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2023年3月25日 01:42 編集済
やっぱり「死にたい」という願望は、毎日顔を出す。ところが、死ねなかった。死にたいと思う気持ちは、運命をともにする人しか分からないのかもしれません。振り返ってみれば、僕の生きざまも同じようであった気がします。今では生きていて、良かったと思っています。実際、幾度も生と死の狭間に立たされ、苦難にも出会ったけど後悔はしていません。過去の辛い時期があったからこそ、今の自分の存在を、素直に受け入れられます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。「死にたい」と思う気持ちは「甘えである」と、長年信じてきました。誰だって死にたいときくらいあるし、それを言葉に乗せて誰かに伝えることは「甘え」だと。しかし、最近は、別に甘えていいんじゃないかと思うようになりました。誰に?っていうところが曖昧ですが。神崎様も、様々な艱難辛苦を経て、いま、生きていて、良かったと感じながら日々を過ごされているのですね。その事実が、私にとって「希望」です。結局「生きていて良かった」と思えるかどうかは、自分の心の持ち方次第、感受性次第だと思うようになりました。日々、じぶんの感受性のメンテナンスを怠ることなく、茨城のり子の詩(「自分の感受性くらい」)を時々思い出しながら、人生を楽しんでいきたいと思っています。今後とも、よろしくお願い致します。
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やっぱり「死にたい」という願望は、毎日顔を出す。ところが、死ねなかった。死にたいと思う気持ちは、運命をともにする人しか分からないのかもしれません。
振り返ってみれば、僕の生きざまも同じようであった気がします。今では生きていて、良かったと思っています。実際、幾度も生と死の狭間に立たされ、苦難にも出会ったけど後悔はしていません。過去の辛い時期があったからこそ、今の自分の存在を、素直に受け入れられます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「死にたい」と思う気持ちは「甘えである」と、長年信じてきました。誰だって死にたいときくらいあるし、それを言葉に乗せて誰かに伝えることは「甘え」だと。しかし、最近は、別に甘えていいんじゃないかと思うようになりました。誰に?っていうところが曖昧ですが。
神崎様も、様々な艱難辛苦を経て、いま、生きていて、良かったと感じながら日々を過ごされているのですね。その事実が、私にとって「希望」です。
結局「生きていて良かった」と思えるかどうかは、自分の心の持ち方次第、感受性次第だと思うようになりました。日々、じぶんの感受性のメンテナンスを怠ることなく、茨城のり子の詩(「自分の感受性くらい」)を時々思い出しながら、人生を楽しんでいきたいと思っています。
今後とも、よろしくお願い致します。