第一部エピローグ

ep1 震えるフローレンス

「とにかく落ち着け」


 俺の部屋。まだ震えているフローレンスに、カップを持たせた。鎮静作用のある茶が、湯気を立てている。カップは小刻みに震えている。


「ほら、飲んで」

「え、ええ……」


 ひとくちずつ時間を掛けて、フローレンスは茶を口に運んだ。


「ありがとう、ゲーマ。……それよりエミリアは」

「大丈夫」


 寝台を、俺は振り返った。


「ルナとシャーロットがついてる」


 エミリアは寝台に寝かせている。シャーロットがつきっきりでポーションを使い、ルナが回復魔法を施している。外から見る限り、戦闘中のフローレンスの魔法で傷口は塞がっている。しかし内部の損傷だってある。それに魔法で治療したとしても、受傷による魂の損傷は回復しないとされている。当分、エミリアは休ませてやらないとならない。


「ゆっくり飲め」

「うん」


 肩を軽く叩いてやると、俺は寝台に腰を下ろした。シャーロットを見ると、頷いてくれた。


「もう傷はほぼ大丈夫」

「そうか」

「ボクの治療も、もう不要だね」


 ルナの体から、緑の発光が消えた。


「後は……魂だけだよ、ゲーマ」

「しばらくのんびりさせてあげなさいよ、ゲーマ」

「わかってるよ。家事は俺がやる」

「いけません……ゲーマ様。私が……」


 体を起こそうとするエミリアを、そっと横たえた。


「気にするなエミリア。俺はほら、痩せないとならないからさ。作業がちょうどいい運動になる。それに前世、前々世の俺は、普通に自炊してた。底辺だったからな。こう見てて料理、結構好きだったんだぜ」


 嘘だけどな。自炊はたしかにしてた。けど出来上がるのはもやしと玉子のゴマ油炒めとか、激安乾麺使ったカルボナーラもどき(麺を塩強めで茹で、生玉子と牛乳でかき混ぜ胡椒振るだけ)とか。要するにそういう、低コストでがさつな男料理だわ。味付けも適当で、どんな料理でもとりあえずゴマ油とか麺つゆ投入すればなんとかなる――が、俺のライフハックだった。


「でも……」

「いいんだ」


 頬を撫でてやった。


「お前は命の恩人だ。当然だよ」

「ですが……」

「まず体を休めろ。命令だ」

「命令……。はい」


 エミリアの瞳が潤んだ。


「そのように……致します」


 頬を撫でる俺の手に、自分の手を重ねた。


「私には……もったいない……」

「先程の話だけど……」

「……」


 エミリアが目を見開いた。


「お前が治ったら、今度ゆっくり事情を聞く。それまでは何も言うな。話さなくていい。悩まなくていい」

「……」


 無言で頷く。例の「俺を殺す」件なのは、口にしなくても伝わっているはずだ。


「ありがとう……ございます」


 透き通った涙が、ひと筋、流れた。


「よし。ならみんなで寝よう。疲れただろ」

「そうね」

「ボク、もう目がしょぼしょぼだよ」

「フローレンス。今から寝るが、それでいいか」

「ええ……。ごめんなさい、みんな寝てたのよね。……夜着だし」

「まあな。お前はとりあえず、シャーロットの夜着を借りろ。……いや、エミリアの夜着のほうがいいな」

「ちょっとゲーマ、それどういう意味」


 シャーロットに睨まれた。


「わたくしの夜着だと、胸がキツくて苦しいってことでしょ」


 まあそうなんだけど。とはいえシャーロットだって、別に胸が小さいってわけじゃない。気にしすぎだわな。


「そんなことないよ。エミリアの夜着がいっぱい届いたところだろ。ちょうどいいからさ」

「本当ぅー?」


 疑うような瞳。


「いやマジだって。シャーロット、エミリアの部屋に案内してやってくれ。そこで着替えて、ふたりで寝ろ。エミリアの寝台は狭い。そこは悪いけど、ひと晩だけ我慢してくれ。明日からは……なにか考えるからさ」


 人も増えたし、ぼろぼろの部屋のうちひとつを清掃して寝台を持ち込み、そちらを女子部屋にしてもいいしな。今まで毎日にぎやかで楽しかったけれど、ルナを腹に乗せて眠れば寂しさも紛れるさ、きっと。


