第17話 神速の一撃

 蓋を開けた瞬間、ふわりとカレーの良い香りが鼻をくすぐった。カップラーメンカレー味、冒険者でなくても簡単に購入できる商品であるのだが、食べる場所や状況で、その美味さを上昇させる脅威の食物であった。例えば、現在の響がやっているような、野外で食べる場合。この場合、その味は何倍にも膨れ上がって感じられるものだ。

 ドロリ、としたカレースープの中に、具材や麺が見える。カップから湧き立つ湯気と香りは、周囲の人間の食欲すらも引き立てる。響のサーチでは、風下にいたキャンパーがカップ麺を取り出したのを感知し、笑みを浮かべた。

「いただきます 」

アイサツは大事ということなので、一言呟いて箸を取る。割り箸を割ってスープに付けると、少し麺を持ち上げる。

「ふぅ、ふぅ…………ズズズッ! 」

湯気の上がる麺を軽く冷まし、一気に啜った。麺は細いちぢれ麺、福岡の一般的な細麺とは違った麺だが、スープがよく絡んでこの麺もまた良いものだと響は感じる。

(美味い)

感想は、この一言で足りる。ぐだぐだと御託を並べることも許さない、この安定した味と場所によるブーストの結果が生み出す美味しさは、響からいつも通り語彙を飛ばす。麺はスープの味を良く絡めており、カレー特有のスパイシーさがスープにはきちんと生きている。この味わいと温かさが肌寒い季節にはよく合うもので、慌てたように次の麺を啜る。啜る過程でスープがほんの少し跳ねるが、そんな些細なことは気にならない。謎肉、と呼ばれる肉の具材を口に放り込むと、謎ながらも安定した美味しさに、響は頷いた。そして、再び麺を啜った。

(そう……これだよ、これで良いんだよ)

響ならば、高級食材をふんだんに使ってカレー麺を作ることくらい可能だ。世界の様々なダンジョンを巡っている響なら、スパイスから拘った超豪華なカレーを作れるし、カレー麺に応用することも可能である。しかし、響はこの味が好きだった。庶民の味、といえば少し鼻に付くような気がするが、ダンジョン食材による料理の持つ特別感のある脅威的な美味さとは違う、ホッとするような、日常に溶け込んだ味も響は好きだった。Aランク冒険者から、ただキャンプ飯を楽しむ青年へと響を戻してくれる、カレー麺にはそんな魔力があるようであった。

「やっぱ舌が肥えてもこれは美味い…… 」

響は、ひとりごとを呟いた。カレーとしては、響が求める辛さに到達しない、あくまで全年齢向けのカレースープだ。それでも、このカレー麺ならば許せてしまう、むしろこの辛さ以上を求める気にならない。

「ズズズッ! 」

少なくなった麺をスープと一緒にかき込むと、よりスープの味が感じられて良いものだ。

「……っはぁぁぁぁぁぁ 」

スープを飲んで、思わずため息。胸に沁みるような温かさと美味さは、ため息でも吐かなければ受け止めきれない。

「……さっさと食お。伸びちまう 」

突然正気に戻ったのか、ボソリ、と呟くと、カップに口を着けた。変な昂りがなくたって、野外のカップラーメンというものは、至高の味わいだった。


 「……さて、行くか 」

すっかり空になったカップラーメンの容器を片付けて、響は立ち上がった。ゴクリ、喉を動かして、持ち込んだ麦茶を一口。爽やかな味わいが、口の中をさっぱりとさせる。

 この先、目指すは下層だ。いくら阿蘇でも、気を抜けば死ぬ。気を抜かなくても死ぬ。運が良くても、悪くても、死ぬ時は誰でも死ぬ。【月光】はあるし、【黒鉄武者】もある。装備は皆、点検に不備はない。終われば焼肉パーティーだからといって、レジャー気分で気を抜けば死ぬのは響である。

響は、頬を軽く叩いて気持ちを切り替える。これは、自戒だ。レジャーで来ていても、来た場所が難易度が低めのダンジョンであっても、死ぬ時は死ぬ。万が一にも気を抜き、星の数程に居るダンジョンでの戦死者に自分の名前を加えるようなことがあれば、家族や友人に合わせる顔がない。

 響は、しっかりとした足取りで立ち上がった。その雰囲気はそれまでの緩いものではなく、黒鉄のように硬く、刃のように鋭いものだ。そしてその表情は、戦場に赴く戦士のソレであった。

 結界を抜けると、直ぐに走り出す。トップスピードに乗り、広い草原を駆け抜ける。

「……ふっ 」

軽く息を吐き、一瞬の抜刀。目にも映らぬスピードで振り抜くと、虫型が1体真っ二つになって灰と化す。続いては牛型、これは上層故にただでさえ弱く、それに加えて動きが鈍いので、響としてはとてもやりやすい。 

「モォォォォォォォ!!!! 」

道端の小石を投げつければ、無害な牛も怒り出す。

「……準備運動だ。一瞬で済ませるぞ! 」

そう叫びつつ一瞬で牛に肉薄、牛の目には映らぬ速度で【月光】を抜くと、脇をすり抜けつつ切り捨てた。


「……恐ろしく速い抜刀、オレは見逃したね」

「私も……なにあれ 」

「うわっ、あいつAランクの黒武者だ……。日本でも食道楽四天王と呼ばれるキチガイだろ? Aランクでもまだマトモな部類でも、冒険者全体で見れば変態の類だ。真似できん」

