05 薇

 三十過ぎの大人になって、ハイティーンみたいな夢を見るとは思わなかった。

 明けて十三月七日、アキ・ザ・フローラは無事リレイヤーの第四宇宙港に到着し、私を除くかつての仲間たちに出迎えられた……らしい。そこまでは何の間違いもなかったはずだ。だが、それから数時間後、私の耳に届いたニュースは……。

「なんだって? アキが警察に捕まった。罪状、殺人。殺されたのはジェントリィ・ギタァだって? 馬鹿な。昨日まで、あんなにピンピンしていたんだぞ! 凶器はナイフ。え、よく聞こえないぞ。わかった、すぐに行く」

 ガチャン

 ドロシィからかかってきた状況を知らせる映話を叩き切ると、私はコナプトを飛び出してオートバイにまたがった。キック! 一発でエンジン始動。アクセルをふかす。

「なんだって、また、というのが、まっ先に感じたことだった。そして、なぜアキが? それが二番目だ。冗談じゃない。彼女が人をあやめるはずがない。いや、もし彼女が殺したい相手がいるとしたら、それはこの私だ。それ以外には考えられない。

 グランドキャニオンとソルトレイクを足して二で割ったみたいな景色が私の後ろに流れていく。どこまでも続く長くてまっ白な道を、アキが最後まで嫌がったバイクが砂埃をたてて疾走する。エアーズロックかデスバレーみたいな巨大な石の塊、ポリマーローズが何本もその大地から生えている。空の色は黄緑と赤だ。ポリマーローズはあと数時間でお決まりの日課を繰り返す。FLBの吹き上げは、九割が海に囲まれたここリレイヤーの大地の聖なる饗宴だった。

 だが、いまはすべて詮無い。

 アキがいなくなった痛みを初めて感じているような気がした。彼女が返ってきて初めて、だ。

 数キロ向こうに第四宇宙港の巨大なカタパルトが見えてきた。バイクがさらに疾走する。空気が壁になって私にぶつかる。私の思いがそれを弾き返して、空にドラムの音をこだまさせる。

 それ、走れ、走れ、走れ! 一直線に駆け抜けていけ!


「で、状況は?」

「フローラが行方をくらました、ほんの数分間の出来事だったみたいだわ」

「行方を?」

「そう、私たちが第四宇宙港に彼女を出迎えたのが十時二十分。ロケットの到着が少し遅れたから。ジム・ブリッシュ効果のわずかなずれで……」

「それで?」

「十時三十五分には、彼女はロビーに降りてきていた。そこで私たちと会って、握手して、包容して、フローラが『ああ、ここの空は相変わらず色気狂いなのね!』といって、その顔つきは、旅の疲れは見えていたけど、充分元気で、ええと……」

「宇宙港へ出迎えにいったのは誰とだれだ?」

「カブキとジェントリィ・ギタァ、それに私、それからフィッツジェラルドとストリートキッズ、あとカブキとフィッツジェラルドの奥さんたち、ティンカーベルとイクスプレス、あ、それから生物学研究棟のツッカー夫妻=シンドロームとクラリスかしら? ……それでフローラが『のどが渇いたわ』っていうものだから、食堂に入って飲物を注文して、『ちょっとね』とかいってフローラが席を外して、それで、五分、十分かな、フローラが戻ってこないものだから、えっと、その前にジェントリィ・ギタァとストリートキッズが、やっぱり席を外していたかな、それで、フローラが戻ってこないものだから、私たち、探しにいこうとして、そしたら……」

「警察が来ていた?」

「そう。いえ、ちょっと待って。食堂に飛び込んできたのは、警備員だったわ。宇宙港の。そして、まっ青な顔をしたフローラが別の警備員に連れられて食堂に入ってきて、そして、そう、彼女の足もとには猫蜜柑がいたの」


「空の色は緑だったわ。それから黄緑に変わって目が少し痛かった。半年ぶりのリレイヤーだったから、そう感じたのかもしれないわね。それから先も、その後も、空の色は憶えていない。憶えているのは、空が緑と黄緑だったとき、猫蜜柑がゴロゴロとのどを鳴らしていたってことだけね」

 リレイヤーの私たちが住むニューグラスゴー市の警察署に飛び込んだ私は、事情聴取を終えたドロシィから状況を聞き、無理をいってアキに会わせてくれと警官に頼んだ。警官は鷹揚にうなずき、どこかへ去り、私自身の事情聴取も含めて二時間ほど待たされたあと、警察官の立会いのもと、やっと十分間のガラス越しの面会が許可された。殺人を含めて、事件自体が珍しいリレイヤーでの、それが警察のやり方だった。リレイヤーには、生活必需品販売業者を除けば、一般人はほとんどいない。科学者や技術者、技師、医者、看護婦、治安当局関係者、その他、市を維持するのに必要な人間だけが暮らしている。アキとの面会を待たされる間、私は科学者仲間と少し話をした。みな一様に、信じられない、なにかの間違いだ、と首をひねるばかりだった。そしてもちろん、私も彼らの話に相槌を打った。

