ボスとの遭遇編
第一話 迷宮料理人の日常
そもそもの全てのきっかけは、三年前のある日の夕食。
「聞いて驚け、
ドラゴン。
戦車砲にも耐える鱗を持ち、鉄をも溶かす炎の息吹を吐く、言わずと知れた
そんな怪物の中の怪物の肉で作られた目の前のステーキは、この世のものとは思えぬ芳醇な香りを放ち、ソースと肉汁に濡れて宝石のような煌めきを放っている。
遼はその天上の芳香に誘われるがままに、最初の一切れを口に運んだ。
その瞬間に彼が味わった衝撃を表現する語彙は、この世に存在すまい。
それは美味いという感覚すら超越した、暴力的なまでの快楽の奔流だった。
歓喜を爆発させる全身の細胞に命じられるがままに、遼は叫んだ。
「──美味すぎる! もっと喰わせろ!!」
「貰い物だからもうないぞ」
「なん・・・・・・だと・・・・・・?」
そして次の瞬間、残酷な宣告を受けるのであった。
ドラゴンの肉が値がつけられないほど貴重で、一般の市場に出回ることはまずあり得ないと知ったのは後になってからだった。
一般人はおろか、石油王だろうと大統領だろうと、世界を裏から牛耳る闇の組織のトップだろうと、そう簡単には口に出来ぬ至高の美食。
それがドラゴンの肉だった。
遼がそれを口にできたのは、父・晴人の勤め先が探索者協会であり、そこで知り合った一人の迷宮探索者がドラゴンの討伐に成功し、その人がとんでもなく気前の良い人物だったので肉をお裾分けしてもらったという、奇跡のような巡り合わせの結果だったのだ。
同じ奇跡は二度と起こるまい。
普通に生きていれば、遼が今後の人生でドラゴンの肉を口にすることはもう二度とない。
・・・・・・ならば素直に諦め、今日のことは一夜の夢として忘れるべきなのか?
──否!
遼の頭の中のマリー・アントワネットがこう囁いた。
買うのが無理なら、自分で狩ればいいじゃない、と。
かくして御園遼は
御園遼がボスと出会い、彼女のプロデュースで“ハルカ・ミクリヤ”として配信者デビューする少し前。
遼はCランクの
Dランク
「──せりゃっ!」
気合一発、遼は豪快な太刀筋で肉斬包丁を打ち下ろし、巨大な蛇型モンスター〈タイラント・スネーク〉の首を一閃する。
切り落とされた首と噴水のような血飛沫が宙を舞い、優に十メートル以上はある胴体が地面へと倒れ伏した。
蛇特有の強靱な生命力によって、頭を失ってなお胴体はしばらく暴れていたが、やがて静かになる。
「よし、やっぱりもうDランク
くるりと肉斬包丁を回転させ、刃から血を払い飛ばす。
このタイラント・スネークは、この〈ビーストランド〉最強のモンスターだ。
動きは素早く静かで、強靱な筋力を持ち、一度巻き付かれると脱出することは難しい。また牙の毒は、一噛みしただけで即時獲物を昏倒させる威力を持つ。
これを一対一で難なく倒せる腕を持つということは、一つ上のCランク
このままこれ以上Dランク
そろそろひとつ上の
自分ではそう思うのだが──
「Cランク
遼は
そしてスキル〈食糧庫〉を発動し、完全に動かなくなったタイラント・スネークの亡骸を収納すると、
そろそろ腹ペコの妹が帰ってくる時間だ。夕食の準備を済ませてしまいたい。
シャワーを浴びて楽な服装に着替え、手際よく料理の準備を進める。
御園家の両親は現在、そろって遠方に赴任しており、台所仕事はほとんど遼が一手に引き受けているのだが、それを大変だと思ったことはない。
ドラゴンステーキを食べたあの瞬間以来、遼はすっかり美食の魅力に取り付かれ、料理は彼のもっとも重要な趣味となっていたのであった。
もし両親が不在でなかったとしても、御園家の台所は遼の持ち場になっていたことだろう。
と、そこへ──
「ただいまー! あーお腹空きすぎて死にそう! っていうかもう三回くらい死んだ!」
妹の
学校の鞄プラス、ギターケースを背負っての帰還である。
「おかえりー、コトちゃん」
「ただいまお兄ちゃん! 今日の晩ご飯何?」
「オムライス。もうすぐ出来るから着替えてきな」
「オムライス了解! 私の大好物! 音速で着替えてくる!」
すたたたた、と部屋に駆けていく琴歌を見送り、手早く調理を終わらせて配膳する。
メインメニューはオムライスだが、中身のチキンライスに使ったのは市販の鶏肉ではなく、ホーンラビットという角の生えた兎型モンスターの肉だ。
