1−4 『病気じゃない』

 母親エブリンが、マーヤに静かに優しく声をかける。コックは気付かなかったが、メイド達の集団の中に一人の女性が――看護師が混じっていた。エブリンがその看護師に声をかけ、頷くとマーヤの腕の点滴を外して、点滴スタンドを片付けていく。

 それからもう一人、ローブを着た女性が前に出て来た。今度は何だと思いながら黙って見ていたら、ローブの女性がマーヤの額に手をかざすようにして、何やら呪文のようなものを唱え始める。

 誰にでもわかりやすいように首を捻るコックに、夫妻が説明した。


「マーヤはいつその命が尽きてもおかしくない状態なので、こうして医療と魔術――その両面からサポートとして、看護師と魔術士を常勤させているんだ」

「看護師のメイには栄養剤の点滴や、マーヤの健康状態を診てもらってます。魔術士のエイプリルには、眠りの魔法を必要なタイミングでかけてもらっています」

「眠りの魔法?」


 看護師はわかる。だが病人に魔術士が必要な理由がわからない。

 オウム返しのようにコックが訊ねると、それにはエイプリルが答えた。


「初めまして、私はギルドから派遣された魔術師エイプリルです。マーヤさんに施している眠りの魔法、スリープについてですが。いきなりで失礼ですが、動物の熊やリスがなぜ冬眠するのか、ご存知ですか?」

「は? 知らね。寒くて動きたくないからだろ?」


 ぶっきらぼうに答えるコック。それがマーヤの状態と何の関係があるのか。


「それも正解です。冬眠をする最大の理由は単純明快、生き延びるためなのです。冬の間、餌を確保するのが難しい中で生き延びるために、極力動かないようにする。そうすることで身体の消費エネルギーを抑え、春が来るのをじっと待つのです。マーヤさんの場合、人間は冬眠する生物ではないので、自らの力で眠り続けることは困難。ですから魔法の力で強制的に眠らせ、そのエネルギー消費を抑える。そうすることで、少しでもマーヤさんが生き長らえるように、私達は尽くしています」


 エイプリルの説明を聞いて、エブリンが鼻をすする。これまで長く辛い時間を過ごしてきたのだろう。その感情があふれて、堪えられずに涙したエブリンを、そっと抱き寄せて宥めるロイド。

 娘がいつ死んでしまうのかわからない、という恐怖を。

 家族は実に六年間も……。


「で? 冬眠は解いたのか?」

「えっ、はい。先ほど魔法を解除しましたから。もう意識を取り戻しているはずです」


 魔術師エイプリルがベッドから離れて、代わりに涙でぐしょぐしょになっているエブリンが声をかけた。

 いつものように静かに、優しい囁き声で、少しの刺激もマーヤに与えることのないように。


「マーヤ、起きた? 起き抜けで辛いでしょうけど、『究極シェフ』のギフテッドを持つコックさんがね。マーヤだけのためにって、特別な料理を作ってくれたのよ。ほら、体を起こせるように背中側にクッションを置きましょうね」


 そう言うと、準備していたメイドが厚めのクッションを持って待機する。ロイドがマーヤを抱き起こし、マーヤの背中とベッドの間にクッションを置いて、それにもたれ掛かるとマーヤは何年かぶりに座る姿勢を取ることが出来た。


「長くは保たないかもしれない。マーヤの体は筋肉が衰えすぎている。骨も弱い。座っただけで体にどれほど負担がかかるか」

「わかったわかった。そんじゃ、まずは……そうだな。断食した後に最初に口に出来る胃に優しい、これから食べてもらおうか」


 コックの指示通りに、まだ温かさを保っている食事がマーヤの口に運ばれる。

 両親を始め、この部屋にいる者全員が、その様子を食い入るように見守った。


 ***


「これで最後か……」


 世界各国の料理を出してきた。どれも胃に優しいものばかりだ。だがここまで来て惨敗だった。

 マーヤは小さじ程度の量を口の中に入れただけで、拒絶反応を起こすように吐き出してしまう。ただでさえ顔色が悪いというのに、さらに真っ青になるまで食事は続けられた。

 一旦やめようと口にするコックだったが、もしかしたら次は大丈夫かもしれない、と両親が急かす。次の料理で復活するかもしれない。次なら――。

 そう言い続けて、残り最後になってしまった。

 マーヤも辛そうな表情で、目にわずかな水滴が浮かんでいる。それでも本人が望んでいるのか、首を振って拒絶することなく、口を開けて待ち構える。少女の意思に負けて、コックは吐き出され続ける自慢の手料理の、残り最後をマーヤの口に運んだ。


「うっ……、おえぇっ!」


 やっぱりダメだった。どれも全く同じ反応だ。

 骨と皮だけの細い手で、マーヤは口元に手を当てて、激しく咽せる。そして吐き気を催していた声は、涙声に変わっていた。

 エブリンは泣き崩れ、ロイドもまた全員に背中を向けて肩を振るわせる。

 部屋の中にいるメイドや看護師、魔術師の咽び泣く声が、部屋中から聞こえてくるようだった。


(おかしい――)


 コックは口元に手を当てて考える。思い出す。これは異常だ。そう直感した。


(俺のギフテッドは、本人がアレルギーとかで命の危険を伴わない限り、どんなに不味くて大嫌いな食材でさえも、極上の美味に感じさせる力のはず。こんなことは初めてだ。何を食べさせても、まるで全ての食材にアレルギーを持っているみたいに……)


 ふと、記憶が蘇る。ボナペティ家へ向かう前に、コックの恩人でもあるグロモント伯爵から聞いた言葉を……。


『万に一つもないとは思うがね。もし万が一究極シェフの力を以ってしても、そのガールがボーイの料理を口にすることが出来なかった場合を、想定してみた』


 今までそんなことは一度もなかったが、伯爵は懸念していたのだ。

 コックはあり得ないと思いながら聞き流していたが、記憶を辿ると確かに伯爵はこう言っていた……気がする。


『もしボーイの料理、その全てを拒絶した時には……こう疑ったらいい。ガールの症状は病気ではなく、何かの呪い……だとね』


 そう言って、伯爵は一冊の本をコックに託した。

 ハードカバーの表紙には、怪しげな魔法陣が描かれている。パラパラとページをめくった限り、ただの本だった。

 リュックの中に、その本が入っている。


(呪い? まじか……。俺、そういう類のこと全然わかんねぇぞ)


 ベッドの上で咽び泣いて苦しむ少女。

 慌てて看護師のメイが状態を安定させるために、メイドからコップ一杯の水を受け取って、マーヤの口に含ませる。それをバケツに吐かせて、口の中を洗浄していった。

 エブリンが絶望のあまり泣きじゃくるので、ロイドが「失礼」と言って一緒に部屋を出て行ってしまった。

 マーヤを安静にさせるために、必要な者は部屋に残って看護師のサポートをし、それ以外の者は邪魔にならないように泣きながら出て行く。

 少しばかり安定したマーヤにエイプリルが、再びスリープの魔法を施して眠りに誘う。


 ガリガリに痩せ細った少女の姿が、自分と重なる。

 食べられない辛さは、身に染みてわかる。


「お腹一杯、美味いもん……食べさせてやっからな」


『召喚の儀式は、満月(フルムーン)の夜に行なうがいい。私の計算によれば、ボーイがボナペティ家に到着する、その日がちょうど満月(フルムーン)の晩だ』

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