「それが、きみがジェントリィ・ギタァの死体を発見したときの状況だったんだな」

「ええ、そう。もっとも警察の見方によれば、わたしが彼を殺したときの状況ってことになるけれど……」

「ナイフを持っていたと聞いたけど、それは?」

「あなたを殺すためよ」

「不遜なことはいうもんじゃない。きみがぼくを恨んでいるのはわかるけれど」

「あら、べつに、あなたのことを恨んでなんかいないわ。相変わらず、自惚れが強いのね。……あなたの背後で見つめる視線に答えてあげるけど、ナイフはある目的のために持ってきたのよ。いまは警察の人たちに取り上げられてしまったけど」

「ある目的?」

「いまはいえないわ」

「ロケットが宇宙港に到着する少し前に機内の映話を使ったらしいね」

「ええ」

「その目的は?」

「それもノーコメント」

「きみが持っていたナイフと関係があるのかい?」

「ご想像にお任せするわ」

「アキ、非常事態なんだ。それも、かかっているのはきみの命なんだぞ。ふざけるのは後にしてくれ」

「わたしは、ふざけてなんかいないわ!」

「じゃあ、質問に答えてくれ」

「どの質問かしら。ナイフの件? それとも」

「ナイフの件だよ」

「あなた、わたしの立場に立って考えたことがあるの?」

「なにをかな?」

「手洗いにいってドアを開けたら死体がのしかかってきたのよ」

「それで?」

「ナイフは食堂のみんなのところ、わたしの旅行カバンの中に入っていたわ。それが犯行に――というのは警官たちの言葉だけど――どんな繋がりがあるってわけ? こっちが聞きたいくらいだわ」

「まあ、そう興奮せずに」

「興奮させているのは……しているのは、ベビーフェイス、あなたの方よ」

「それは済まなかった。だが、わかるだろう? ぼくは心配なんだ。きみのことがね」

「もっと早くその言葉を聞きたかったわね。少なくとも、七ヶ月くらい前に」

「その話をむし返すのはよそう」

「いいわ。あなたが望むのならば……。それに、ベビーフェイス、それは、あなた自身の問題ですものね」

 沈黙。

「では、質問のしかたを変えよう」

「ええ、どうぞ」

「アキ、きみはなぜリレイヤーに戻ってきたんだ」

「それは、あなたに会いたかったからよ」

「それはありがとう。だが、いまは冗談の時間じゃないんだ。さっきも、いったように……」

「なぜ? わたしのいうことが信じられないの」

「わかった。じゃあ、信じよう。では――」

「じゃあ、っていうのはどういう意味よ? それって、ひどいんじゃなくて」

「悪かった。とにかく絡まないでくれよ! 人がひとり殺されているんだ。それも、ぼくときみの共通の友人なんだぞ!」

「わかってるわよ、そんなことは! でも、どうせ、わたしを犯人に仕立て上げたいんでしょう? 警察の人はね」

「そんなことはない。それは証拠しだいだ」

「そうかしら? リレイヤーはいままでとても平和な星だった。人口も、たいして多いわけではないし……。センセーショナルな事件は、これまで、少なくとも民間に知られる形では起こっていなかった」

「それが?」

「つまり、当局側は犯人を欲しがっている、というか、すばやい事件の解決を願ってるんじゃないかということよ」

「誤認逮捕はすばやい解決ではないだろう。殺人事件の真犯人がウロつくことになるからな」

「いままで犯罪が起きなかった土地なんだから、その人が別の殺人を犯す可能性は少ないと見ていいわ。性格が歪んだ無差別殺人犯でもないかぎり」

「ということは」

「そう、つまり警察はだれでもいいから犯人を捕らえれば、それで事件の片がつくのよ。……リレイヤーには、いまだに裁判官がいないんでしょ?」

「それは、クーリン市長が代理を勤めることになると思う」

「緊急対応策っていうわけね」

「そうだ。だが、それはきみの心配することじゃない。きみは犯人じゃないんだからな」

「あなたに、そういい切れるの?」

「まさか、きみがジェントリィ・ギタァを殺したのか? いや、そんなはずはない。第一、きみには彼を殺める動機がない」

「残念でした、ベビーフェイス。その推理は外れよ」

「動機があるのか?」

「本当の意味では――つまりわたしは犯人じゃないから――ないけれども。警察の人たちの見方は違うみたいよ」

「というと」

「わたしは彼に求婚されて……いたから」

 沈黙。

「知らなかった!」

「でしょうね」

「それは、いつのことなんだ?」

「約半年前、あなたとの離婚が決まった翌日のことだったわ」

「で、きみはなんと?」

「考えさせてくれって答えたわ。ジェントリィ・ギタァのことは嫌いじゃなかったけど、でも、それは友人としてであって、それ以上のものではなかったから……。少なくとも、そのときはね」

