第3話 「論」論 (序)
「論」とは何だろう。
その説明にはよく「筋道立てて」という表現が用いられる。
論とは、筋道立てて説明した考えのことだ、といったように(※注)。
初めてこれを聞く人は、じゃあ「筋道立てて」ってどういうこと?という更なる疑念が生じる。
そもそも「筋」とは。「道」とは。それを「立てる」ってどういうこと?
回りくどい説明になって仕方がない。
そこで、私案ではあるのだが、
―――違和感なく【矢印】でつながるもの、それが「論」である。
このように定義したい。
そうすると、次の例はどうか。
自民党は、奨学金を受けて学校を卒業した者で、子どもを産んだ者にだけ、奨学金の減免措置を行うことを、提言した。(2022年3月3日新聞各社報道)
少子化対策のため、子どもを産んだ人だけ、奨学金の返済額をまけてやる、という。
【出産を望んでも、健康上の理由で産めない人は、差別される。】+【そもそも、コミュ障ぼっちなんて、子孫を残す資格さえない。お前らはキッチリ返せ。】
→【よし、これで少子化対策はバッチリだ。】
ここにどんな「論」があるというのか。矢印でつないでも、違和感しかない。
【健康で、結婚と出産と子育てをやっていける、身体的にも経済的にも余裕のある人たちだけ、子どもを産みなさい。奨学金の一部、おまけしてやるから】→【少子化改善】
そんな矢印を「違和感なくつなげられる」と判断したのが、自民党の「教育・人材力強化調査会」。
私は選挙権を得る前からずっと、自民党支持だった。理由は、そういうコミュニティの中でずっと育ってきたから。祖父の代から自民党の議員との交流があったから。しかし今回の提言は、真向から反対する。
こんなもの、筋が通らないのだ。
後に、岸田総理は「自民党としての案ではない」と発言しているが、そういう提言が、政府与党の中から出てきている、という事、そのものが、もう、おかしいんだって。
多数決で勝利した(投票率5割ほど)!だから、国民の理解を得られた!
と、真顔で言っている某自民党議員。
【国民の5割ほどしか参加していない多数決で勝利】→【国民の理解を得られた】
ここに、どんな「論」が成り立つというのだろう。あなたが認識している「国民」とは誰のことなんだ。
日本では、本当に優秀な人材は、進路選択で決して政治家を選ばない、という話を聞いたことがある。
いやちょっと待て。国政の話がしたかったのではない。例として述べたかっただけだ。でもせっかくだから、もうちょっと述べたい。
無能な人たちが、政治家になれる、というのは決して悪いことではない。
なぜなら、そんな人たちが政治家になろうとも、安定して国家が平和に運営できるのだったら、その国は、いい国である証拠でもあるからだ。
ところが「国語教育の衰退」ひとつを取ってみても、日本という国は、いま、かなり急速に「死」に向かっている気がしてならない。
私は、西暦2000年9月に自塾を立ち上げたとき、保護者向けの資料や新聞折り込み広告に、こんな文言を入れた。
―――あと20年もすれば、国民の経済格差・教育格差は、取り返しのつかない大きな問題となるでしょう。
だから、いま、何とかしないとダメなんだ、というメッセージを送っていた。本当にその通りになってしまい、愕然としている。当たって欲しくなかった予想だった。
「文学の授業は必要ない。論理的な文章の指導が必要だ」
なんて、文科省のエリート官僚たち、正気で言っているのか、と思う。
【文学=論理的でない】
という先入観・思いこみ。
それは、文学をちゃんと学んでいない証拠である。
日本の国語教育の、敗北でもある。
衰退していく国家とは、言語も同時に衰退していくのかと、暗鬱な気分にもなってしまう。
それで、今回「論」について論じようとしている。まだ「序」の段階である。
となると「破」→「急」と続くのか、それとも「本論」→「結論」と続くのか。
まだ決めていない。どちらにしても、あと2回は続けたい。
「論」論。
つづく、が、次回ではない。
(注)手持ちの『大漢語林』(大修館書店)によると、やはりこの文字の成り立ちそのものが「すじみち」を表しているという。それでは「すじみち」って何やの?という話になる。まわりくどい。
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