脂肪が少なくさっぱりとしているが、それでいてしっかりとした旨味がある。
体重を気にする年頃の少女の味方と言えるだろう。
買えばそれなりの値段はするが、これは遼が〈ビーストランド〉で狩ってきたものなので実質タダ。
遼はこうして両親から送られてくる生活費を浮かし、なんとか妹の小遣いを増やす努力をしているのであった。ギターなんてやっていると、普通の女子中学生の小遣いでは中々足りないのだ。
「いただきます」
「いただきまーす!」
部屋着に着替えてきた琴歌とともに、食卓を囲む。
メインメニューはオムライス、サイドメニューはオニオンスープとサラダである。
全て手作りで、出来合いのものはひとつもない。サラダにかけたドレッシングも、いろいろと研究しながら自分で調合したものだ。
見た目も味も、その辺の高級洋食店に負けない出来だと自負している。
「美味しいっ、お兄ちゃんまた料理上手くなった? さすが〈料理人〉だねー」
オムライスをほおばった琴歌が、ニコニコと屈託のない笑顔を浮かべる。
琴歌は遼のひとつ下で、現在中学三年生。
くりくりとした大きな瞳は、好奇心旺盛な子猫のよう。しかもただの子猫ではなく、最上級の血統書付きだ。
きれいな黒髪をセミロングにしており、頭を撫でると最高級のベルベットのような感触がする(最高級のベルベットなんて触ったことないけど)。
兄の贔屓目抜きにして、世界一の美少女だと遼は確信している。
「まあな。でもその〈料理人〉が問題なんだけどな・・・・・・」
遼もオムライスを食べ進めながら、そう漏らした。
「お兄ちゃん、まだパーティメンバー見つかってないの?」
「そうなんだよ。まあ
「わかってるとは思うけど、パーティメンバーが見つかるまでは絶対Cランク
スプーンを振り回しながら、琴歌がまじめな顔をして言った。
探索者協会は
そして、
いくらDランク
それが遼の身を案ずる琴歌がさせた約束だった。
で、遼はその約束を律儀に守ってパーティメンバーになってくれる人を探しているのだが、これがまったく芳しくなかった。
だが、仕方がない。探索者の仕事は一歩間違えれば大怪我や死に繋がる。
〈料理人〉などというどう考えても弱そうな得体の知れないクラスなど、仲間にする気が起きないのは当然だと言えるだろう。
「思ったんだけどさー、お兄ちゃん、
夕食を終え、紅茶と一緒に食後のプリン(これも手作り)を出したところで、琴歌がそんなことを言い出した。
「いくらお兄ちゃんが〈料理人〉でも、実際にちゃんと戦えてるところを配信で見てもらえばさすがに一人くらいは勧誘してくれるんじゃない? Dランクは楽勝なくらい強いんでしょ? あっ、プリン美味しい!」
それゆえ
非常に夢のある職業ではあるのだが・・・・・・もちろん、配信を行えば必ず注目を集められるわけではない。
というかむしろ、配信者の総数を考えれば人気者と言えるのはごく一部だけで、泣かず飛ばすでまったく見てもらえない者が大半だ。
「俺が配信したとして見てくれる人いんのかな?」
「〈料理人〉って他にほとんどいないレアクラスなんでしょ? 珍しいし面白いし需要あると思うけどなー」
そう言われると確かに、一考に値する意見かも知れない。
あとで少し、
遼は密かにそう決意した。
「ごちそうさま! ねえお兄ちゃん、ギター練習するから一緒にやろ」
デザートを食べ終え、食器を濯いで食洗機にかけると、琴歌がそう言った。
三年前のあの日、遼だけでなく琴歌もドラゴンステーキは口にしたのが、どうも遼ほどの衝撃は受けなかったようだ。
遼と違って〈料理人〉のクラスに覚醒することはなく、美食よりも音楽に熱中している。
こうしてしょっちゅう練習に付き合わされるので、遼もそこそこ楽器ができるようになったほどだ。
これが後々“ハルカ・ミクリヤ”としてデビューした時に役に立つことになるとは、今の遼には知る由もないのであった。
「いいよ。今日は何の曲練習する?」
「んー、今日はジミヘンの気分かな! ストーン・フリー!」
「相変わらず趣味が良いな、コトちゃん」
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