1−3 『不良コック』

 すっかり機嫌を悪くして帰ろうとしたコックを急いで宥め、ボナペティ夫妻は改めておもてなしをした。

 使用人達も即興で笑顔を作り、これ以上粗相のないよう努める。そんな態度に慣れっこなのか、長くて噛みそうな名前をしたコックはにっこりと笑顔になって、そのおもてなしを堂々と受ける。


「わかればいいんだよ、わかれば! ほら、これが証拠の紹介状。これで俺が偽物じゃないってわかっただろ?」


 彼がズボンのポケットから取り出した物は、雑にポケットに突っ込まれていた紹介状だった。くしゃりとしたシワがしっかり残っている手紙を見て、そこには確かにグロモント伯爵のサインがあることを確認する。

 これを見なければ、心の底から信じてなかった……とでも言うように、夫妻はやっと安心して肩の力を抜いた。いや、本来なら希少価値の高いギフテッド持ちを前にしたら、緊張で肩に力が入るものなのだが、このコックを前にしたらつい逆の態度になってしまう。

 早速ご機嫌を損ねてしまったと思ったが、当の本人はそれ以上なんとも思っていない様子で、屋敷の中を一望していた。


「ボソソヴィチェ……、いえっ! オフセンカフェ……、オフィ……」


 コックの名前が長くて噛みやすく、覚えにくかったためメイドが名前を呼ぼうにも、その名を口にすることが出来ずにいた。夫妻は顔を引きつらせて、メイドを非難した目で見つめるが、コックは片手をプラプラさせて気軽に声をかける。


「いいよ、名前なんて別に。どうせ覚えらんねぇだろ? 俺のことはコックでいいから」

「し、失礼いたしました! あの、コック様。応接室にて、温かい飲み物とお茶菓子をご用意させていただいてます。よろしければ」

「それよりキッチンは? 早速作りてぇんだけど」


 そんなものはいらない、とあっさり断るコック。仮にも遠方からはるばる馬車に揺られてやって来たのだ。彼も相当に疲れているはずに違いないと、まずはボナペティ夫妻が監修している自慢のお茶とお菓子を、『究極シェフ』を持つ彼に味わって欲しかった。

 だが彼は不真面目な顔から一変、真剣な面差しになると、真面目な声で事実を口にする。


「死にそうなんだろ、あんたらの娘さん。俺のことより、まずはそっちからだろ」

「……っ!」

「ありがとう、ございます!」


 彼なら本当に大丈夫かもしれない。不安が拭い去られるようだった。彼の頼もしい言葉に、夫妻は勇気づけられた思いがした。

 これまでどんな一流シェフに作らせても、マーヤはたった一口も食すことが出来なかった。誰が食べても「美味しい」の一言しか出てこない、そんな料理ですら、だ。しかしこのコックならば、やっとマーヤでも食べられる料理を作ってくれるかもしれない。

 夫妻は急いでキッチンへと案内した。


 ***


 彼の料理の手際は凄まじかった。並べられている調味料、用意されたあらゆる食材を一目見て、すぐさま調理に取り掛かっていた。同時進行もさることながら、次々と料理が完成していく様子を見て、夫妻のレストラン経営オーナー気質がうずいてくる。

 彼を自分達の経営するレストランで働いて欲しい、と。しかし彼はグロモント伯爵専属の究極シェフだ。マーヤを助けて欲しい一心で、何度も何度も手紙を送り、伯爵に直接会って話をし、ようやくボナペティ家に来てくれた。

 優先順位を間違えてはいけない、と自分達をたしなめる。残念がる両親が次にキッチン台を見ると、すでにいくつかの料理が仕上がっていた。


「十六歳の女の子だろ。そんなたくさん作っても食べられるかどうかわかんねぇし。どの料理が口に合うのかもわからねぇ。だから少量で、何種類かの料理をお試しで作ってみた」

「おお、これは! 世界各国の様々な料理が、いとも簡単に!?」

「すごいわ。それが可能になるように材料を用意したのは確かだけど、こんなに色んなメニューを作ってしまうなんて!」


 まるで魔法だ、とでも言うように夫妻は感動していた。ついつい娘のことが頭から離れ、これをどう活かそうか、どう取り入れようかという経営者の悲しい性が出て来てしまう。


「あんたらの感想はいいから、早く娘に食わせてみたらどうだ」


 それはもっともな意見だ、と我に返った両親は使用人達に料理を運ばせた。マーヤはベッドから離れられない体だ。料理をマーヤの部屋に運ぶしかない。キッチンカートに、それぞれの国ごとの料理を載せて運んでいく。

 コックはマーヤの部屋がどこにあるのかわからないので、彼らの後をついて行った。キッチンを出て、玄関ホールにある階段を上っていくと二階の廊下から子供が二人、こちらを見ている。その子供は、寝たきり娘の兄弟姉妹か。それとも使用人の子供か。わからないが、髪の色からして恐らくこの家の子供だろうと予想する。二人とも母親と同じ青い髪をしていたからだ。

 コックがじっと二人を見ると、その視線に気付いた二人は、すぐ後ろの部屋のドアを開けて中に入ってしまった。


「……?」


 コックの視線の先に気付いた母親エブリンが、困ったような声で無理に笑う。


「すみません、うちの子供達が……」

「食べられない娘の名前、なんだっけ?」

「マーヤです。さっきコックさんが見かけた子は、姉のカーラと弟のニアです。二人とも人見知りというわけじゃないんですけど、貴重なギフテッドを持つ方を見て、緊張しているのかもしれませんね」


 おほほほ、と作り笑いしているのが見え見えだった。コックはいつもの不貞腐れた顔に戻ると、思ったことを口にする。


「あの二人、マーヤって子に興味ないんすか」

「えっ」


 エブリンの笑顔が引きつる。声も上ずって、隣を歩く夫ロイドに目配せした。

 何かあるな、と思ったがやめておく。今重要なことは、自分が作った料理をそのマーヤという娘が食べてくれるかどうか、だったから。

 あえて言葉を続けることなく、ひとつの部屋にぞろぞろと入っていくメイド達を見て、ここが例の娘の部屋か……と察した。

 両親が先に入り、手招きされてコックも中に入る。とても殺風景な部屋だった。綺麗にしてあるが、どこか物悲しい。無機質な部屋に思えて、これが十六歳の女の子の部屋だなんて、言われなければわからない。

 ベッドの方へ目をやると、そこには静かに寝息を立てている少女が一人。ガリガリに痩せ細り、顔色も悪い。腕には点滴が打たれていて、オレンジ色の栄養剤がゆっくり静かに投与されていた。


 長い間ずっと、およそ六年間も少女はこのままだと聞く。ベッドに寝たきりになり、美味しい食事を口にすることも出来ないまま、餓死寸前にまで追いやられて、それでも何とか医療と魔法の力で、そのか細い命を繋ぎ止めている。

 自分の料理が、彼女を救えるのか。

 今はそれに全てが懸かっていた。

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