【KAC20236】握りたい手はひとつだけ(お題:アンラッキー7)
同じクラスの
俺と宮路はいわゆる「ケンカ友達」というやつで、顔を合わせれば常に何かを張り合ってきたような関係だ。それはずっと宮路に惚れてた俺がちょっかいをかけ続けた結果で、おそらく「いがみ合ってる」というよりは「じゃれ合ってる」と言った方が適切だ。
今年の春に本気のケンカをして、宮路は俺に「大嫌い」という言葉をぶつけた。それをてっきり「フラれた」と思った俺が、逃げるように彼女を作ったあとも、俺の心は宮路に残ったままだ。
俺は今、同じバスケ部の
だけど、俺は俺なりに、優美と向き合っているつもりだ。
たった一瞬、想いが揺らいでしまっただけ――そんなことを言い訳にして、人の心を弄んでいいはずがないから。
昼休みに美術室へ行くと、宮路は既にそこにいた。美術部員の宮路にとって、ここは自分のテリトリーみたいなものだ。わざわざ俺を呼び出したってことは、自分のペースで話したいことがあるんだろうな……他の誰にも聞かれたくないような、そんな話。
「わざわざごめんね、来てもらって」
「それはいいけどさ、どうしたんだよ?」
「え、えっと……」
宮路は話を切り出す気配もないまま、口籠ったままで俯いている。よっぽど言い辛いことなのか、俺と目を合わせようとしない。
まさか告白……なんて、ありえない期待が胸をよぎる。いくらそれを期待したところで、絶対にあるはずがないのに。優美と宮路は、小学生の頃からの友達だ。他の女子ならいざ知らず、宮路が優美を裏切るとは思えない。
しかし、じゃあ、今の状況は何なんだ?
誰もいない美術室に俺を呼び出し、何かを言い辛そうに俯いて、小柄な宮路がますます小さく見えて――よく見れば、耳も首筋も真っ赤じゃないか。
期待、してしまう。
たとえ告白されたところで、応えてなんかやれないのに。
気まずい沈黙が流れて、時計の針の音がやけに大きく聞こえる。俺の方から何かを言うべきか迷った途端、あのね、と宮路が顔をあげた。
「桜川神社の、七夕祭りなんだけど……よかったら、一緒に行かない?」
口調は真剣で、頬は上気したように赤くて――ああ、これは冗談なんかじゃない。軽い気持ちで言ってるわけでもない。
宮路が、俺を、本気でデートに誘ってる。
その状況のありえなさに、なんで、とつい声に出た。すると宮路は俺をまっすぐに見つめて、凛とした声で「好きだから」と、奇跡のような言葉を告げた。
「私、大嫌いなんて言っちゃったこと、ずっとずっと後悔してた。だから、せめて、一度くらいは気持ちをぶつけておこうって……そう、思ったの」
嬉しくないはずがなかった。
長い間、好きで好きでたまらない女の子が、俺に本気の想いを伝えてくれてるんだから。
だから、もし許されるのであれば、正直に「俺も好きだ」と言ってしまいたかった。嬉しい気持ちをまっすぐに伝えて、今よりもっと距離を縮めてしまいたかった。
でも、それは決して許されない。
宮路とケンカをしたあの日、俺は、優美の想いを受け入れたのだから。
「ごめん、宮路……俺、優美と付き合ってるから」
「付き合ってるから、ダメなの? 好きだから、じゃなくて?」
「アイツの気持ちに応えた以上、大事にしてやりたいんだよ」
「そっかぁ……なんか、富石くんらしいね……」
いつも俺を「トムくん」とあだ名で呼んでいた宮路が、他人行儀に名字を口にして、俺たちの間に生まれた距離を知らしめてくる。それからパアッと笑顔になって、ありがとうと言い残し、逃げるように美術室から飛び出して行った。
――こんな事情を知らないはずの優美から、メッセで「七夕祭りに行こうよ!」と誘われたのは、その日の夜のことだった。
七夕の日は晴天で、待ち合わせをした十九時ちょうどに、浴衣姿の優美と合流した。可愛いでしょうと得意気な優美に、似合うよと返事はしたものの、正直に言えば「動き辛そうだなぁ」という感想しか持てない。
優美はとても上機嫌で、まるで「世の中のすべてが楽しい」と言わんばかりだった。その様子があまりにも無邪気で、同じ気持ちで楽しめない自分に罪悪感を覚えてしまう。
「七夕、お天気よくて良かったね~!」
「ああ、そうだな」
「七月七日の夜七時、スリーセブンでラッキーセブン! 縁起いい~!」
「そうだな」
「もー、ちゃんとあたしの話を聞いてよ~!」
「聞いてるって」
優美の騒ぎっぷりが目立つのか、同じ中学のヤツとすれ違うたびにヒソヒソと何かを言われて、それがひどく煩わしい。しばらく出店を回るうち、その不機嫌が伝わったのか、優美は「人の少ない方に行こ」と俺の手を引いた。
手を繋いで本殿の裏手に回ると、ご神木の大きな山桜がある。参道側の喧騒が嘘のように人が少なく、ベンチにも空きがあるくらいだ。
しかし、そこに同級生の姿を見つけた。
最初に視界に入ったのは、俺の親友の
浴衣姿の宮路が、譲と笑い合っている。
普段の二人は、そんなに親しいわけじゃない。譲と同じ団地に住んでる俺や
いったいどういうことなんだ?
