第20話 熊本県: 阿蘇ダンジョン〜エピローグ〜
弾ける焚き火の音が耳を擽り、焦げた醤油の香りが鼻を癒す。焼肉の始まりは、そんな天国のような状況から始まった。引き上げたとうもろこしを一口齧れば、焦げた醤油が仄かな苦味を与え、とうもろこしの甘味と合わさり響の舌を喜ばせる。
「……いや待て、メインは肉だ肉」
とうもろこしに持っていかれそうになる気持ちを首を振ることで切り替えると、広げた生肉に手を伸ばした。まず選んだのは、鶏肉。最も響を苦戦させた【阿蘇鶏】の肉だ。一口サイズまで切り分けたもも肉をトングで網に乗せれば、滲み出す油と肉汁が滴り、炎が揺らめき弾ける。激しい炎の中で、桃色の肉が白く染まっていく。
(最初は、これだな)
まずは、そのまま。焼肉のタレもまた選択肢のひとつとしてあったものだが、その誘惑を振り払い選んだ、何もつけないという選択肢。
「いただきます」
手を合わせて呟くと、箸で鶏肉をひとつ摘み口に入れる。噛みしめるとしっかりとした弾力と共に旨味があふれ出す。
(美味い……!地鶏のような噛み応えに、噛めば噛むほどあふれ出す旨味が溜まらない。鍛え上げられた肉体から取れた肉だからこその味わい、特別な肉だ)
口の中に残る油の甘さを流すように白米をかきこめば、響の全身を激しい満足感が襲う。
(いや待て、次だ。次はタレだ)
響はその満足感を振り払うように首を横に振ると、続いて取り出したのは焼肉のタレ。市販のものだが、これで十分だ。輝くタレに鶏肉を浸した後、白米に乗せてタレを僅かに落とす。この工程は、焼肉と白飯を共に楽しむ人間にとってはもはや常識と言っていい。まずは、タレを付けた肉を一口で口に放り込む。
(美味い……)
その思いに浸ることもせず、響の手は動く。箸で掬い上げたのは、タレのかかった白米だ。タレによって艶が増した白米は、食欲を唆る輝きを放っている。
(熱っ……でも美味っ)
タレご飯というものは、ダンジョンで無くても十分に美味い。だがこうして自分の獲った食材と共に、普段と異なる場所で食べると、いつもの物とは圧倒的に違って思える。全く、人間の味覚というものは単純で、だからこそ愛おしいものだ。
だが、悠長に肉を焼いていては焦げてしまう。続いて出したのは、豚肉。【レインボーピッグ】の肉だ。まず取り出したのは、バラ肉。炭火焼きの網の上で、脂を弾けさせながら色を変える。
「……塩でいこう」
焼けた豚バラ肉には、塩コショウで単純な味付け。だが、これがまた美味い。塩味と胡椒の刺激が、バラ肉に含まれる脂の甘味と合わさり丁度いいバランスの上に立つ美味さを味あわせた。
(そうだ、こうしよう)
念のためとはいえ持ってきて良かったと、響は荷物からそれを出す。
「竹串〜」
どこぞの猫型ロボットの真似をしながら取り出したのは、竹串。響はその竹串に未だ焼いていない豚バラ肉や鶏肉を刺して、網の上に乗せる。
(良い音……)
響はしみじみとそう思うが、肉が焼ける音が嫌いな人間は恐らく少数派だろう。そして響は当然多数派、肉が焼ける音と香りが大好きなのである。
パチリ、パチリ
と火花が散り、脂が弾ける。一部に塩胡椒で味付けをし、一部にはタレを塗りたくる。タレを塗った方の串は焼けるのが早くなり、焦げつく危険性があるのでちょっと焦げ目が付くくらいの塩梅を狙う。
(『視覚強化』、『嗅覚強化』)
焼けたことが目と鼻で分かるように、スキルを使用して自己強化を施す。こういう時、普通の人間でなく冒険者として培ったスキルが役に立つ。こんなことをしていては一部の一般人や官僚からは怒られるだろうが、その気になれば消し飛ばせる人間の戯言よりも目の前の食材だ。まずはタレ串、肉は鶏モモと安定のチョイス。こちらはタレの旨みが噛み締める度に溢れる鶏肉の旨みとマッチして、タレの甘味が鶏脂の甘味を更に引き立てていて美味い。鶏モモのタレ串で不味くなることの方が難しいが、こちらは素材が違う。ダンジョン下層の食材なんて、地上では大物政治家くらいの地位と稼ぎがないと高くて買えやしないのだ。
(美味い……そして高級品をつまみ感覚で食い尽くす背徳感…………堪らんよなぁ)
口の中に広がった美味さに、自然と笑みが漏れる。だがその手は止まらない。続いて、豚バラ串。塩胡椒で味付けをしているため味付けは変わらない筈だが、串を刺すと何処か違って思えるのが不思議だ。
串を粗方食べれば次は牛肉だ。初めに焼くのはタン、拘る人のように焼く順番を決めている訳ではないが、牛タンはお気に入りなのである。相変わらずの良い音と共に焼けた牛タンに浸けるのは、レモン汁。使用したレモンはイタリアのダンジョンで獲れたものを輸入した上物だ。自分で行って獲ることも考えたが、ヨーロッパは冒険者の数も多いし何よりオーストリアにSランク冒険者が居る。そのSランク冒険者はヨーロッパ全土を縄張りにしているので、日本のAランク冒険者が必要とされる事態はそうそうない。
さて、焼けた牛タンを純度100パーセントのレモン汁に浸して口に運ぶと、先程までとは全く違う、爽やかな美味さが口の中を駆け巡った。タレや塩胡椒は、肉の甘味を更に引き立てていたのに対しレモン汁は甘さを緩和し爽やかに、甘くなった口の中をリセットしてくれる。そしてそれだけでなく、爽やかさの中に肉の美味さも感じられる。レモンの酸味が苦手な人にとっては嫌な組み合わせなのだろうが、この大幅な味変こそが大量に食べ物を食べる決め手だと響は思う。満足していた口の中がレモンの酸味と牛肉の旨みの合わせ技によって新たな刺激を要求し、それまで散々食べていたタレや塩胡椒の肉への欲求が、まるで自動車のエンジンを掛けたかのように再燃する。そして響は初めのようなワクワクを宿して、新たな肉に手を伸ばした。
『こんにちは〜、ひかりチャンネルの時間だよっ』
響は肉を食べながらスマートフォンでYourTubeという動画サイトからとある配信を流す。それはかつて響が助けた、ひかりの配信だ。別府ダンジョンの一件でアイドルを辞めたひかりは、元から使っていたYourTubeアカウントを利用して配信をしていた。登録者は5万人くらいで、右肩上がりに登録者を増やし続ける期待の新人だ。響は肉を頬張りながら
『今日はですね〜、師匠から教わったダンジョン風パスタを作ります!』
コメント:パスタか〜、期待
コメント:師匠居ないの?
