【KAC20234】妹みたいな女の子(お題:深夜の散歩で起きた出来事)
五月の連休初日の夜中、寝ぼけながら覗いたスマホの通知画面には「彼女が出来た」と表示されていた。それは同じ団地に住む幼馴染にして腹心の友、
トムには小学生の頃からずっと好きな女の子がいて、てっきりその子とうまくいった話なのだろうと思った俺は、家を抜け出して会おうとトムを誘った。俺もトムも親は放任主義で、深夜だろうと咎められはしない。
団地内にある展望台で落ち合って、いざ話を聞いてみると、俺の予想と相手が違っていた。
トムはずっと、
それなのに、いきなり女子バスケ部の
優美ちゃんの方は、子供の頃からずっとトムのことが好きだった。彼女がバスケを始めたのも、トムがバスケを始めたからだ。それは本人が公言してきたことだし、トムだって知らなかったはずはない。それでもトムは優美ちゃんを「バスケ仲間」だと言い続けていたし、去年の夏に告白された時は断ったとも聞いている。
直球で疑問をぶつけてみると、トムは無の境地みたいな顔をして「無神経すぎて宮路に嫌われた」などと今更ありえないはずのことを言い、更に「東堂にはお試し期間でいいって押し切られた」と続けた。
普段通りの表情を、俺は作れていただろうか。
俺が優美ちゃんに恋をしていることを、目の前の親友は、微塵も知らない。
案の定、三人の関係は痛々しいものとなった。
宮路ちゃんと仲直りをしたトムは、優美ちゃんを拒絶こそしないものの、これまで通りの振る舞いを止めようとはしなかった。宮路ちゃんの方も突き放すことはできない様子で、かといって図太くもなれないのか、見ていて気の毒になるくらいに優美ちゃんを気遣っていた。
そして当然、優美ちゃんは傷付き続けている。二人の親しさを目の当たりにしては傷付き、本当の想いが見えては傷付き、過剰に気遣われては傷付き……結局、俺が優美ちゃんの話を聞く係になった。好きな子の恋愛相談を進んで引き受けるなんて、我ながらとんだ道化だと思う。
トムと優美ちゃんの関係は、始まる前から破綻していた。
全員それをわかっているのに、揃いも揃って見ないふりをしているんだ。
中間テストが終わった日の深夜、テスト勉強で夜更かしが習慣化していた俺は、寝付けずに散歩へ出ることにした。夕方には部活でヤケクソのように身体を動かしてきたというのに、どうにも頭が冴えてしまっていた。
考えなきゃいけないことが、多すぎるんだ。
トムのこと、優美ちゃんのこと、宮路ちゃんのこと。
俺は優美ちゃんが好きだけれど、トムを非難する気にはなれなかった。優美ちゃんの想いを受け入れる、そう決めたからにはきちんと向き合う――おそらくアイツのことだから、そんなことを考えているんだろう。ほんの一瞬の気の迷いで生まれたねじれ、その責任をアイツは必死で取ろうとしてる。
いっそ宮路ちゃんさえいなければ……とも思うけど、あの子だってトムの迷走の被害者だ。学年中にトムたちの関係が広まった今、宮路ちゃんの立場は完全に「邪魔者」だ。もしも今、トムが優美ちゃんをフッたとしたら、誰よりもヘイトを向けられるのはあの子に違いない。それをわかっていてトムをそそのかせるほど、俺は宮路ちゃんが嫌いなわけじゃない。
誰ひとり傷付くことなく、平穏におさまる術はないだろうか。優美ちゃんが俺を選んでくれれば、全て丸く収まる気がするのに……なんて思ってみても、恋愛相談なんかされてる俺は、完全に対象外だろう。
ずっと、見た目も中身も好かれるように、いろんな努力を続けてきた。その結果、たくさんの女の子が俺を好きだと言ってくれるけど……本当に欲しい心だけは、決して手に入らないんだ。
どうしようもないことを延々と考えながら、展望台への階段を上がっていく。時間が時間だ、他に誰かがいるわけはない……そう思っていたのに、ベンチには長い黒髪の女性が座っていた。丑三つ時にこの絵面、完全にホラーだ。
足音で俺に気付いたのか、女性はこちらを振り返った。外灯に照らされて浮かび上がった顔は、日本人形のように整っている。やっぱり絵面はホラーだが、誰だかわかれば怖くはない。そこにいたのは、俺がよく知っている女の子だった。
「
「あ、
ベンチに座っていたのは、幼馴染の香奈だった。いくら住んでる団地の敷地内だからといって、中学生がこんな時間に外へ出るのはよくないことだ。俺は自分のことを棚に上げ、不良娘、とからかった。香奈は絵に描いたような「おとなしい優等生」だけど、こういう一面もあるのか……幼稚園の頃からの長い付き合いだけど、正直言って意外だった。
「こんな時間にどうしたの?」
「ちょっと眠れなくて。譲くんは?」
「俺もそんなとこ。帰るんだったら送っていくよ」
「ううん、平気」
香奈が帰る気配を見せないので、俺はその隣に座った。
普段はあまり感情を表に出さない香奈だけど、今はあからさまに元気がない。おそらく何かがあったんだろうが、気軽に聞いていいものかは迷う。家族ぐるみの付き合いだから、ずっと「妹」のように思っているけれど……それでも「異性」である俺たちには、越えてはいけない一線がある。
どうしたものか考えていると、あのね、と香奈が重い口を開いた。
「譲くんは、トムくんたちのこと、どう思う……?」
「トムたち?」
「トムくんと……恵理ちゃんと、優美ちゃんの、こと」
ああ、とそこで合点がいった。香奈は宮路ちゃんを慕っているから、あの三人の関係が気になるんだろう。
ここでひとつだけ、決して間違えてはいけないことがある。
香奈の前では一言だって、宮路ちゃんを貶してはいけない。
香奈にとっての宮路ちゃんは、単純に「親友」なんて言葉では片付けられない、いわば聖域のようなものだ。仲良くなったきっかけが「虐められていた香奈を宮路ちゃんが助けた」という英雄譚だったこともあるんだろうが……香奈を見ていると、人間は他者に対してここまで濃密な感情を持つのかと、思わず感心するくらいだ。
「俺は、あのままじゃ良くないと思ってる。香奈はどう思う?」
「私は……わからないの……」
消え入りそうな声で呟いて、香奈はそのまま俯いた。てっきり「トムくんと優美ちゃんを別れさせたい」などと言い出すだろうと思っていたから、それ以外の考えがあることに驚いた。宮路ちゃんの幸福と天秤にかけるような何かが、香奈の中にはあるんだろうか?
