06 色

 人間の目が死際に見た最後の情景を記憶しているとは、よくいわれる。だが二十一世紀が四分の三以上を過ぎたいまでも、それは完全に証明されていない。けれども死者が死際に見た色だけは、八〇パーセント以上の確率で特定することができるようになっていた。色を感じる色素の分解生成物の痕跡から、それが達成されるのだ。技術自体は一九八〇年代にほぼ完成されていたが、解析力にすぐれた大型計算機が作られて、はじめて実現された成果だった。

 リレイヤーの空の色の変化はめまぐるしい。だが、それに慣れてしまった住民たちは(まるでただの空気のように)空の色の変化を気にしない。そして宇宙港の管制塔に詰める技師たちは――それが事故に繋がるということもあって――ロケットの到着を目視しない。

 それが私の訴えた不条理の中身だった。

 デイヴィッド”ジェントリィ・ギタァ”オールドストーンが最後に見た空の色はオレンジだった。そしてアキが主張するのは緑と黄緑だ!


「レミントンさん? クリフォード・レミントンさん、でしょう」

 警察から解放され緩い監視のもとに置かれることになった私たちは、みな、ひどくやつれてしまった。カブキも、フィッツジェラルドも、ストリートキッズも、ドロシィも、ティンカーベルも、イクスプレスも、ツッカー夫妻も、その全員がだ。とくにドロシィのやつれかたはひどかった。私の意に反してアキ・ザ・フローラを出迎えに行き、思わぬ事件に巻き込まれてしまったのが堪えたのだろう。そんなとき(事件から五日後のことだ)、色素化学研究棟に私を尋ねてきた者があった。受付の事務員は、雑誌の記者だと伝えた。わずらわされたくなかったので、私は丁重な断わりの言伝を事務員に頼んだ。すると、その男は、研究室の窓――二階だぜ、おい!――をノックして、むりやり私の興味を惹くことに成功した。

「レミントンさん。後生だから開けてくださいよ」

 こうなってはしょうがない。私は窓を開け、彼を室内にひっぱり込んだ。

「強引なやつだな」

「へへえ、それがあたしの特技でして……。あ、それから、すぐ受付に電話したほうがいいですよ。さもないと、あたしを見張りしていた警官が、さっそくここに乗り込んできますから」

 あわてて私は彼のいう通りにした。急かされて映話の送受機を取って、ボタンを押し、

「ああ、そうそう、いいから、いいからさ、大丈夫だよ。……じゃあ、これで」

 ガチャン

「どうもお手数かけて。で、あたしはこういうもんです」

「コスモ・アタヴァクロン誌 特派員 ジェローム・J・ブルース」

 雑誌記者が差し出した名刺を、私は声を出して読んだ。

「はい、そうです。で、これからはJJで結構です。親しみを込めて」

「わかった」

 彼の登場の仕方に、私はきっと毒気を抜かれてしまったのだろう。彼の無礼を怒りもせず、ただ肩をすくめただけで、そう切り返した。それに彼の名前には憶えがあった。

「きみは確か『海人草座第五惑星リレイヤーの空は色気狂いだ!』の記者さんだろう?」

「はい、よくご存じで」

「題名のつけ方がおかしかったから憶えてるんだよ」

 と私。

「『海人草座δ星〈ノトセニア〉第五惑星リレイヤーの空は色気狂いだ!』ならば、正確だったんだがな。海人草座――というのはもちろん地球から見た一連の星の列なりのことだが――には、リレイヤーの他に九つの恒星が含まれるからだ」

「ま、それは効果的な見だしの嘘ということで許していただくことにして……」

 飄々とした態度で彼は答えた。

 コスモ・アタヴァクロン誌の記者ジェローム・J・ブルースは、どちらかいえば太り気味の小男で、カーキ色の背広にタートルネックのセーターという出立ちだった。頭の毛はまばらで薄い。

「で、きみは私にいったい何の用があるのかね?」

 すると雑誌記者はあまりにも単刀直入に答えた。

「猫蜜柑を使うんですよ。……つまり、あなたの元奥さんの無実の罪を晴らすために、彼らの視覚と記憶を再現してやるんです」

「…………?」

「あなたの元奥さん、つまりアキコ・クラハシさんがお仲間を殺害したとされるときの状況は、こんな具合でした」

 私に質問の暇を、そして驚く暇さえ与えずにジェローム・J・ブルースは語った。

「目的はいまだに不明ですが、アキコさんはリレイヤー時間の十三月七日午前十時二十分に第四宇宙港に到着しました。そして、三十五分に出迎えのみなさんと会われ、食堂に入ってお茶などを飲まれ、少し経ってから席を外された」