「……そうするわ。ほら、フローレンス」

「うん……」


 シャーロットに手を取られて、フローレンスは出ていった。


「……さて、こっちも寝るか」

「はい……」

「俺とふたりっきりで悪いな、エミリア」

「ぷぷっ」


 ルナが噴き出した。


「ゲーマったら、さすが悪役。怪我で弱ったエミリアだけ寝台に残して、何する気? ねえねえ、何するの、ゲーマ。ねえねえ」

「やかまし」


 またデコピン迎撃してやったわ。もう俺、ルナの撃墜王だな。だいぶ慣れてきた。


「なんもせんわ、アホ」


 寝台に入ると、左腕を伸ばした。


「おいでエミリア。湯たんぽになってやる」


 一瞬、ためらっていたが、大人しく俺の腕に頭を乗せてきた。


「ありがとう……ございます」

「くっついても痛くないか。……怪我」

「はい」

「良かった。ほら」

「あっ……」


 ぐっと抱き寄せた。


「ゲーマ……様」


 戸惑っているようだが、それでも俺に体を任せてくれた。手を俺の胸に乗せ、脚も俺の脚に絡めるようにしてくる。


「あの……私……」

「さっきの件なら、今は聞かない。そう約束しただろ」

「……」


 黙っちゃった。俺を殺す運命だとか言ってたもんな。ゲームのクエストとしてはどえらく重い奴だが、「すぐ殺す」ってニュアンスでもなかったからさ。エミリアが癒え、落ち着いたときにゆっくり事情を聞くわ。なに、それから対策を考えればいい。どうせ俺は悪役だ。死亡フラグだってそこら中にあるだろうさ。


「ルナ、お前はここだろ」


 腹を叩いてやると、わーいと言いながら着地してきた。


「ゲーマあーぼんぼんーやわらか~い」


 謎の鼻歌。


「魔法でブランケットを飛ばせ。体に掛けてくれ」

「うん」

「終わったら魔法で灯り消してな」

「はーいっ」


 部屋が暗くなったと同時に、入り口の扉が開いた。


「……」


 廊下の魔導照明を受けて、ふたりの影が黒く抜けている。


「……どうした」

「フローレンスが、ここで眠りたいって」

「はあ……」


 後ろに立ったフローレンスは、シャーロットの服の裾を握り締めている。シルエットを見る限り、フローレンスも、もう夜着姿のようだ。


「男と一緒だぞ。いいのか」

「ええ。もう私、ゲーマの仲間だもの。いずれ馬車で旅すれば、全員で雑魚寝でしょ」

「そりゃそうだけど……」


 まあたしかに。ここで慣らしておいたほうがいいかもな。


「それに……あの……正直、こ、怖くて」


 声が震えている。


 そうか……。そりゃそうだよな。幼馴染のアンドリューがおかしくなって殺人した上に、襲いかかって来たんだもんな。返り討ちで死んで……。これがたった一日……というか数時間だからな。そりゃ気も動転するわ。


「ごめんな。俺、気が利かなくて」

「いえ。……私が悪いの」

「いいよ。おいで」


 ブランケットをまくってやる。俺の隣にフローレンス、その向こうにシャーロットが入ってきた。多分、ふたりで決めてきたんだろう。


「じゃあ、おやすみ」

「……うん」

「なにしてんのよ、ゲーマ」


 シャーロットの声だ。


「な、なんだよ」

「あなたは歩く精神安定剤でしょ。そのぽわぽわのお腹で」

「はあ……」

「なにぼうっとしてるのよ。フローレンスは怖がってるのよ」

「お、おう……」


 なんやらよくわからん。だがどうも、抱いてやれって言っているようだった。はいはい、抱き枕俺様ね。悪役金貸しを抱き枕扱いは、さすがにどうかとは思うが……。


「ほら……」

「……」


 試しに抱き寄せてやると、遠慮がちにくっついてきた。ただ両手を前にして、俺と胸がくっつくのは避けているけど。まあそりゃそうか。別に俺の彼女になりたがってるわけじゃないもんな。怖いからあったかな抱き枕が欲しいだけで。


 エミリアともシャーロットも違う、フローレンスの香りが、胸の間から立ち上ってくる。若い女の子ならではの、甘い。


「わたくしも……」


 フローレンスの背中越しに、シャーロットが俺の腹に手を伸ばしてきた。フローレンスの体を俺に押し付けるようにして、腹を撫でてくる。


「これよこれ。はあー落ち着くわぁ……」


 はあそうすか。お前、マニア気質だろ。


「ほらフローレンス。さっき説明したでしょ。あなたも撫でるのよ」

「で、でも……男の人だし……」


 戸惑っている声だ。部屋は真っ暗だから、表情はよくわからない。


「いいのいいの。こいつはぬいぐるみだから。安心して撫でていいのよ。わたくしも最初怖かったけれど、このぬいぐるみ、襲いかかってきたりはしないわ」


 全然男扱いされてなくて笑う。……てか泣ける。


「こう……かな」


 こわごわ……といった様子で、フローレンスが俺の胸とか腹を撫で始めた。手をどけたから自分の胸が俺に密着し始めたが、とりあえず気にしてはいないようだ。ときどき、ルナもついでに撫でてて笑う。


「ゲーマ様……」


 エミリアが一層くっついてきた。


「背中を……撫でて下さい。自分が……怖い」

「……よし」


 ゆっくり、落ち着くように撫でてやる。熱い吐息を胸に感じる。エミリアはしがみついてきた。それを感じたからか、フローレンスも、次第に俺に密着してきた。あるいは背後からシャーロットが俺を抱き寄せてるためかもしれないが……。


 ルナの寝息を聞きながら、俺達は互いの鼓動と体温、魂を感じていた。触れ合った肌を通して。いつの間にか、誰からとも知らず、眠りの天国に導かれていくまで。


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