『師匠はあんまりこっち来ないですよー、あの人は確か今、阿蘇で焼肉やってます』
コメント:流石すぎる
コメント:草
黒鉄響: どーも、焼肉しながら見てますよ
響は配信上では『師匠』と呼ばれ認知されている。直接参加したことはないが、通話でアドバイスしたりしている。キッカケは、とあるダンジョンで取得したアイテムが分からず困っていたので、通話で教えたこと。それから度々、配信上でもアドバイスを求められるようになったのである。ひかり側も気を遣って、敢えての『師匠』呼びをしているのだが、まぁ初期は荒れた。未だに荒らぶる者も居ないこともないが、しかし著名な業界関係者がこぞって『アイツは色気よりも食い気だぞ』的なことを言ったお陰で鎮火したという経緯がある。不名誉だ、割と間違ってないけど。
『師匠!焼肉どうですか?』
コメント:本人登場は草
黒鉄響:予想外の強敵に会ったけど美味い。
『へぇ、師匠が強敵って言うなら凄い強そう……。まぁそれは置いておいて、パスタ作りを始めるよ!それではまずこちらを』
重い音と共に取り出したそれを見て、コメント欄は困惑と『草』で溢れかえる。
「製麺機……?そこから??」
そう、手動の製麺機だ。パスタを作る為に、まずは麺から作ろうと言うのである。しかもこれは生放送、時間は響が焼肉をやり始めるくらいには丁度いい食事時。腹を空かせながらやる製麺などどんな拷問だ。
『いやー、でもね。説明書読んだら何分か寝かせたりしないといけないらしいんですよ。なのでその間に雑談とか出来たらなーとか思ってます』
コメント:師匠の悪影響だろどう見ても
コメント:製麺からは草
コメント:ならもっと早くからやれば良かったのでは……?
コメント:出来上がったのはこちらですってやらない感じ?
『ん?はい、最初からちゃんと作ります。事前にはなんにもー』
「ええ……」
響はそう言いながらも、表情には笑顔が浮かんでいる。響のひとり焼肉に、マナーなど最低限。人に迷惑をかけなければそれで良いと、食事中の動画視聴も、この時は解禁だ。美味い焼肉を食べながら、知り合いの動画を眺める。そうして、穏やかな時間は過ぎて行く。
◇
ダンジョンを出れば、既に時間は夜明けが近かった。今回のダンジョンでは確かに最高の焼肉が出来たのだが、損失は確かにあった。【黒鉄武者】の破損。そう、今の響は切り札を失った状況なのである。上層や中層でキャンプするなら余裕、と言いたい所だが、下層モンスターが上がってきた時に上層や中層の冒険者達を守りながら戦えるか、といえばそれは不可能だ。だから、このキャンプはここで終わり。魔法で眠気と疲労を無理矢理引き剥がし、本来宿泊する筈だったキャンプ場に別れを告げる。このような状況で『大丈夫だろう』とダンジョンに残り、そのまま命を落とした冒険者が実際に居るからこそ響は撤退を選んだ。Aランク冒険者が下のランクの冒険者に対して悪い手本となる訳には行かないのである。
「とはいえ、泊まりたかったなぁ……」
想定外の強敵と出会い、戦い、こうして焼肉を楽しんだ。だからこそ惜しいのであるが、仕方がない。
「帰るか」
少しの寂しさと、次こそは最後までという期待を胸にバイクを走らせる。薄暗く、他の車も殆どない深夜の道を、冒険者としての能力任せで駆け抜ける。一般人がやれば間違いなく事故を起こすだろうから、冒険者としての能力は非常に便利である。
「……おっ、夜明けが来る」
福岡へと向かう道を走っていると、遠い彼方から光が差した。それはまるで、未来への希望を示しているようで。
響は次へと思いを馳せながら、自宅へと向かってアクセルを踏んだ。
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