小百合
~小百合~
いつもの説明とサインとペットボトル。
タイマーをセットし、いつものように神野ゆいの「聞くだけ屋」が始まる。
「よろしくお願いいたします。小百合と申します」
小百合と名乗る女性は素性を言いたくないとのことで、誓約書は署名ではなく拇印を押した。
見た目は五十代前半くらいで、とても高級そうな服とバッグとアクセサリーを身に付けている。
かといって下品さは全く無く、育ちが良いのかとても品のいい奥様といった感じだ。
「私と夫との間に子供はおりません。出来ませんでした。夫は私とは再婚で、前の奥様は子供を産んですぐに亡くなられてしまったそうです。当時夫はまだ若く、身寄りもなかったとのことで、一人で育てるのを諦めて子供を施設に入れたそうです。もちろん、辛かったと思います。私には何も言いませんが、結婚当初から時々古い赤ちゃんの写真をこっそり眺めているのを何度も見ています」
小百合は上品なしゃべり方で、とても落ち着いていた。
「それが、二ヶ月程前に夫に癌が見つかりました。余命は一年だとお医者様に宣告されました。手術や治療も考えましたが、病院のベッドで一年過ごすよりはと普通の生活をして過ごす方を選びました」
「それからです。夫は死ぬ前に我が子に会いたいと思ったのでしょう。私のことを思ってか、また私には何も言ってくれませんが、今必死に娘を探しているようです。言ってくれれば私だって夫の力になりたい。一緒に探したいです」
小百合は寂しそうだった。
本当に夫を愛しているのだろう。
「あぁ、少しスッキリしました。夫に隠し子がいるなんて誰にも言えませんでしたから。癌のこともまだ誰にも言っておりません。夫がまだ秘密にしてくれと言っておりましたので」
小百合は優しい微笑みで神野ゆいを見た。
「神野さん、あなたは不思議な方ね。ただ聞いてもらっただけなのに、とても心が落ち着いたわ。ねぇ、何かお話しして下さらない? 是非お願いするわ」
年齢の割にはとても可愛らしい笑顔をする人だ、と神野ゆいは思った。
「ご主人はとても優しい方なのですね。そして小百合さんのことを本当に愛していらっしゃる。小百合さんもまた、ご主人のことを心から愛してらっしゃるのですね。とても素敵です」
「ありがとうございます。そうね、夫を愛しているわ。でも、もっと話して欲しかったと思うのは私のわがままかしら?」
「そんなことはありません。今からでも遅くはありません。小百合さんからお伝えするのです。一緒に探したい、あなたの力になりたい、と。愛しているからこそ、ご主人も言えないでいるはずです。小百合さんの言葉を待っているはずですよ、ご主人はきっと」
小百合は目に涙を浮かべていた。
「そうかしら。そうね、そうかもしれないわね。あの人が、夫が自分から話そうとするはずないものね。私がお尻を叩かなきゃよね」
「ええ」
小百合は涙をぬぐい、また可愛らしい笑顔に戻った。
「神野さん、本当にお礼を言いたいわ。どうもありがとう。あなたみたいに綺麗で優しい方が夫の娘なら言うことないのにね。あら、ごめんなさい。私ったら。いい迷惑よね」
「そんなことありません。恐縮です」
ピピピピピ……
タイマーがなった。
「ねえ神野さん。また伺ってもよろしいかしら?」
小百合は帰り支度をしながら聞いた。
「もちろんです。またお待ちしております」
「ありがとう。楽しかったわ」
香水なのか、いい香りがする封筒を神野ゆいに渡し、小百合は「聞くだけ屋」を後にした。
神野ゆいは窓から下の通りを覗いた。
黒塗りの高級車が停まっている。
運転手がドアを開け、小百合が乗り込む。
車が走り出す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます