第15話 久留米ラーメン

 久留米ラーメンは豚骨ラーメンにおける本場と呼ぶべき場所である、と誰かが言った。豚骨ラーメンにおいて必須ともいえるあの美味なる白濁スープ、それは久留米の地で生まれたと言われる。こってりとした濃厚な味わいのスープ、固くツルリと食べられる麺、口の中で旨みの暴力を放つチャーシュー、その他もろもろの、店の拘りによって加えられた珠玉のトッピング達。豚骨ラーメン好きな響にとって、久留米ラーメンは相当に好ましい部類のラーメンであった。

 「さて、今回我々が頂くラーメンは、大宝たいほうラーメンだ 」

「イェーイ!!!! 」

響の宣言に、明里は笑顔で手を振り上げる。

「久留米ラーメン……美味しいんでしょうか? 」

好奇心と警戒心が混じった様子のひかりに対し、明里は肩を組んで近づく。

「そりゃあねぇ。豚骨ラーメンは福岡県民のソウルフード!美味しくないと生き残れないよ! 」

明里が、テンション高めに力説する。

「悪いな。この馬鹿は空腹状態でラーメンの味を想像をしてしまったんだ。何度も食った味だから、よりリアルに思い出しちまったんだろうさ。ま、味の保証はしておくよ。好き嫌いはあるから絶対とは言わないが、ちゃんと美味い店を選んでる 」

響は苦笑して言うが、その目はなんだかんだで明るい。

「あはは……。ラーメン、お好きなんですね」

ひかりは、彼らのテンションに若干置いてけぼりにされつつ言った。

「まぁな、明里も言ったがここは福岡県。ラーメン好きは多いだろうし、僕らもその中に含まれるラーメン好きだ 」

響は、ひかりの戸惑いを微笑ましげに見つつ言った。

「お兄ちゃーん、まだぁ!? 」

「駄々を捏ねるな女子高生! 穂村も居るのに恥ずかしいだろうが!! 」

「あはは…… 」

腹ペコの明里が騒ぎ、響がツッコミを入れ、ひかりが笑う。車は3人を暖かい空気に包んだまま、彼らをラーメン屋へと誘った。


「着いたぁ……、んだけどやっぱ多いよね 」

明里は、諦めまじりの表情で呟き、空腹で騒いでいたとは思えない大人しい姿にひかりは意外そうな目を向ける。

「意外そうだな。……明里も、常識は弁えてるし、この店の人気具合は知ってるから並ばないといけねぇことは分かってるさ 」

響は、そんなひかりに笑いつつ告げると、ひかりはぽっ、と顔を赤くした。

「……んでさ、お兄ちゃん 」

明里がジト目で響に詰め寄る。

「なんだ? 」

「お兄ちゃん、変装してくれば良かったじゃん。……注目されてる 」

「あっ…… 」

明里が周囲の視線に苦言を呈し、心当たりのあるひかりが焦った様子で声を漏らす。

「ひょっとして、アレか? 別府の件があったが 」

響は、心当たりのある事件を口に出す。『shiny days 』でも注目されていたが、それは日本のダンジョンキャンプ業界では響の知名度は高く、キャンパーでなくてもBランクの上澄みくらいになればAランク全員は把握している。そしてそれを響は知っているからこそ視線を気にしなかったし、周囲の冒険者も彼がAランク冒険者の黒鉄響と知っていたから、あからさまに分かりやすい変装だった(冒険者基準)、元アイドルの穂村ひかりが近くに居ても声を掛けなかったのである。一方のこちらは、一般人が集う店。【黒鉄武者】が某特撮ヒーローのような装備であった上に冒険者としての実力もあった響は、一般人からの知名度と人気が上がっていたりするのだが、別府の一件で起きたSNS炎上以降、SNSから離れていたことで知らなかったのである。

「えぇと……わたし、行きましょうか? 」

注目を逸らす為に変装を解こうとするひかりを片手で制し、響は首を横に振った。

「声を掛けられないなら放っておこう。僕らは別にサービスする義務はないからな 」

その少し大きめな音量で発された言葉のお陰か、響の手間は偶に声を掛けてくる子供の相手くらいであった。


店に入ると、様々な声が耳を打つ。ガチャガチャとした音と元気の良い店員の声。真剣に、また和やかに、と様々な態度でラーメンを啜る人達。騒がしさはあれど、ひかりはその騒がしさに不快感を感じなかった。3人は、厨房が見えるカウンター席に案内され、並んで座る。

「いらっしゃいませ。ご注文がお決まりになりましたらお呼びくださいませ 」

店員の男性が、お茶の入ったコップを運んできて、注文のシステムを手早く説明して去ってゆく。大宝ラーメンのシステムは、場所によって異なる。例えば、厨房に近いカウンター席では直接。遠いテーブル席や座敷ではタブレットが用意されている。これは、過去に大規模なウイルスの流行が起こった時に導入されたシステムであった。

「ほい、メニュー。僕らは決まってるからな。じっくり考えてくれ 」

響がメニューを見ずにひかりに渡してそう言い、明里も頷いた。ひかりはメニューを開き、目を見開いた。

(お、美味しそう……)

そこにあるのは、まさにカロリーの暴力とも言うべき料理の数々だ。ラーメン、餃子、焼き飯、といったメニューが写真付きで載せられており、ひかりの食欲を唆る。

(どれどれ……。基本のラーメンに、それよりこってりめの昔ラーメン。ううん、迷うなぁ。戦略としては、サイドメニューは一旦捨てて、ラーメンを食べることに集中するのがベストかもね。わたしもそこまで大食漢じゃないし……。トッピングは……要らないね。麺の固さ? よく分かんない、普通が無難かな。問題は、わたしが本場の豚骨ラーメンを食べたことがないってこと。豚骨なんて、それこそカップ麺やインスタント麺で食べたっきり……。さぁ、どうする?)

