熊本県: 無窮草原阿蘇

第16話 焼肉求めて馬鹿1人

 焼肉、とは魅惑の食べ物である。ただ肉を焼くだけ、ついでに野菜やらを焼いても、ただそれだけの話な筈だ。しかし、それは時として高級なコース料理を凌駕するものになりうる。1人で、はたまた複数で、網を囲み焼いて食う肉のなんと美味なことか。そして、ここにはとんでもない場所で焼肉をしようという、食道楽を極めた馬鹿が1人いた。


 ◇

 エンジン音を景気良く吹かせながら、響は愛車でなだらかな道を走る。山のようにうねる地形は草に覆われ、牛がのんびりと闊歩する。響が走っている場所は、熊本県阿蘇市。別府ダンジョンから、もはや数ヶ月。仕事をこなしているうちに夏は過ぎて、あまり趣味キャンプも出来ないままもう冬になってしまった。今回は別府と違い完全な趣味(国向けの情報収集任務はあるのだが)であった。なんとこの馬鹿は、よりにもよってダンジョンという人死にが当たり前の地で、" 1人焼肉 " をしようというのだ。あまりにも馬鹿の所業であるが、これでもAランクの中では国とまともに連絡を取って動いているため、比較的マシな部類なのである。

「ああ〜…… 」

 ヘルメットの中で、衝動任せに声を出す。勿論、音量には気をつけているのだが、そうすれば体中に感じる風も相まって、気分だけでもとても心地良く感じられる。周囲の草原は夏と違ってオレンジ色のような姿ををしていて、それがここから始まる冒険への期待を膨らませる。脳内に浮かぶのは、広がる草原にテントを立てて、美味い肉を焼いて貪る己の姿。


 ◇

 ダンジョンの駐車場にバイクを停め、受け付けを済ませる。このダンジョンは響が過去にキャンプ場のスペースを確保したところのひとつでキャンプ場は現在も運営されている。広い草原や美味しい食材モンスターも居るため、専業冒険者は攻略や宿泊によって年中人が集まっていたりする。今回はそこに拠点を置きつつ、出来れば下層まで降りて良い肉を取ってくる予定だ。とはいえ、今回は1人焼肉である。海の中道や別府では他の人間に料理を振る舞ったのは、所詮は気分だ。その時そういう気分だった、それだけの話で、今回は人を混ぜずに単独で行う。他人の手出しは、決してさせない。

 肉に対して並々ならぬ執念を抱きつつ、装備を整える。【月光】と【黒鉄武者】、どちらも整備は完璧だ。試しに月光を軽く振ると、空に登った斬撃は雲を切り裂いて消滅する。

「よし、今日も好調だな 」

 ウンウン、と満足げに頷くと、唖然とした表情でそれを眺める他の冒険者達を他所に、ダンジョンの中へと進んで行った。


 ◇


熊本県、阿蘇ダンジョン。その性質を一言で語るならば、草原だ。阿蘇山の裾に広がる広大な大地と自然、そしてそれを利用する人と生き物、といった縮図がこのダンジョンに含まれている。因みに、本来の阿蘇では、草原の維持のために野焼きが行われているものだが、ダンジョンは草原という概念に基づいているらしく、年中無休の草原である。響がこのダンジョンに焼肉をしに来た理由は、草原で家畜の飼育が行われている阿蘇をモチーフとしているため、豊富に肉が取れるからだ。最も、響は現地調達する分以外にも食材を持ち込んでいるので、肉以外に困ることもない。

 意気揚々と乗り込めば、広がる草原が目の前に広がる。偽物の空は青く澄み渡り、心地よい風が流れる。足元の草原は、外と連動しているのか、枯れてオレンジ色となっているのだが、それがまた違った趣を感じさせる。そして、遠くからは牛や馬の鳴き声が聞こえてきて、微かに動物園のような匂いも鼻をつく。人によっては顔を顰めるような動物の匂いも、響にとっては阿蘇ダンジョンらしさを感じられて意外と悪くないものであった。

 響が遠くを見つめると、数キロ先に巨大な半透明のドームが見つかった。それが、響が場所を確保することで作られたキャンプ場、阿蘇キャンプベースだ。道具こそ自前だが、バーベキューができる有料のスペースや、魚モンスターを養殖しており、お金を支払うことで釣って食べられる釣り堀などがあるが、それらはダンジョン内での建設を担う、専門の土木業者が作っている。最も、キャンプ場の結界を含めた材料は、その多くを響が取りに行った訳であるが。

 響は、草原を呑気な顔で歩いていた。というのも、周囲に居るのは刺激を与えなければ気性の穏やかな牛型モンスターばかりで、上層の牛なので下層狙いの響からすれば態々殲滅する程ではない。また、偶に虫型が寄ってくるが、最悪素手で蹴散らせる。そもそも、この阿蘇ダンジョンは戦闘メインのダンジョンではない。下層となればやはり強いが、日本でも数少ない深層に到達できたダンジョンでもあるほどに難易度は低い。自然が美しいダンジョンというのは、難易度が上下の差が激しいものだが、阿蘇ダンジョンはそのうち下という訳だ。

「ギャッ!? 」

通りすがりの虫型を拳で粉砕し、灰にする。年中に渡り人が多いだけあって、周囲では敢えて牛型を刺激して戦っている冒険者や、虫型相手に苦戦する冒険者を見かけた。響は、散歩がてらで軽く手を貸しつつも歩いた。といっても腕を一本もぎ取るなどその程度の手助けであったのだが、レジャー感覚で訪れた冒険者、特に新人はそれなりに多く、何人もの冒険者を助けるハメになった。その過程で、自身の想定以上に黒鉄響の名前が世間に知られたと知って少し頭を抱えたのだが、それは態々深掘りする必要がない話だ。



