田中



~田中~



「こんにちは」


 「聞くだけ屋」に入ってきたのは田中だった。


「田中警部、お疲れ様です」


 突然の田中の訪問にまた何かあったのかと神野ゆいは身構えていた。


「あ、安心して下さい。篠原さんが今日から出張でいらっしゃらないので、代わりに様子を見に来ただけです」


 神野ゆいはほっとしていた。


「そうでしたか。わざわざありがとうございます」


 田中は「いえ」と言ってソファーに座った。


 その姿を見て、神野ゆいは自分が田中のことをあまりよく知らないことに気付いた。


 今まで話したことと言えば何らかの事件のことについてだけだった。


 だから田中のプライベートは何一つ聞いたことがなかったのだ。


「あの、田中警部。お時間あるようでしたら少し質問してもよろしいですか?」


 神野ゆいもソファーに座った。


「ええ、大丈夫ですよ」


 警察官だけあって体格は良いが、顔はどちらかというとかわいらしい、警察ぽくない印象だった。


「田中警部はご結婚は?」


「えっ? いや、まだです。なかなかいい人と巡り会えなくて。というか、仕事が忙しくてそんな暇もないですけどね」


「お若いのに警部ですものね。さぞかし大変だったのではないですか?」


「いえ、私はただ目の前の仕事と真剣に向き合っていただけです。全ては篠原さんのおかげです。なぜか私を気にかけて下さって。私もそれに答えようと必死に頑張りました。篠原さんの推薦もあって、異例の早さで警部になれたのです。篠原さんがいなかったら私はきっと警部補止まりです」


「そんなことはないと思いますよ。田中警部の真面目で一生懸命なところは篠原さんじゃなくても、皆にも伝わっていると思います」


「いやぁ……ありがとうございます」


 田中は少し照れくさそうにしていた。


「あの、僕からも質問していいですか?」


「はい」


「神野さんはストレスがたまったらどうしているのですか? いつも人の話を聞いておられて、嫌になったりしないのですか? 愚痴を言いたくても、お客様のことはいっさい話せないじゃないですか。だからいつもどうしてるのかなって思ってたんです」


「確かに、はたから見れば私は大変そうかもしれません。実際に子どもの頃やまだ学生の頃はこの能力が嫌で嫌でたまりませんでした。うわべと本心が違いすぎて混乱したり、人間不信に陥ったり。でも篠原さんご夫妻と出会って私は変わりました。最初から嘘偽りなく、しかも裏表のない人に会ったのは初めてでした。それがとても嬉しかったのです。それから私も人とのつきあい方を考えなおすことができました。言い方は悪いかもしれませんが、今は人の持つ表と裏を見るのが楽しいのです。人が本心では何を考えているのかが見えた時、私自身もスッキリとした気持ちになります。だからストレスがたまったり嫌になったりすることはありません」


「……ほう。そういうことだったのですね。私だったら耐えられないですよ。人の愚痴ばっかりきかされるなんて」


「普通はそうですよね」


 神野ゆいは笑った。


「あれ、じゃあ僕たち二人とも、結局篠原さんのお陰で今があるってことじゃないですか?」


「あは、言われて見ればそうですね」


「なんだぁ。一番格好いいのは篠原さんになっちゃうじゃないですかぁ」


「本当ですね。あはは」


 神野ゆいと田中は楽しそうに笑っていた。





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