坂本茂



~坂本茂~



「私は、ある人に頼まれ事をしてね。ある物をある人物に渡して欲しいと言われ、指定の時間に指定された場所に行ったんだ。その現場を見事に週刊紙に撮られてね。たぶん来週あたり、公けになるんじゃないかな」


 坂本茂は特に気にしている様子もなく、他人事のように話している。


「頼まれて、夜中の十二時に、知らない男に封筒を渡したのですね?」


「えっ?」


 坂本茂が驚いた。


「なぜそれを?」


「なぜかは言えませんが……。大臣、封筒の中身は? 見なかったのですか?」


「もちろん見たよ。風邪薬だったよ。医者でもらう、ごく一般的な風邪薬。顆粒の。それが封筒の中に多めに」


 (そうか、はたから見ればお金に見えるかもしれないな)


 膨らんだ封筒を想像してみた。


「それを夜中に……。おかしな話だとは?」


「もちろん思ったさ。だけど、どうしてもとお願いされてね。自分の知り合いが風邪をひいて苦しんでいるから届けて欲しいってね。自分はどうしても時間がなくて行けないからって。普段は頼み事なんかするような奴ではないんだ。それが必死で頼んできたから、承諾したよ」


「現れた男は、帽子にマスク。ですね?」


「それにメガネもだ。暗くて表情も何もわからなかったよ。でもね、一瞬だけ見えた、その男の目が鋭かったことは覚えてるよ」


 (メガネ……)


「もしかしたら、その男がここへ来た、久保田という男かもしれません。メガネの奥の目が大変鋭かったものですから」


「ふん……」


 坂本茂はしばらく考えていた。


「……大変失礼かもしれませんが、大臣、はめられたとお考えになった方が……」


「いや、失礼なんかじゃないよ。大丈夫だ。はめられたと考えるのが普通だからね。しかし、心当たりがないんだよ。そいつは同期でね。もう二十五年の付き合いになるかなぁ」


「その方と、久保田という男。そして坂本大臣と私……。どういう繋がりがあるのでしょうか」


 坂本茂はあきれたかのように笑う。


「さっぱりわからないよ。しかもそいつと連絡がとれないんだ。あれから一ヶ月近くもね」


「えっ……ご自宅やご家族は?」


「そいつは独り身でね。家にも知り合いに頼んで見てきてもらったけど、どうやら留守らしいんだ。仕事は体調不良を理由に長期休暇届けが出されていたよ。何事もなければ、と思っていたが、どうやらそうも言ってられそうもないね」


 神野ゆいも不安になってきていた。


 いったい何が起こっているのか。


 人ひとりが行方不明となれば、警察に届けた方がいいのではないのか。


「警察に届けることにするかな……」


 坂本茂がつぶやいた。


「私も今それを考えていた所です。私がお世話になっている篠原さんという警視長がおります。その方に相談してもよろしいでしょうか?」


 神野ゆいが聞いた。


「警視長か、うん、充分だ。頼んでもいいかな?」


「かしこまりました」


 神野ゆいが頭を下げた。


「最後に一つだけ、どうしても気になることがあるのですが」


「うん? なんだい?」


「あなたは、週刊紙に撮られようが、公けにされようが、はめられようが、全く気にもしていないように見受けられます。恨みや怒りも無く、動揺ひとつしておりません。それはいったい何故なのでしょうか」


「ああ、そんなことか」


 坂本茂は笑っていた。


「私はね、気にしても仕様がないと思ってるんだ。それはあきらめてる、ということではなくてね。起こってしまった物事はどうすることも出来ないから、ただ受け入れるようにしているんだよ。そうすると、時間だったり、自分だったり、誰か他の人だったりが、必ずどこかへ導いてくれると信じてるんだよ。例えば今回で言えば、上条がここを紹介してくれただろ。私は断ることもできたが、上条を信じてこうやって出向いた。そして神野くんと出会い、この事件が少しだけども動き始めた。こうやって、人が何かひとつ行動することによって物事はあらゆる方向に転がって行くんだ。だから私は何があっても冷静でいたいと思ってるんだよ。それに、その同期の奴だって久保田という男だって、何か理由があったはずだしね。週刊紙だってただ仕事としてスクープしてるだけに過ぎない。誰のことも責められないし、誰も恨んだりしちゃいけないんだ。ハハハ。そういえば、上条にも昔、こうやって言い聞かせていたな。懐かしいよ」


 坂本茂は優しい顔で思い出していた。


 素晴らしい人間だ。


 こんな完璧な人間がいるのかと思いながら、神野ゆいは坂本茂を見ていた。


「とても素敵なお考えです。大変勉強になりました」


 それから次に篠原と会う日程を決め、坂本茂は「聞くだけ屋」を後にした。





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