* AM8:00

 ゴールデンウィークの終わりが中途半端なタイミングであったせいか、普段辟易するほどに混雑している電車の中は、まるで平日の午後のように閑散としている。


 吊り革に掴まることができたどころか、しばらくしたところでは席に座ることもできてしまった。

 快適なことに違いはないが、日常から隔離された不思議な世界に迷い込んでしまったような心地がして、これはこれで何となく落ち着かない。


 おしゃべりをする学生たち、疲れた表情で舟を漕ぐサラリーマン。


 顔ぶれは変わらないはずなのに、普段と違ってそれぞれの距離感が適切であるからか、皆どことなくくつろいだ雰囲気を醸し出している。その様子は何となく、開店前の猫カフェを連想させた。


 せっかくだし、わたしもこの時間を有意義に過ごしてみようか。


 普段の朝では絶対考えないことを思い、いそいそと鞄から文庫本を取り出してみる。夜寝る前の時間で少しずつ読み進めている物語を、この機会を使って一気に読んでしまおう。


 ページを開いて栞を手に取り、その時ふと、小さな緑色の柄が目に入る。


 ハートの形。四つの葉。


 クローバーの絵が散りばめられたこの栞は、果たしていつから使っていたものだっただろうか。

 眺め、思い出そうとし、しかし正確な出来事は浮かんでこない。

 色々と記憶を遡るうち、無性に馬鹿らしいと思う気持ちが込み上げてくる。


 あれからもうすぐ十年が経つ。

 その期間に詰まった出来事に対して、気付けばクローバーは欠くことのできないモチーフとなってしまった。


 つくづく、因縁というものは恐ろしい。


 手にした本の後ろにその緑色を回しつつ、わたしは小さく息をついた。

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