ep-5 エミリアの愛

「豪族の館で私を見て……ゲーマ様は驚いているようでした」

「そりゃあな。エルフなんて稀少種だ。突然エミリアを目にしたら、絶句するわな」

「いえ……服から覗く……私のあざに」

「そうか。鞭打ちの痕か……」

「それに私は……表情を失っていましたし」


 無感情でぽっかりと地獄の穴のように開いただけの瞳とか見ちゃえば、そりゃそうだろう。


「それでゲーマ様は、男と祝杯を上げたのです」

「はあ、エルフが手に入って万々歳ってか。前のゲーマ、つくづく嫌な野郎だな」

「いえ……」


 エミリアは首を振った。


「ゲーマ様の策略でした」

「はあ……」


 どうやら、ゲーマは酒に毒……というより魔法薬を混ぜたらしい。ヘクタドラクマコイン案件絡みで、国王から下げ渡された。


 それで豪族の男は、生きたまま地獄に落ちた。安寧あんねいの待つ冥府冥界でなく、地獄に。苦悶の表情を浮かべたまま目を見開き、男は倒れ伏した。こうなるともう、動くことも死ぬこともできない。地獄で焼かれた尽くした魂が消滅する、その瞬間までは。


 隷属の首輪を外すと、ゲーマはエミリアを解放したのだという。


 独りで生きていけるか……と問われて、エミリアは首を振った。自分が誰かもわからないし、暮らすすべも知らない。それどころか、生きる意志自体がなかった。自らの原罪と男の虐待に、魂を磨り潰されていたから。


 どうしたらいいかわからない、命令がないと――。それしか口にしないエミリアに、ゲーマは告げた。それなら俺の庇護下に入れ、命令だ、手伝ってもらいたい仕事がある――と。


 こんな会話があったそうだ。


「奴隷に……なれば……いいの? この男の元を離れて」

「そう思うならそれでもいい。とにかく俺がお前に、日々の飯と寝台を与えよう。だから手伝ってくれ」

「それが……命令……なら」

「かわいそうに。自分の意思を潰されたんだな、徹底的に」

「……わからない」

「俺の馬に乗れ。命令だ」

「……」


 自分の鞍の前に、エミリアを跨がらせた。ゆっくり馬が山道を進み始めても、ゲーマの腕に抱かれたまま、じっとしている。


「エルフ……お前の名は」

「……ない」

「こいつにはなんと呼ばれていた」

「おい……とか、こら……とか」

「ならばお前は、エミリアだ」

「エミリア……」

「ああ、それが今日から、お前の名前だ」

「エミリア……」


 閉じた瞳から、つうっと涙が流れたそうだ。名前があるなんて……なんて幸せなんだろう、と感じて。


「お前は俺がもっと幸せにしてやる。その心が……鎖から解き放たれるまで。そうしたら俺の元から離れ、故郷に帰るといい」


          ●


「ゲーマ様は、そう仰ってくれたのです」


 エミリアの長い話は終わった。


「それで俺の……というかゲーマの奴隷になったのか。隷属の首輪すら巻かれていないのに」

「はい」

「ゲーマ様は……ヘクタドラクマコインに夢中。他のことなど眼中に無かったのです。日々は平穏でしたが私は、常に痛みに苦しめられていました。原因のわからない、心の痛みに……」

「過去のトラウマだな。故郷を襲った悲劇の」

「だと思います。でもなにしろ思い出せなかった。きっとなにかの罰だと思っていました。私は仕事に没頭しました。ゲーマ様に食事を提供し、貸金の管理を手伝い……。命令で動いている間だけは、辛さを忘れることができたので」

「そうか……」


 穏やかに時は過ぎ、長い時間をふたりで暮らすうちにいつの間にか、魂は癒えていたと、エミリアは教えてくれた。ほっと息を吐くと、微笑んで。静かな日々を思い出しいつくしむかのように。


 おそらくだが、手伝うというミッションを与えられ夢中になって、余計なことを考えずに済んだためだろう。規則正しい日々の暮らしで、心も整って。


「辛い過去はすっかり忘れていたんだろ。いつ思い出した」

「ある日、仕事から戻ってきたゲーマ様は、私と一緒に食事がしたいと仰いました。これまで……一度もなかった……。ゲーマ様は仕事だけに集中していたから」

「俺が憑依転生したからだな。……嫌だったか」

「……」


 黙ったまま、首を振った。


「その日からゲーマ様は変わった。前のゲーマ様も……優しかった。……けれど手助けする機械のように、私を扱った。ゲーマ様の瞳は、なにか遠いところだけを見ていたから。全身全霊で。多分……王宮の深いところを……」


 ヘクタドラクマコイン絡みだろうな、おそらく。


「新しいゲーマ様は……私を……家族のように……」


 こらえ切れなかったかのように、俺の腕を胸に抱いた。メイド服の胸に。


「優しくされて、私の記憶は……魂の奥底から顔を出した。徐々に……。臆病な子猫が……暖かな寝床から外の世界を覗き見るように……」

「だんだん思い出したんだな。エルフの里に育ったことも、両親の死も、力の暴走も」

「はい。……でも」


 俺の腕に、頬を擦り寄せた。


「でも辛くはなかった。ゲーマ様のお側に居れば、私は幸せだと。それで……ある日、気づいた」


 呟くような声だ。


「自分はゲーマ様が……好きなんだと。誰でもない私、名前すらない私に、エミリアという素敵な名前を下さった元のゲーマ様が……。優しく、大事にして下さる新しいゲーマ様も……」

「そうか……」

「けれどある日、私の力は暴走した。自分でも制御できないまま……」


 地下洞窟で、マルトゥを倒した暴走だな。謎の古代神を瞬殺したエミリアは昏倒した。激しく発熱して。まさに力の暴走としか言えないよな、あれ。俺を助けるためとはいえ……。


「また全てを失う……。大切なものを全部……自分で壊して……。私は……私が怖い……」

「お前はいい子だよ」


 右腕を回すと、抱いてやった。


「あの助けがなかったら、俺は死んでた。シャーロットも、ルナも。もちろん俺の前世、モブーも……」

「いえ……いつの日か、私はゲーマ様を殺す。あの暴走で。たまたまあのときは、暴走がこちらに向かなかっただけ……」


 胸に熱いなにかが落ちた。


「それが私の宿命なの……。だからもう、死んだほうがいい。大好きなゲーマ様を……殺す前に」


 そうか。あの夜エミリアは、俺のことを「好きになれない」と言った。それは「好きじゃない」という意味ではなかったんだな。「好きになってはいけない」という事だったんだ。そして「嫌い」と突き放した。俺を慕う自分の心を、封印するために。


 馬鹿な奴だ。たった独りで過去の苦しみを抱え込まず、話してくれれば良かったのに。わずかなりとも、力になれたのに。それに……。


「泣くなエミリア。俺もお前が好きだ。だからそんなこと言わないでくれ」

「ゲーマ……様……」


 驚いたように見上げるエミリア。唇が震えていた。


「あの……」

「俺も好きだ。いつかお前に殺されたって構わない。俺と人生を分け合ってくれ。死が……ふたりを分かつまで」

「ゲーマ……様……」


 瞳が潤んだ。……と見る間もなく、涙の粒が次々に溢れてきた。


「愛して……います……ゲーマ様」

「エミリア……」

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