「手洗いに行くためだ」

 と私。

「そう、アキコさんは席を立たれて洗面所に向かわれ――ここからはアキコさんのいい分に沿った解釈になりますが――ドアを開けたとたんにデイヴィッド・オールドストーンさん――お仲間の愛称ではジェントリィ・ギタァさん――がナイフを胸に刺された格好でアキコさんの上に倒れるように伸しかかってきた。もっとも最初のとき、それが誰だか、またナイフに刺されていたことにも、アキコさんは気がつかれなかったみたいですがね」

 そこで彼はふっと息を継ぐと、右手の人差指をピンと伸ばした。

「そして一瞬後、事態を悟ったアキコさんは、叫ぼうにも息がのどに詰まり、そのままオールドストーンさんの体重に押されて洗面所の中に倒れ込んでしまわれたわけです。中、というのはその洗面所の入口がひとつで、一メートルほど奥まって、向かって右が男、左が女用の造りになっていて、ドアが向かって右から奥に開くようになっていたからです。そしてドアを開けると、開いたドアの方向から、ドアとアキコさんに被さるようなような形でオールドストーンさんが倒れてきたので、アキコさんは左肩からそのドアを押すようにすべり、洗面所内に倒れ込んでしまったんですね。で、驚いた拍子に反射的に脇を締めて掌が上を向き、死体のナイフを触って指紋がついたのかもしれません。もっとも、ちょうどアキコさんの掌が来る位置に、死体にナイフを刺したのだとしたら、真犯人はかなり頭がいいってことになりますね。そして、ひょっとしたら、アキコさんのお仲間の誰かって推理まで成立するかもしれません」

 ジェローム・Jはそこでちょっと肩をすくめてみせた。

「ま、くだらん推理は止めにしときましょう。……で、あたしが、なぜアキコさんの倒れた方向にこだわったかというと、それは、その方向に倒れなければ、アキコさんが洗面所の窓――重要なことですが開いていました!――を通してリレイヤーの空を見ることができなかったからです。彼女が『緑で、それから黄緑に変わった』と陳述された色の空をです。そして、その色の空を見ていたのはアキコさんだけではなかった。いったいどこから入ってきたのか、その場には、ここリレイヤーのかわいい仲間、猫蜜柑がいたんです。しかも、のどをゴロゴロと鳴らしてね。……ところでレミントンさん、あなたは猫蜜柑たちがいったいどんなときにのどを鳴らすのか、ご存じですか?」

 コスモ・アタヴァクロン誌の特派員記者は、そこでやっと私に発言の機会を与えてくれた。けれども、

「残念ながら、畑違いだな。私にはさっぱりわからない」

 私にできたのは、そんな情けない返答だけだった。すると、

「もちろん、あたしにも詳しいことはわかりません」

 とジェロームが、告げた言葉とは裏腹に、やけに確信ありげにこう続けた。

「なんかの記事で読んだことがあるんですが、リレイヤーの動植物は、みな、なにがしか空の色に反応するらしいですね」

「ああ、確かに、そういった研究成果はいくつか報告されているよ」

 相槌を打って私が答えた。反射的に口調が説明的に変わる。

「リレイヤーの空の色――つまりFLBは――リレイヤーの生物にとって、地球の太陽みたいなものだからでしょうね。地球の太陽の場合はスペクトル型がG2で、しかも生物にとって有害な紫外線は大気のオゾン層がほとんど遮断してくれます。けれども、あなたもご存じのように、リレイヤーの場合、二つの太陽のスペクトル型はB2とF8ですから、輻射される紫外線量は地球の太陽よりもずっと多い。そしてそれを緩和するのがFLBなんです。B2とF8から輻射された紫外線――と通常光――は、リレイヤーの空一面を覆い尽くすFLBにいったん吸収され、そしてエネルギーを弱められて蛍光色素から再放射されます。そうやって出てきた光をリレイヤー土着の動植物が――植物ならば光合成といった具合に――利用して、生命活動を行うわけです」

「だから、リレイヤーの空は、その全体を通じて太陽と同じ意味を持ち、それゆえ様々な条件反射を生む可能性もあると考えられる、そう解釈してもよいわけですな」

「おっしゃるとおりです。しかしブルースさん」

 と私は先に彼から渡された名刺を見て、名前を確認してからいった。皮肉な学者口調だ。「あなたの着想は大変面白いとは思いますが、ひとつだけ重大な欠点があります」

「欠点?」

「ええ。だってそうでしょう。アキが空を見たとき、その場にいた猫蜜柑をどうやって見つけだそうというんです。ここ、ニューグラスゴー市だけでも、何万という数の彼らがいるんですよ」

 すると頭髪の薄い太り気味の雑誌記者は高らかに笑って、私に答えた。

「はっはっは、レミントンさん。これは、あたしも見くびられたものだな。大丈夫ですよ。その猫蜜柑はいます。だいいち、あたしがこの計画を思いついたのは彼を警察から譲り受けたからなんですよ」

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