10 感
「つまり、それは人間と猫蜜柑の色感受性の違いから出てきたことだったんです」
カブキの作ったカラーサークルで自分の考えを確認すると、私は気象台に映話を入れ、あの日あの時刻の天候とFLBの分布状態を調べた。これを傍証とし――というのは、そんなことは警察側も先刻承知しているはずだったからだ――人間と猫蜜柑という二つの生物の色覚におけるカラーサークルを五十枚近くコピーして、オートバイに飛び乗った。景色がビュンビュン遠退いていく。リレイヤーの象徴ともいうべき巨大な石の筒、ポリマーローズが近づいては遠ざかる。ポリマーローズはリレイヤーの考古学と生物学の生き証人だ。ほとんど岩石からなるこの筒が、まがりなりにも薔薇(ローズ)と呼ばれるのは、明らかに華のように咲き乱れるポリマーローズの化石が発見されていたからだ。その化石には二種類あった。ひとつは繁栄を象徴する薔薇の華で、もうひとつは生物の死を意味するケシの華。どういう機構が働いたのか定かでないが、別の考古学的調査から、前者の時期にはリレイヤーに多種多様の生物が存在し、後者の時期では進化がとぎれる、地球でいえば恐竜絶滅の時期のような発掘結果が確認されていたのだ。その違いや状況の調査は、いまでもリレイヤー考古学者の課題だった。
流れる思考に身を任せながら、ふと我に返ると、私は自分を不思議に思った。アキの許に向かいながら、アキ以外のことを考えている自分が不思議だった。これから裁判所で話そうとしている内容には自信があった。だがもちろん、それが受け入れられるとは限らない。アキに償いをする機会を与えられた気分の高揚? それとも、それさえ実は男のエゴで、ひとつのいいわけを見つけた子供じみた安堵感だったのだろうか?
ニューグラスゴー市の中心部が見えてきた。バイクはますますスピードを上げる。
待っていろよ、アキ。必ずオレがおまえを救う!
「私たちが最初に発見した色の組合せは〈赤と緑と紫〉でした」
いったいどうやって発言の機会を得たのか自分でも忘れた。だがいま私は、常識で考えれば許されないはずの証言台に立っていた。暗い木と石の廷内の見知った顔と見知らぬ顔。その三十人ほどの人間たちさえ、そのとき、私の視界から消えていた。
「それは人間の色覚では紫か、白か、赤になります。……さて猫蜜柑は、実験室内では、先ほど申し上げました通り〈赤と緑と紫〉の色の組合せのときゴロゴロとのどを鳴らしました。そして、これは重要なことですが戸外で猫蜜柑にその反射行動を取らせる最終的な色は人間の色覚では緑もしくは黄緑なのです」
私はそこで息を継ぎ、裁判所に居合わせた人々に人間と猫蜜柑におけるカラーサークル(図1と図2)を参照するように促した。
「人間の場合、補色は互いに向き合う色区分を意味しますが、猫蜜柑の場合、それは〈超紫と緑青と黄〉〈越紫と青緑と橙〉もしくは〈赤と緑と紫〉のような、互いに一二〇度の関係にある三つの色の組合せの残りの二つを意味します。これは猫蜜柑の錐体細胞に含まれる視物質が超紫色素、青色素、緑色素、赤色素の四つからなるためで、たとえば緑を得ようとすれば、それには二つの方法、単色光の緑を与える方法と、赤、青、超紫のそれぞれの単色光を与える方法が考えられることになるわけです。ここで、もちろん超紫と越紫は紫外線ですから、私たち人間の目には色として感知されません」
アキが例の緑と黄緑を見たとき目が痛いと感じたのは、そこに人間の目では感知しえない超紫と越紫が混じっていたためなのだ。
「さて、私たちが得た猫蜜柑にのどを鳴らさせる色の組合せは〈赤と緑と紫〉でした。そして戸外では、猫蜜柑は人間の目にとって緑と黄緑の色のとき、のどを鳴らしました。そこで、さぁ、カラーサークルをご覧になってください。〈赤と緑と紫〉から猫蜜柑の目に導かれる色は〈白〉です。色気狂いの星リレイヤーにもっとも相応しくない色の〈白〉なのです。そしてもし猫蜜柑の反射行動がその〈白〉によって起こるとしたら? その組合せは〈超紫と緑青と黄〉もしくは〈越紫と青緑と橙〉になります。ここで超紫と越紫は人間の目には感知されませんから、猫蜜柑にとって〈白〉となる色の組合せ〈超紫と緑青と黄〉は人間では〈緑青と黄〉という二種類の色の混合色、すなわち〈緑〉となります。同様に〈越紫と青緑と橙〉では〈青緑と橙〉の混合色ですから黄緑になるわけです」
私の早口で一方的な説明が、裁判官と弁護士、検事を含む居合わせた人々の心に浸透するまで長い時間がかかった。裁判所の廷内は水を打ったように静まりかえり、やがて「いや、それは」とか「正しい!」とか「だが」とか「彼のいうことにも一理が」とか「やったぜ、ベビーフェイス!」とか「まあ」とか「ええ、別の証拠が」とか「よくわからんな……」とか「確かに」とかいう声があちこちからわき上がり、一瞬の後、廷内をつんざくようなドロシィの泣き声が上がり、アキが微笑み、カブキとフッツジェラルドとティンカーベルとイクスプレスとシンドロームとクラリスが立ち上がって手を叩き、ストリートキッズが腰を浮かせてソロソロと廷内から出ようとし、ジェローム・ブルースが「そいつが真犯人だ!」と大声で叫び、ストリートキッズが駆け足で逃げ出し、警察官とリレイヤーの市民たちが彼を取り押さえ、ドロシィがますます大声で泣きつらね、「よかったわね、フローラ。よかったわね!」と何度も繰返し、「そいつは地球にリレイヤー特産の麻薬を密輸していたんです」とJJがストリートキッズを指差し、「うむ。われわれも疑ってはいたのだが、決定的証拠を欠いたので、やつを泳がすために、こんな手を取らざるを得なかったのだ」と検事が呟き、「てめえら人間じゃねぇ!」と私がその検事に殴りかかり、廷内が収拾がつかないくらいに騒然とし、わめき声やののしり声があたりにこだまし、私が暴れまわり、全員が「ヤレヤレ!」とはやしたて、私が強者の刑事たちにしたたか顔を殴られ、そして、……そしてアキがリレイヤーに舞い戻ってきた動機を除いて、事件はどうやら解決の様相を呈しはじめたのだった。
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