「ここは肉が美味いし、BBQでもしに来たか? 」

そんな近くのパーティーが話す声をBGMに、響は高速で駆け抜けた。ドロップアイテムの回収くらいなら、走りながらでも可能であった。


 阿蘇ダンジョンの中層は、上層とあまり変わらないので退屈だ。敢えて言うならば、少しだけモンスターが面倒になるだけだ。

「「「「ブモォォォォォ!!!! 」」」」

15ほどのの暴れ牛が、列を成して響に迫る。種名は、【トレイン・ブル】。隊列を成して行動する様が電車のようだと例えられたことに由来する。ダンジョンの上層には、弱いモンスターが多いため人間に狩られやすい。だからこそ、このような場所に生息するモンスターは、徒党を組むことが多いのだ。

「集団行動のお勉強とは、随分と優等生じゃないか。先生も喜んでるだろうね 」

響は、誰にも聞かれない軽口を言いながら、鞘から【月光】を抜いた。そのまま、一歩ずつ【トレイン・ブル】に向かって歩き出す。

「……我流、【三日月】」

上段からの一撃。魔力を纏った斬撃は、一列分をまるまる消し飛ばした。魔法石や素材アイテムが、無情にも転がる。残り、10体。

「……おおっ!! 」

気合いと共に跳躍して横薙ぎの一閃、それによって先頭の1体の首と胴体が離れ、その背中を足場に左右を走っていた【トレイン・ブル】を切り捨てる。そしてそこから跳躍して、群れの中心に降り立つ。【トレイン・ブル】は敵に群れの懐の中へ入られたことで、隊列を崩して響を取り囲んだ。残り、7体。

「来い 」

1体目が襲いかかる。響は突き立てられたツノをいなしつつ背後に回ると、背中越しにその首を斬り飛ばす。

2体目、突進をツノを踏みつけて跳びあがると、周囲に斬り下ろしの斬撃を放つ。避けようとするも、それは叶わない。不規則に曲がる斬撃の雨が一気に3体を斬り捨てると、真下に魔力を込めた飛ぶ斬撃を1発、2体目を斬る。そして着地。着地の風圧で、2体目の体が変化した灰が舞い、響の威容を彩った。

残り2体の【トレイン・ブル】は逃げ出すが、響はそれに情けをかけて逃す人間ではない。

「…………ふっ 」

軽く息を吐きながら横薙ぎの一閃。それは、2体を同時に横から真っ二つに切り裂いた。

「……ん? ああ、もう全滅か 」

辺りを見回せば、【トレイン・ブル】はもはや1体たりとも残っていない。辺りには、ドロップアイテム達がゴロゴロと転がるだけであった。


「変わり映えしないなぁ 」

響は、目の前に相変わらず広がる草原に呟いた。現在地は中層、にも関わらず上層とあまり変わらない。

「ブルルルルルッ!ヒヒィィィィン!!」

鳴き声と共に強襲を仕掛けてきた【ハヤウマ】の突進を、跳び上がって躱わす。

「全く、いつもいつも気が早い 」

響は、そう愚痴を溢す。ダンジョンのモンスターとて生きており、野生の本能が備わっている。【ハヤウマ】というモンスターは、馬の姿をしたモンスターだ。自身の天敵となりうる人間というモンスターに対し、中層に辿り着いたその瞬間、という油断しやすいタイミングで奇襲を仕掛け、人間を倒すという戦術を取る。【ハヤウマ】という名前は、その速攻戦術とモンスター自体が誇るスピードから名付けられている。

「ブヒヒィィィィィン!!!! 」

「鬱陶しいなぁ! 」

最初の奇襲攻撃に失敗したと悟るや否や、【ハヤウマ】は戦術を草原を駆け回りながらのヒット&アウェイに変更、残像が生まれるほどのスピードで響の周囲を駆け回る。

「ふっ! 」

響が試しに軽く斬撃を放ってみるも、それは残像を斬るだけで手応えはない。しかし、不利なのは【ハヤウマ】側であった。斬撃こそ躱わせたが、響は全くといって良いほど本気を出していない。ヒット&アウェイ戦術に路線を変更しておきながらも、未だ一撃も放っていないのは、【ハヤウマ】がその本能で迂闊に間合いに入ると斬られることを察知しているからであろう。

「さて……勝負だ 」

響は、唇を舐めて薄らと笑みを浮かべる。周囲に殺気が撒き散らされ、【ハヤウマ】は思わず冷や汗を流す。しかしそれでも、足を止めずに駆け抜けるのは、中層のモンスターに相応しい強さであった。

(魔力を腕に集中。魔力を爆発させて、加速する……)

魔力が腕の細胞一個一個に染み渡るように充填される。振り抜く力を一気に強化し、それによって高速で動く敵を捉えようということである。圧縮された魔力は、腕に纏わりつくオーラとして可視化された。更にダメ押しとして、目にも魔力を多く纏わせる。動体視力を向上させ、確実に相手との距離を測る。【月光】を鞘に納め、居合の体勢に入る。

(素早い敵には、それよりも速い攻撃で受けて立つ……!)

目を閉じて魔力を研ぎ澄ませば、高速で動き回る【ハヤウマ】の姿がまるでスローモーションのように見える。

 響が、鯉口を切った。

「我流、居合……。【夕暮】」

まるで沈みゆく夕陽が地平線をなぞり照らすような、美しく洗練された横一閃は、既に振り抜かれていた。衝撃波が撒き散らされ、草原の植物が切り払われて空に舞う。そして【ハヤウマ】は、首と胴体が切り離されていた。その事実に気付かぬのか、首を置き去りにした胴体が高速で響の脇を駆け抜け、そのまま倒れることなく灰と化す。

「……ふぅ 」

響は【月光】を鞘に納めると、空を見上げて深呼吸をひとつ。

「さあ、行くぞ 」

続いては、下層だ。

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