ!)


しかし握力がないせいでコップを落としかけ、慌てて諏訪部が受け止める。マーヤ自身の手で持てるものはスプーンまでが限界と知って、諏訪部がゆっくりとコップに口をつけて飲ませてやった。介助の経験がないので、どれくらいのタイミングで離したらいいのかわからず、マーヤの挙動を見ながらタイミングを測る。

 少し咽せそうになりながらも、水を飲んで、おかゆを食べて。深皿の中身はすっかり空になっていた。

 それを見て感嘆の声を漏らすコック。諏訪部は知らないが、この進展は相当なものだと聞かされる。


「いや、大したもんだわ。アレバルニアの食い物全部、口の中に入れた途端に吐き出してたやつがだぜ? まさかの完食だなんてな」

「ということは、やっぱりこの世界に存在する食材の一切が……彼女は食べられないと?」

「ま、そうなるわな」


 となると問題が具体化されてきた。マーヤが食事によって命を繋ぎ止めるには、地球産の食材を買い続けなければいけなくなる。いくら通販のような形で注文しようにも、その度にお金は必要となる。さっきのお米2キロも、営業部のお試しセールというシステムで、初回一回限定の無料サービスを使って注文したに過ぎない。


「どこで買い付けたのかもわからない食材を、家の者が買い与えるものだろうか。いや、深く考えすぎなのはわかってるんですが。毎食地球産を購入してもらうとなると、召喚で出し続けるのは……ちょっと無理があるんじゃないか? どこで買ってるのか、とか家族に疑問に思われないだろうか」


 異世界物流センターでの取引は、大々的に展開していない。ごく一部の限られた人間、それも「理解のある人間」にしかその門戸は開かれない。ただでさえ異世界の食材という、怪しい出どころでもあるのだ。お得意様であるグロモント伯爵や、一部の食品をリピート買いしているコックならいざ知らず。異世界という存在を鵜呑みにして、全てを快く素直に受け入れる人間は少ない。それ以前に、誰彼構わず営業をしているわけではないのだから、当面の問題が邪魔をする。

 コックはあっけらかんとした表情で、何をそんな難しく考える必要があるのか……とでも言うように、両手を後ろ手に組みながら単純な答えを提示した。


「スワベさんがこっちに移住して、秘境の里とか、そういう場所で採れた食材ですっつって提供すんのはダメなのか?」

「いや、それはさすがに単純明快すぎるのでは……」

「大事な娘が唯一食べられる食材だぜ? 断る理由はないだろ。それになんでもかんでも伯爵の紹介って言えば、なんでも通りそうだし」


 そういうものなのか、と疑問に感じる諏訪部だが。他にあれこれ考える時間はなさそうだった。

 コックがマーヤの部屋とキッチンを行き来していることが、誰かに知られた様子だ。コツコツと廊下を誰かが歩いて来る音が聞こえてきた。いくらなんでも招待してもいない見知らぬ男性が、うら若き乙女の部屋にいるのはさすがにまずい。


「また後で召喚すっから。そっちはそっちで話つけといてくれよ! じゃ!」

「え〜? ちょっと待ってくださいよ!」


 反論する間もない。ドアをノックする音が聞こえた。

 諏訪部は慌ててカタログの表紙に描かれている魔法陣に手をかざすと、「帰還」と口にして消えていった。一瞬の出来事だった。諏訪部が消えた直後にドアが開けられ、メイドが恐る恐る中を確認する。


「マーヤお嬢様?」


 ベッドの方に目を見ると、そこにはガリガリのマーヤが自分で座って、コップに入った水を飲んでいた。

 それを見るや否やメイドは悲鳴を上げて、その場で卒倒してしまう。これまでずっと寝たきりで、自分の力で起き上がることなんてなかった少女が、骸骨のような見た目でベッドに座っているのを見たら、誰でも驚くだろう。何が起きたかわかっていないマーヤは、水を飲んだ後、そのまま力尽きて枕の上に沈んで行く。気のせいか、マーヤの頬は健康的だった頃のように少しだけ紅潮していた。

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