何も言うことができなくて、再び沈黙が訪れる。
香奈はふるっと身震いをして、汚いの、と何かを責めるように言った。
「自分がこんなに汚いなんて、私、思ってなかったの……本当に好きなら、幸せを願うのが、当たり前だよね……?」
「どういうこと?」
「私、願えなかった。恵理ちゃんから相談されたのに、このまま距離が出来てくれればって……両想いだってわかってるのに、諦めた方がいいんじゃないって、言っちゃった……」
香奈の言葉は、恋心の独白にしか聞こえなかった。
もしかして、俺が気付いていなかっただけで……香奈も、トムのことが好きだったんだろうか。そうだとしたら俺たちは、いよいよ関係がぐちゃぐちゃだ。トムの一瞬の気まぐれは、二人の女の子だけじゃなく、俺たちにとって大切な「妹」までも傷付けたことになる。もし本当にそうならば、俺はトムのことを許せるだろうか?
「やめとけよ、香奈。報われないよ、不毛なだけだ」
余計なことだと、わかってはいる。だけど黙ってはいられなかった。
香奈はとうとう涙をこぼして、そうだけど……と唇を噛み、それから、ぐっと両の手を握った。
「報われなくても……好きなんだもの、仕方ないじゃないの」
「香奈」
「自分のものにしたいわけじゃないし、困らせたいわけでもないの。近くにいられればそれだけでいい……ずっと、そう、思ってたのに……!」
「それだけじゃ嫌だから、こうなってんだろ。そんなの辛いだけじゃないか」
人のことは言えないくせに、どうにか香奈を諦めさせたくて、必死になって言葉を探した。だけど、俺だってわかってる。理屈でどうにかなるのなら、最初から好きになんかなっていない。
やり取りはしばらくループして、しばらくすると、香奈が大きな溜息をついた。
「譲くんだって、同じじゃない……優美ちゃんのこと、好きなんでしょう?」
「痛いところ突くなよ」
「報われなくて寂しいから、他の女の子と遊んでるのよね?」
「人は図星を指されると傷付くんだから、そういうのはやめなさい」
俺の弱点を正確に突いてきた香奈は、ふふっ、とこらえきれない笑いをこぼした。
「ねぇ、優美ちゃんとトムくんが別れたら、譲くんは嬉しい?」
「……喜べない、かもね」
「そうだよね、私も喜べない……恵理ちゃんとトムくんが離れたら、悲しい」
好きだから、と香奈は言った。
なんだよ、ちゃんと願えてるじゃないか……本当に好きな人の、幸せ。俺たちは揃って不毛な恋をしているけれど、決して不幸なわけじゃない。好きな人が幸せでいてくれたら、それだけで自分も幸せなんだ。
「報われないよな、このままじゃ」
俺が笑って見せると、香奈も笑う。そうだよね、報われないね――さっきまで泣いていた女の子は、笑顔でぴょんと立ち上がった。
「私、恵理ちゃんに謝る。どうしてあんなこと言ったのかも、ちゃんと理由を言おうと思う……きっと、恵理ちゃんなら、わかってくれると思うから」
そう宣言した香奈の横顔は、なんだかすごく綺麗だった。
香奈を家まで送る道すがら、他愛もない会話の中で、俺はひとつの疑問を口にした。
「香奈は、いつからトムのことを好きだったの?」
正直言って不思議だった。一度だってそんなそぶりは見せなかったし、恋愛なんてものに興味があるとも思えなかったのに。
香奈は一瞬キョトンとして、あ、と何かひらめいたような顔をして……それから口元に手を当てて、笑いをこらえるように屈み込んだ。
「ち、違うの……トムくんじゃなくて……!」
香奈は耳まで真っ赤になり、息もたえだえという感じで、必死に声を抑えている。俺の困惑はほったらかしだ。トムじゃなければ誰の話だ……なんて、悩むまでもない。登場人物は限られているのだから、選択肢はひとつしか、ない。
「香奈の相手って……宮路、ちゃん?」
「……内緒、だよ?」
まいった、と言うしかなかった。俺よりもはるかに難しい恋を抱えたこの子に、偉そうに説教してる場合じゃなかった……。
香奈が「打倒トムくん」と微笑んで、下り坂を勢いよく駆け出していく。いつも俺たちの後ろに隠れてた、妹みたいな女の子――泣いてばかりだった香奈が、誰よりも強くなった瞬間。その場面に立ち会えたことを、俺は誇らしく思った。
深夜の散歩も悪くないな――そんなことを思いつつ、その背を追って、俺も駆けた。
(了)
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