「おう! 黒鉄さんじゃないか!! 久しぶりだなぁ、またキャンプかい? 」

そう機嫌よく言うのは、阿蘇キャンプベースの管理人だ。冒険者としては実力があまり伸びず、結局はキャンプ場の管理人という立場に落ち着いた。

「ええ、デカいヒトヤマ片付いたので 」

響は、さぞ苦労した、というふうに苦笑した。響は日本国の要請で1ヶ月ほどペルーに飛び、アンデス山脈にある小規模ダンジョンを幾つか潰してきた。ダンジョンは上層から深層まであるのが通常だが、規模や誕生してからの成長具合によっては下層や深層がない場所もある(難易度的な意味での下層、深層であって、ダンジョンの底という意味では流石に存在する)のだが、ダンジョンはその最下層へ行き、その核となっている魔石を回収することで消滅する。そのダンジョン消滅と、深層まで深く根を張ったダンジョンでは氾濫防止の為のモンスターの間引きを手伝った。その大仕事を終えて帰国したのが、つい1週間前の話。暫くは国外派遣などの任務もないためこうしてキャンプに来たのだ。

「アンタのことだ、また面倒ごと押し付けられて頑張ったんだろ? ま、利用料はまけといたげるよ 」

そう言う管理人に、響は笑って首を横に振る。

「いやいや、僕の金は余るほどあるしまだまだ入ってくる予定はあるので、普通に取ってもらっても問題ありませんよ 」

響の態度に、管理人は微妙そうな表情をした。

「全く、命懸けとはいえ、若けぇのに金持ちたぁ、羨ましいのか羨ましくねぇのかハッキリしねぇな。だがま、気にすんな。これは俺の厚意ってやつだからな、金持ってようが遠慮せず受け取っとけ。それ以上はサービスしないからさ 」

響は、その言葉に両手を挙げて降参の意を示した。こうまで言われて遠慮するのは、却って相手に失礼だ。有り難く受け取っておくのが処世術というものだろう。

 世間話もそこそこに管理人と別れ、キャンプ場内を散策に移る。足元に自生する草も結界外より短く刈られ、より歩きやすくなっている。響が目指すのは、結界の端の方だ。その辺りは、万が一結界が破られた時を想定し、あまりにも混んでいない限りは無人に等しい領域だ。上層モンスターの攻撃では、そもそも響の肉体を超えられないので、その万が一が起きても全く問題がないのだ。そんな事情もあり、キャンプ場の端まで歩くと、目を付けていたスポットには誰も居ない。少し離れたところに何組かはいるが、ソロキャンプの空気感を阻害することはないだろう。

「よっこいせ…… 」

響は、そうオジサンの如きかけ声と共にテントをポーチから出すと、草原に置いた。コンパクトに纏めるための袋からテント本体を出すと、ポールにいそいそと布を通し始める。それが終われば、ポールを組み立てる。響の使うテントはドーム型、組み立てていくうちに丸い原型が見えてくる。

「よいしょっ……と 」

誰も聞いていないのに、独り言のように掛け声を呟きながら、ペグを打ち付ける。これによって、テントは地面に固定された。立て終わったのを確認すると、テント内にシートを敷く。続いて取り出したのは、シュラフ。すなわち寝袋である。テント内にいつでも寝られるように仕舞い込む。続いてポーチから取り出したのは、焚き火台。これは草原地帯の阿蘇ダンジョンで焚き火をする際には大事なものだ。キャンプ場のマナーを守らない人間はダンジョンの内外問わずにいるものだが、草原で地面に薪を置いて焚き火をする、というのは洒落にならない。キャンプ場のルールを守るのは、キャンパー以前に人として義務である。

 さて、焚き火台を設置すると、次に出したのは椅子だ。何かする際に椅子がないとリラックスができない。これは、部品の取り付けも要らないような簡単組み立ての為、すぐに出せる。そうして、金属製の机と暗くなった時用のランタンを出し、最後に周辺を自前の結界で覆って仕舞えば、響の拠点が完成した。因みに、拠点周辺を結界で覆ったのは、響の使う高価なアイテムが盗まれないようにする為である。人が多く集まる上層では、このような準備も必要であった。

「ふう……良い仕事した 」

響は、額を拭う仕草をして言った。テントを建てる、などの作業は響にとっても中々面倒なものであるが、それを敢えてやる、というのが響のダンジョンキャンプだった。実際、拠点作りを終えた響の表情は、達成感による笑顔であふれている。


 カタカタカタカタカタカタカタ

そう音が鳴り、響は読んでいた本から目を上げた。目の前には、ガスコンロとその上で震えるヤカンの姿。響は本に栞を挟むと、机の上に置かれたソレ----カップラーメン、カレー味に注ぎ、蓋をした。『旅のお供にカレー麺 』とはどこぞのアニメで言われていたが、それはダンジョン飯という高級食材の宝石箱があっても変わらない。夕食は焼肉をがっつりと頂く予定なので、昼は少なめなのだが、青い空の下、心地よい風と旅の空気に当てられながら食べるカップラーメンは、もはや言葉にできない特別感と幸福感を齎すものだ。蓋を閉めて3分間、これは短いようで長かった。1日24時間という時間の中ではほんの少しな筈の3分が、あり得ないほどに長く感じるのだ。作られている最中のカップラーメンを目の前に、響はついソワソワと体を動かす。気休めにと本を開いてみるが、あまり集中できない。響は己の浮かれっぷりと落ち着かなさに苦笑していると、セットしていたタイマーか

音が鳴る。


響は、逸る気持ちを抑えつつ、そのフタを開いた。

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