久保田隆志



~久保田隆史~



「ここはお話しを聞くだけです。私に何かしら話してほしい時は言って下さい。ただし一切の責任は請け負いません。タイムリミットは初回は十分です。料金についてですが、決まっておりません。心のままにお支払いして下さい」


 いつものように神野ゆいは手順を説明し、サインをもらいタイマーをセットする。


「久保田と申します。神野、さん、若くてお綺麗でびっくりしました。何だか恥ずかしいなぁ」


 スーツを着たサラリーマン風の男だ。


 三十代半ばといったところか。


 軽い口調の割には眼鏡の奥の目は鋭かった。


「自分、営業であちこちお邪魔するんですけどね。最近ここの噂、よく耳にするんですよ。色々話を聞いてくれるって。占いか何かかなって思ってたんですけど、見た感じ違いますよね?」


 久保田は部屋の中をキョロキョロと観察している。


 確かにこの空間は占い師の部屋とは大違いだ。


 まず大きなソファーが部屋の奥にテーブルを挟んで存在感を出している。


 通りを見下ろす事が出来る窓際には神野ゆいのデスクただ一つだけ。


 割と広めの空間にそれだけしかない。


 前に麗愛が「何かさぁ物がないとぉ、もうお喋りするしかないんだねー」と言ったのを思い出した。


 お客様が話しやすい空間にしているつもりだ。


「えっと、最近ストレスたまっちゃってですね。上司がわがままで厳しいんですよ。あれしろ、これしろ、命令ばっかりで。家に帰れば帰ったで、妻は早く帰るなら連絡くらい入れろだの、ご飯がどうのこうの言われまして。あ、神野さんに聞きたいんですが、やっぱりこういった会社の愚痴やら家庭の愚痴を話す人が多いんですかね? 私も初めてでこんなもんでいいのだろうか、と不安になりまして」


 久保田は鋭い目で神野ゆいを見た。


「久保田さん」


 神野ゆいは少し考えてから、ゆっくり息を吐いた。


「もうこれ以上嘘をつく必要はありません。なぜ嘘をつかなければならないのかをお話しして下さい。それが出来ないと仰るなら、これ以上は時間の無駄です。お引き取り下さい」


「えっ、ちょっと待って下さい」


 久保田は身をのり出した。


「いいですか? まずあなたはあちこちに顔を出すのは本当でしょうが、営業なんかではありません。鞄も持たない、名刺も出さないなんて事はあり得ません。もしかしたらお名前も偽名かもしれませんね。仕事のストレスはあるかもしれませんが、あなたはおそらく結婚もしておりません。なので家庭のストレスも嘘です。その結婚指輪は誰かにお借りしたのですね?」


 神野ゆいがここまで話すと久保田はあきらめたのかソファーにもたれ掛かった。


「あと、他の方々がどんな話をするのかなんて私が言うとでも思ってたんですか? なめられたものですね。わざわざここに来て話をする、という事は私は秘密を守るという暗黙の了解を得ているということなのです。私が信用出来ないのなら今すぐお帰り下さい。でなければ、誰に何を頼まれたのかちゃんと真実を話して下さい」


 神野ゆいは怒っていた。


 心外だ。


 試されたのか。


「……わかりました。申し訳ありませんでした」


 久保田はテーブルに手をつき頭を下げた。


 そしてうちポケットから名刺を出した。


 『財務大臣 秘書 久保田隆史』


「名前は本当です。久保田と申します。あとは神野さんの仰る通りです。お見それいたしました。大変失礼いたしました」


 久保田はもう一度頭を下げた。


「……秘書のあなたが、どういうことでしょうか」


「大臣に頼まれまして。偵察してみてくれと。私はこういうことが苦手でお断りしたのですが、どうしてもと無理矢理に……」


「何を偵察にですか?」


「それは私にもわかりません。ただ大臣は、ここがどんな場所であなたがどんな方か教えてほしいとだけ言っておりました。バレたら素性をあかしてもいいと。それだけでした」


 今の財務大臣は確か、坂本茂という人物だ。


 晴輝の父親、上条太郎の先輩だったはずだが何か関係があるのだろうか。


 ピピピピピ……


 タイマーがなった。


「ここまでです。お引き取り下さい」


 久保田にこれ以上聞いても何もわからない。


「本当に申し訳ありませんでした。これを受け取って下さい」


 久保田は少し厚みのある封筒を神野ゆいに渡した。


「受け取るわけにはいきません。大臣のお話しは聞いておりませんので。これは預かってこられたんでしょう? お返しして下さい」


「いや、でも……」


「何があろうと受け取りません」


「わかりました」


 久保田は封筒をしまった。


「では、失礼します」


 久保田は申し訳なさそうに「聞くだけ屋」を後にした。


 (何だったんだ……)


 何か腑に落ちなかった。


 そこまで気にすることはないのだろうか。


 それとも晴輝に連絡しておいた方がいいのだろうか。


 しばらく神野ゆいは考えこんでいた。





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