「で、いまは?」

「彼には可哀想だけど、いまでもそれ以上の気持ちはないわ。そして、それが立派な殺人の動機になるらしいわね」

「というと?」

「ベビーフェイス、にぶいわよ」

「すまんな。……つまり彼は半年前に結婚から自由になったきみに求婚したが、当時、その思いは果たせなかった。ところが昨日、彼は、きみがリレイヤーに戻ってくることを知った。第四宇宙港のフライデーから情報を仕入れてだ。そして彼のきみを思う気持ちは半年経っても変わらず、なんとか機会を見つけて自分の思いをきみに告げようとした。けれどもきみの彼に対する気持ちも残念ながら半年前と変わっていなくて、それで口論になったか、それとも彼が一方的に逆上したのかはわからないが、彼がきみを襲い、きみがたまたま持っていた護身用のナイフでそれに反撃して――」

「それだったら、ただの正当防衛だわ。もちろんわたしは犯人じゃないけど、でもその解釈が正しいとしたら、わたしは警察に拘留されはしない」

「それもそうだ」

「証拠の品が出たのよ」

「なんだって?」

「だから証拠の品」

「それは?」

「わたしが彼と結婚するためにリレイヤーにやってきたという証拠の手紙――正確にはその控えがね。胸の悪くなるような甘い言葉がたくさん書いてあるらしいわ」

「らしい、ってことは?」

「そう。書いたのはわたしじゃない」

「筆跡は?」

「どこにでもあるDELL付属のワードプロセッサーよ。そのファイルがわたしの旅行カバンから見つかったの」

「なるほど」

「警察の見方によれば、わたしはジェントリィ・ギタァを愛していたらしいわ。地球に帰っている間に考えを変えたのね、きっと。けれども、そのわたしの思いは遂げられなかった。なぜって、ジェントリィ・ギタァが、もうわたしを愛していなかったから……。彼が愛していたのはドロシィらしいわ。残念だったわね、ベビーフェイス。せっかくの恋人を取られてしまって」

 私の顔が苦り切る。

「だが、ちょっと待てよ。そんな馬鹿みたいなことで、警察はきみを殺人犯に仕立て上げたっていうのかい?」

「世の中の犯罪の九〇パーセントは馬鹿みたいなことから起こるんじゃないの?」

「ま、そうかもしれんが」

「とにかく、あなたの後ろに鎮珍まします人たちが作ったストーリィは、そう。そして、犯人の私はジェントリィ・ギタァを通じて麻薬の売人までやっていたそうよ。痴情とお金のもつれ。人ひとり殺すには充分じゃない」

「彼は微生物学者だぜ?」

「微生物学者も科学者でしょう。彼らにとっては同じなのよ」

「それもきみの旅行カバンから出てきたのかい?」

「ええ、なんでも飛び出す魔法のカバン」

 彼女ははじめ少しおどけた調子でその言葉を発したが、すぐ、ギリギリまで堪えた涙が目にうっすらと浮かんできた。

「くやしいけど、このままじゃ、わたしは殺人犯だわ。馬鹿みたい。はるばる最後の賭をしにリレイヤーまでやってきたのに……」

「最後の賭?」

「そう、最後の賭よ。わたしは、この事件に関しては犯人じゃないけど、実はもっと性悪女かもしれないわよ」

「……………」

「そろそろ時間ですが……」

 背後の警官がいい、

「あと一分だけ」

 アキが願い出た。警官が肩をすくめる。アキが喋りはじめる。

「ベビーフェイス。くやしいけれど、わたしの心は、まだ、あなたを追い求めているみたいだわ。ま、事実は事実、それ自体はしょうがないわね。けれども、やっぱりわたしにはあなたが許せない。これも事実だわ。だから、その結論を出すためにも、あなたはわたしを救ってくれなくちゃいけない。もし、わたしのことをまだ愛しているなら。お願いするわよ!」

 すると、カーッと頭に血がのぼった私は大声で不条理を訴えていた。

「あのとき空を見つめていた人間がひとりもいないだなんて、あまりにも馬鹿げている! それがきみを救う立派な証拠になるっていうのに……」

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