うっかり足を止めてしまった俺を、優美は見逃してくれなかった。
「譲くんと、恵理ちゃん……?」
俺の視線を追ったらしい優美は、なぜだかひどく沈んだ声で、どうして、と小さく呟いた。
それは、隣に俺がいるのも忘れて、大きな衝撃を受けているように見えた。
とても祭りを楽しむ気分になどなれず、俺たちは地元へ帰ることにした。
バスが地元の駅に着くまで、二人とも何も言わなかった。だけど駅前から歩き出し、最初の交差点を過ぎたところで、優美がようやく重い口を開いた。
「あたし……
「うん。何?」
「あのね、あたし、譲くんに……いろんなこと、相談してた……」
「別に謝るようなことじゃないだろ?」
「それだけじゃなくて……好きだって、言われたの。それなのにあたし、相談することをやめなかった……」
その告白を聞いても、別に驚きはなかった。
さっきの衝撃の受け方は、いつもの優美らしくなかった。譲にもうっすらと惹かれていて、そのことを謝っているんだろう。これまでに俺が取ってきた態度を思えば、仕方がないことだとわかっている。責めるつもりは微塵もないし、そもそも責められるべきなのは俺だ。
今の俺が腹立たしいのは、優美のことじゃなくて、譲のことだ。優美に好きだと言いながら、宮路とデートするなんて、いったいどういう了見なんだ?
「ごめんね、碧。ごめんなさい」
「いいよ、気にしてないから」
「……気にして、ないの?」
「譲には腹立ってるけど、優美には別に……逆に、ごめんって、思ってる」
正直に、自分の気持ちを伝えたつもりだった。
だけど優美はあっという間に頬を赤くして、目に涙をため、やっぱり、と怒気をはらんだ声で呟いた。
「あたしとのことはどうでもよくて、恵理ちゃんと一緒にいたことの方が、気になるんだ……!」
「ちょっと待て、なんでそうなる?!」
「だってそうでしょ!? もういい、あたし別れる……わかってたもの、碧はきっとこれからも、恵理ちゃんを好きなままなんだって!」
「優美!」
俺に反論の機会も与えないまま、優美は自宅の方へと駆け出して行く。
追いかけて、どうするんだ?
優美の言葉を、心から否定できるのか?
ここで追いかけて、嘘を重ねて否定して……その先には、何が待ってる?
俺に優美を追う資格なんかない。このまま別れることになっても、学校中に嫌な噂が広まったとしても、全て俺自身が招いたことだ。
やりきれなくて、天を仰ぐ。そこに広がる星空さえも、今の俺には
せめて苦情のひとつも言ってやろうと、俺は譲に呼び出しのメッセを送り付けた。
譲が俺の家を訪ねてきたのは、もう日付が変わろうという頃だった。
自室のベランダでぼんやりしていた俺の隣に来ると、えらくご立腹だな、と呆れたように言った。
「俺、何も言ってねえけど」
「顔見りゃわかるに決まってるだろ、何年お前の相棒やってきたと思ってんだよ」
親同士が仲良くて、幼稚園の頃から親友を名乗ってきた譲。女癖が悪いのはわかっていたけど、誰彼構わずだとは思ってなかった。俺の好きな子に手を出すなんて、絶対にありえないと信じていたんだ。
「宮路と一緒に、祭りにいたよな?」
思いっきり睨みつけると、見てたのか、と譲が顔を覆った。
「彼女持ちのトムには、関係ないことじゃないか?」
「関係ないことないだろ」
譲の足を軽く蹴ると、同じように蹴り返されて、そのまま蹴り合いになった。別に本気で蹴ってるわけじゃない、この程度はいつものことだ。
「そんなに怒るなよ、別に二人きりだったわけじゃないから。そもそも、俺を祭りに誘ったのは香奈だしさ」
「香奈、いなかったじゃん」
「それ、宮路ちゃんが鼻緒擦れ起こして、香奈が絆創膏を買いに行ってた時じゃないかな」
「それなら最初からそう言えよ。趣味悪いな」
「そりゃ悪くもなるさ。好きな人を弄ばれれば腹立つだろ? 俺もそうだよ、思い知りやがれ」
最後に俺へもう一発だけ蹴りを入れてから、譲が室内に戻ろうとする。逃げんなよと声をかけたら、どっちがだよと返されてしまう。
「俺、絶対に優美ちゃんを諦めないから……だから、お前も、逃げるなよ?」
譲は嫌味な笑いを残して、じゃあなと手を振り、俺の部屋を出て行った。
後ろ姿を見送ってから、俺はスマホを手に取ってみる。今日起こったことは、本気でツイてないことばかりだった。宮路と譲の仲を誤解して、優美には逆に誤解されて……俺が護ろうと思ったものは、いともあっさり崩れてしまった。
だけど、ここから始まるものも、きっとある。
時計を見れば、既に日付が変わっていた。「
『夜遅くにごめん。少しだけ話せる?』
『いいよ、少しじゃなくても平気』
即座に送られてきた返事を見て、俺はガッツポーズを決める。鈍色だったはずの星空が、物凄く輝いて見えた。
たった一つの握りたい手を、今度こそ、この手でしっかり掴めますように――そんなことを祈りながら、俺は通話ボタンをタップした。
(了)
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