ひかりは悩みに悩む。そして数秒後。

「決まりました 」

「了解、……すみませーん! 」

響が店員を呼んだ。


「ラーメンのかためんひとつ。明里次だ 」

「ええと、昔ラーメンの普通めんで。ひかりちゃん、注文は? 」

「う、うん……。ラーメンの普通麺ひとつ、お願いします 」

「他にはないな?……以上です 」

響が3人が注文を終えたことを確認すると、店員に注文が済んだことを伝える。その店員は、注文内容を繰り返すことで確認すると、厨房へと注文内容を叫びながら戻っていった。


 「お待たせ致しました、ラーメンの普通麺です 」

店員の言葉と共に差し出された器を受け取ると、ひかりは目を輝かせた。豚骨によって形成された濃厚なスープという海に、刻まれたネギや海苔、チャーシューが浮かぶ。スープの合間に見え隠れしている麺は、細く真っ直ぐとした形状だ。


「いただきます 」

ひかりは、挨拶をするとまずはレンゲでスープを一口。

(美味しい!)

ひかりは、思わず顔を上げた。脂の浮いたスープは、こってりとしていて、故に衝撃的なまでの濃厚さを実現する。豚骨スープならではのクセ、というものはカップ麺などと比べても強いため苦手な人は苦手だろうな、と思いつつもひかりはそれが良いと感じる。

(クセはある。でも、これはそのクセごと楽しむラーメンだ…‥)

元とはいえアイドル、冒険者活動をしているとはいえカロリーは気になる。だがしかし、スープによって刺激された食欲の前に、カロリーに対する自制心など風の前の塵に同じだ。欲望のままに、今度は麺を啜る。

(あぁ……良い)

スーパーなどで売られている中華麺と比べても、かなりの細さをした麺である。真っ直ぐとしたその細い麺は、普通麺といえど固めだと言えるだろう。しかし、それ故に細麺は口の中へ素早く押し寄せる。スープの旨みをその身に絡ませて。麺を二口、三口と啜れば、するり、するりと口の中で旨みのテロを起こす。続いて目に入ったのは、海苔。スープに浸され、自慢のパリパリさを失ってしなりと萎れている。パリパリを期待していただけに少し残念がりながら海苔を口に入れ、その残念に思う感情は吹き飛んだ。

(スープ、染み込んでる……!)

海苔の風味に上乗せする形で、豚骨の濃厚スープの味が染み込んでいた。しかも、いかに濃厚であれどもその味は海苔の風味を潰して成り変わるものではなく、海苔とスープは共存していたのだ。持ち上げた時に、ひたりひたりとスープの雫が零れ落ちていたのはそう言うわけか、とひかりは納得して頷いた。そうして、麺に戻って再び何口か啜ると、続いてはチャーシュー。チャーシューといえば、ラーメンなら殆どの店で使われる定番トッピングだ。ここまでが美味しかったのだから、とひかりはワクワクした表情で口へ運んだ。

(そうそう……これで良いのよ)

ひかりは、思わず頷いた。柔らかいチャーシューの味は、ひかりの期待をやはり裏切らない。思わず笑みを浮かべ、誤魔化すようにスープを飲む。

「合うなぁ…… 」

スープの中のネギの味は、生きていた。こってりとしたスープの強さの中で、ひっそりと主張していた。そのほんの少しのアクセントが、ひかりの辞書から『飽き』の文字を奪い去る。こってりとしたスープを飲み、麺を啜り、その合間に少しずつトッピングを食べてゆく。時々、お茶を口に入れると一気に口の中を爽やかに仕立て上げ、残りのラーメンへの意欲を掻き立てる。ふと周りを見ると、響は麺のみのおかわりである、替え玉の段階に入っていた。真剣な表情で、黙々と食べている。一方の明里は、昔ラーメンのスープをちびちびと飲んではお茶を飲み、を繰り返している。中身は既に食べ終わったらしい。2人の進捗具合を確認し、再び食べ始める。トッピングはもうスープ内を漂うネギくらいしか残っていないが、麺とスープだけでも幸せな気分だ。と、思っていた時に麺が尽きた。そしてやってくる満腹感。

(いつの間に……)

ひかりは、愕然としつつも食事を終えるためにお茶を口に含み……、いつのまにかスープを飲んでいた。

(!? )

「……出たな 」

驚愕するひかりを他所に、響は笑った。

「私も苦しめられた、無限スープの罠……。『ごちそうさま』をしようと思っても、スープが飲みたくて堪らなくなる現象。気持ち、分かるよ 」

明里は神妙な表情で言うが、明里の器はスープすらも残っていない。つまり、明里も同じ現象に襲われ、そしてカロリーの塊であるスープを飲み切ってしまったのだった。

「……くぅ! 」

ひかりは、誘惑とカロリーを天秤にかけ、そしてーーーーーー


 「スープ全部飲んだけど、冒険者なんだから戦いでなんとかできるさ 」

響は、ひかりと合流したホテル前でそう話す。時間をかなり巻き戻して、の話だが、ひかりはスープを飲み切った。誘惑に勝てなかったのだ。

「もう暫くダンジョンには行けないんですよ……。明日には東京へ帰って、別府ダンジョンの事後処理がいろいろと。はぁ…… 」

カロリーの摂りすぎに複雑な表情でため息を吐くひかり。カロリーを中々消費しきれない状況、というのも理由としてはあったのだ。


 「じゃあ、何かあれば連絡してくれ 」

「元気でね、ひかりちゃん! 」

「色々と、お世話になりました!! 」

そう交わして、2人と1人は別れた。いつかまた会えるかは分からない。それでも、3人の縁は確かに繋がっていた。



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