陣川杏里
~陣川杏里~
「ここはお話しを聞くだけです。もし私に何かしら話して欲しい時はおっしゃって下さい。ただし一切の責任は請け負いません。タイムリミットは初回は十分です。アラームが鳴ったら途中でも切り上げていただきます。最後に料金についてですが、決まっておりません。心のままにお支払いして下さい」
説明の後のサインとペットボトル。
タイマーをセットして、いつもの「聞くだけ屋」が始まる。
「よろしくお願いします。陣川杏里といいます」
年齢は自分と同じくらいだろうか。
とても可愛らしく清楚に見えるが、神野ゆいにはどこか冷酷な空気を醸し出しているように思えた。
「実は最近、会社の上司とその……不倫してしまいまして。もとからすごく気にかけてくれてたんです。いつも優しくて。それが会社の飲み会の後、しつこくホテルに誘われちゃって。あ、無理矢理ではなくて、別に嫌ではなかったんです。私もちょうど彼氏がいなくて、こんなに誘ってくれるなら、まぁいっかなって。すぐ流されちゃって」
陣川杏里が恥ずかしそうに笑う。
「最初は、なんか楽しかったです。こそこそとうちに来たり、時間差でホテルに入ったり。悪い事をしてるドキドキ感。会社の人達にバレないかのヒヤヒヤ感。そういうのもちろん初めてだったので、すごく新鮮で。かといって、その上司のことを好きだとかそういう気持ちはなかったです。ただ二十歳も年上なので、本当に優しくて、一緒にいるととてもラクでした。私のことを好きだ好きだって言ってくれるし」
「それがしばらく続いた後、彼が突然奥さんと離婚するって言い出したんです。驚きました。正直、困りました。私は本当に軽い気持ちで、真剣にお付き合いする気も全くなかったので。彼はお子さんが三人もいるんですよ。一番下の子はまだ二歳くらいです。そんなの私、責任とれませんよ。奥さんと別れてなんて言葉、一度も言ったことないですし、好きだとか会いたいとかも言ったことないです。なんか自分一人で盛り上がっちゃって、私は一気に冷めました」
陣川杏里は怒ったような表情になった。
「だから私、ちゃんと正直に言ったんです。最初からそういうつもりは全くないって。バカなこと考えないで、冷静になって下さいって。そしてもう終わりにしましょう、別れましょうって」
「そしたらどうしたと思います? 彼、突然うちに来て、私が玄関のドアを開けたらいきなりしゃがみこんで私の足にすがりついて泣き出したんですよ。頼む捨てないでくれ、お願いだから頼む……って。あきれてすぐ追い返しました。私、気持ち悪くなっちゃって、有給消化して会社辞めちゃいました。また家に来られると恐いので近々引っ越そうと思ってます。電話番号も変える予定です」
そこまで話すと陣川杏里はペットボトルのお茶をゴクゴクと飲み出した。
「あー、スッキリしました。ありがとうございました」
そう言うとバッグの中からごそごそと財布を取り出し一万円札をテーブルの上に置いた。
「男の人って、ちょっとエッチしたらすぐ自分の物って思っちゃうんですかね。家庭があるのにそういうことしたいならもっと割りきってやってもらわないと、こっちが困りますよね。だいたい二十も下の女の子になに期待してんだって話しですよ。遊ぶならもっと上手に遊ばないと、ですよね」
神野ゆいは、ただ黙って話を聞いていた。
「あーもう、こんなこと人に話したら絶対嫌われるから誰にも言えなかったけど、正直に自分の気持ちさらけ出すってこんなにも気持ちいいんですね」
陣川杏里は本当にスッキリとした笑顔だった。
ピピピピピ……
タイマーがなった。
「お時間です。ありがとうございました」
タイマーを止めて神野ゆいが言った。
「どうもありがとうございました」
陣川杏里がお礼を言い、立ち上がり、ドアを開けて出ていった。
神野ゆいはテーブルの一万円札をしまい、タバコに火をつけた。
(……タバコ、やめなきゃな)
夕日で朱く染まり始めた「聞くだけ屋」の窓を見ながら、なぜかそう思った。
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