11 賭
「あなたのお友だちの雑誌の記者さんの解釈によると、結局のところ、ストリートキッズは、わたしと同じロケットでやってきた地球の麻薬の売人との取引現場をジェントリィ・ギタァに見つかってしまい、それで口封じをするつもりが揉みあってナイフを刺してしまった……ということになるらしいわね。かわいそうなジェントリィ・ギタァ。ストリートキッズは、彼のいい友だちだったはずなのに」
アキコ・クラハシはいった。
リレイヤーの暮れも押し迫った十三月三十日、乗り心地の悪い軍払い下げのジープを駆って、ニューグラスゴー市から百キロばかり離れた石の筒に、私たち二人は向かっていた。
「ぼくの正直な感想は」
私が答える。
「ジェントリィ・ギタァが見た空の色が単色光の緑か黄緑じゃなくて、よかったってことだよ。薄情だけれどね……」
実際、彼の視覚が正常でなく、ある種の色盲であったなら、それは考えられないこともない事態だったのだ。
「ジェントリィ・ギタァには本当に悪いけど、ぼくはきみが助かって、本当によかったと思うよ」
するとアキは私の言葉が聞こえなかったように、こう続けた。
「ストリートキッズがいうには、彼は、わたしを事件に巻き込むつもりはなかったらしいわ。……でもね」
私の横顔をじっと見て、
「彼は、わたしがリレイヤーに来て行おうと思っていたことに気がついて怖れていたのかもしれないわね。つまり彼は気象学者だから……。それで勘が働いたんでしょうね。そして、よくもまぁ、あんなに甘ったるい証拠の手紙を用意したんだわ!」
大きく、ため息をつき、
「ああ、生きるってことも、ベビーフェイス、思い出みたいに綺麗にならないものかしらね。人や世間が作り出す〈気〉の方程式なんて、もうまっぴら。わたしは一次独立した存在でありたいわ。いつでも、どこでも、好きとか嫌いとかいうことにも、研究にも……。世の中にはどうでもよい関係性が多すぎる。……でも、だからかな、わたしはすっごく我儘だし、それに、きっと怖い女だわ」
「…………?」
「ベビーフェイス、あなたもストリートキッズの友だちだったから聞いたことがあるかもしれないけれど……」
ジープの中で、まるでなにかの不安を忘れてしまおうかというように饒舌になったり寡黙になったりしていたアキが、いま、明確な口調で私に語りかけていた。リレイヤーの色気狂いの空の下、この地を去るまで彼女の研究対象だった半径一・五二キロ、高さ一・三キロのポリマーローズ『グッドラック』の中腹に、私たち二人の男女が立っていた。
ここに登ることは彼女が望んだ。
はじめ私はアキがそれを望んだのは、いまわしい事件に巻き込まれたことを忘れるためかと思ったが、彼女の態度や口調からすると、どうやらそうでもないらしい。では?
「つまり気象は散逸構造だということ。それはストリートキッズの――少なくともわたしに対する――口癖みたいなものだったから……」
「それが?」
「あなたと別れて地球に戻ったわたしは、彼のその言葉ばかりを考えていた。散逸構造、散逸構造ってね。すると、ある日、いままで理解不能だったポリマーローズの生態と、リレイヤーに対するメカニズムとがふいに頭の中で繋がったんだわ。本当にふっと、まるで、目が顔の正面についているのは正面にあるものをじっくり見つめるため、だってことに気がつくように。それで、わたしは過去のデータを確認し――ロケットからリレイヤーの図書館に映話をかけたのはデータの再確認のためよ――その人為的自然現象を自分の賭に利用するために、再度この地を訪れたんだわ」
いって、アキは白くて小さなポシェットから鈍い光を放つナイフを取りだした。彼女が旅行カバンに入れてリレイヤーに運び、第四宇宙港で警備員に取り上げられた特殊鋼製のナイフだった。それを一瞬、私に向け、
「ポリマーローズは、もしかしたら人為的なものかもしれないわね。遠い昔ここに暮らしていた知性ある先住者たちの」
差し上げたナイフを、私たちがいま立っているポリマーローズ『グッドラック』中腹の空洞の歪な斑紋に向ける。
「堤防もアリの一穴じゃ違うわね。とにかくポリマーローズはリレイヤーの生態系に繁栄か死をもたらす石の華なのよ。昔、読んだ童話にそんな題名のがあったな」
そして彼女はナイフをその斑紋の中心に突き刺した。斑紋が、まるで悠久の間待ち焦がれていたかのように特殊鋼製のナイフを飲み込んだ。私の身内に震えが走る。いわずもがなのことを叫び出している。
「それじゃぁ、きみは、ポリマーローズの謎を解いたんだな。ポリマーローズに華を咲かせる方法を!」
心なしか、大地が振動をはじめたような気がした。
「ええ。でも、そのデータはすでに既知のものだったわ。ただ解釈ができなかったというだけで……」
「そして、いまきみはそのボタンを押した。しかも、それは本質的に偶然性を内包する散逸構造だから、繁栄が来るか、死の世界が落ちるか、きみ自身にもわからない」
「だから賭なのよ! わかる? ベビーフェイス。もし、いまわたしが撒いた種が繁栄の種子なら、あなたの勝ち。わたしは、あなた、クリフォード・レミントンの妻に戻るわ。でも、もしそれが災厄の種子だったら……」
「きみはそんなことのためにリレイヤーの全生態系を賭けたのか?」
私が声を失う。
「ふふ、でも心配しないで、ベビーフェイス。わたしのポリマーローズの解釈が正しいかどうか、もちろんわからないし、それに、時間のファクターも不確定ですもの。百万年かかるか、それとも二、三時間のうちに片がつくのか、まったく見当もつかないわ」
そういってアキ・ザ・フローラはにっこりと微笑んだ。私が見た中で、もっとも残忍で、同時にもっとも美しい微笑だった。
「でもね、ベビーフェイス」
リレイヤー全体が崩壊するかもしれない大地の震動音を幻聴する私に――いつのまに紛れ込んだんだ!――猫蜜柑ペローを胸に抱えたアキが、最後にこういい放った。
「もう一回あなたが色気狂いになったら、そのときは、いい、わたしは躊躇なくあなたを刺し殺すわ!」
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