【KAC20233】下校チャイムはまだ鳴らない(お題:ぐちゃぐちゃ)
五月の連休初日、バスケ部の練習試合の帰り道。駅前の交差点を渡ろうとした時、反対側に背の高い男の子を見つけた。男子バスケ部の
声をかけるかどうかは、迷ってしまう。
あたしは去年、碧に告白してフラれてるから。
部活の時は普段通りに言葉を交わすけれど、小学生の頃から二人で続けていた自主練はしなくなってしまった。バスケを通して繋がっていたあたしたちは、もう「仲間」という枠組みにすらいない。
だけど、諦めきれない理由があった。碧があたしをフッた理由は「俺よりも背の低い子が好き」というもので、当時の碧はあたしよりも背が低かったのだ。
あたしの身長は今も変わらず百六十七センチのままで、そして碧は今年の春休み、一気に二十センチも身長が伸びている。新学期が始まっても伸び続け、百八十センチに届こうという今の彼から見たあたしなら、十分に条件は満たしている。
信号が青になり、あたしは碧に向かって歩き出す。その時に彼の視線を追って、見ているものが空ではないことに気付いた。高層マンションの最上階を、ただただじっと見つめている。そこは碧と同じクラスで、あたしの友人でもある
あたしだって、本当はわかってる……碧はずっと、恵理ちゃんのことが好きなんだ。あたしをフッた理由だって、本当は「俺よりも背の低い『宮路恵理』が好き」と言いたかったのに決まっている。あの二人の間に割って入るなんて無理だから、二人が付き合い出したら諦めよう――最初からそう思っているのに、いつまでもハッキリしてくれないせいで、あたしも碧を諦められないままだ。
そう、だから、あたしは今日も諦めない。声もかけずに立ち去るなんて、絶対に後悔してしまうから。
「碧~!」
こっち向いてよ、そう祈りながら声をかけた。気付いた碧は、
何をしてるのかと聞いたら、碧は恵理ちゃんの家を見ながら「嫌われた」とか「フラれたんだ」とか、あたしが予想もできないようなことばかりを言った。
ものすごく意外だった。絶対に恵理ちゃんは碧を好きだったし、どちらからの告白でも結末は同じだろうと思っていた。だけど何が起こったのか、現実の二人はそうならなかった。
つまり、あたしにとっては「奇跡」が起こったのだ。
思い切って、自分を売り込むことにした。恵理ちゃんには申し訳ないと思うけど、こんなチャンスは二度とめぐって来ない。
お試しでいいから付き合って、もっとあたしを知って欲しい――そんなあたしの申し出を、碧はあっさりと受け入れてくれた。
好きになる約束はできない、という言葉付きで。
やっと初恋が実ったのに、とても素直には喜べなかった。
付き合い始めてからの碧は、驚くほどに優しかった。
仲直りをしたらしい恵理ちゃんとは、相変わらず仲良くケンカをしていたけれど、それでも「俺は
だからあたしも、恵理ちゃんとのことは一言も責めなかった。もしもヤキモチをぶつけてしまえば、きっとその場でフラれてしまうと思ったし……何より、恵理ちゃんとじゃれ合ってる碧のことも、あたしはずっと好きだった。恵理ちゃんに見せる表情は、あたしには決して向けられないものだけど。それも含めた碧の全てが、あたしは大好きでたまらないんだ。
中間テスト前日の放課後、他に人の気配がない昇降口で、恵理ちゃんと一緒にいる碧を見かけた。テスト前日は部活がないから、碧と一緒に帰る約束はしていなくて、あたしは職員室で先生を質問責めにしてから帰るところだった。
聞こえてきた会話によると、どうやら恵理ちゃんの傘がなくなっていて、碧は一緒に探してるみたいだった。たぶんこれは碧の悪戯で、傘の中に紙吹雪でも詰め込んで隠したんだと思う。そういう悪戯の前科が、碧には本当にいっぱいある。
そんな碧の魂胆に、恵理ちゃんも気付いてはいるのか、苦笑いを浮かべながら別のクラスの傘立てを探している。こっちにもないんだけどっ、という声はどこか楽しげだ。
ああ、今、ここは二人だけの世界だ――つい靴箱の陰に隠れてしまって、それでも立ち去れずにそっと覗いたら、ちょうど恵理ちゃんの顔を覗き込む碧の姿が見えた。決してあたしには向けられない感情、とても幸せそうな様子の碧。あたしがいちばん大好きな表情は、世界中でたったひとり、恵理ちゃんだけのものなのだ。
あたしは息ができなくなって、その場に立ち尽くしてしまう。
その時、急に真後ろから名前を呼ばれた。慌てて振り返ったら、碧の親友の
「優美ちゃん、いったい何やって――」
「し、静かにして……っ!」
思わずあたしは譲くんを引っ張って、近くの資料室に飛び込んで扉を閉めると、意味も無く隠れるようにしゃがんだ。予想外の動きでバランスを崩した譲くんは、資料の並んだ棚に頭をぶつけ、いて、という声をあげて同じようにしゃがみこんできた。
その途端、譲くんにすっぽりと包まれたみたいになる。身長が百八十センチ近い譲くんはすごく大きくて、二人に見られたくない今のあたしを、そっと隠してくれているみたいだ。
「どうして隠れるの、堂々と出て行けばいいじゃん」
譲くんが、聞いた。二人はいつもと変わらないよと、不思議そうな顔まで見せた。できるわけないでしょ、見てたらわかるでしょ、どうしてわかんないのよ――あたしの嫉妬は誰にも理解されない気がして、悲しくて、飲み込めなくて涙が出て来た。
「そっか……我慢、してるんだ。偉いね」
譲くんが、頭を撫でてくれた。急に理解を示されたばかりか、優しさまでが添えられて、ますます涙が溢れてくる。あんまり声を出さないよう、自分の指を齧っていたら、譲くんが「おかわりどーぞ」って人差し指を出したから、うっかり泣きながら笑ってしまった。
「好きな人に好きになって貰えないって、苦しいよね。俺もそうだよ」
女子にものすごい人気がある譲くんでも、そんな事があるんだ。驚きだ。好奇心から「相手は誰なの」と言いかけて、あたしは言葉を飲みこんだ。
だって、譲くんが真っ直ぐに、あたしのことを見つめていたから。
その時あたしは、どうすればいいのかわからなくて、そのまま気付かないふりをしようとした。もともと「碧の親友だから」仲良くしていた譲くんと、あたしはどうにかなりようもない。
だけど譲くんは、それを許してはくれなかった。二人きりの狭い資料室で、その視線から逃げられるわけがなかった。いつも眠たそうな顔をしているくせに、今は強い眼差しであたしだけを見つめて「もう泣かないでよ」と小声で言った。
「俺からまで、逃げないで」
譲くんは、あたしをぎゅっと抱き締めた。碧がしてくれない事をしてくれた気がして、つい嬉しくなってしまう――ああ、こんなの浮気と同じじゃないか。罪悪感はつのるのに、振り解くこともできずにいる。自分が求められているという目の前の事実に、なんだかすごくドキドキして……どのくらいそうしていたのか、よくわからない。下校チャイムが鳴り始めて、それをきっかけに身体を離した。
譲くんが廊下の様子を見てくれて、誰もいないのを確認してから、二人で資料室を出た。視界が明るくなり、途端に碧の顔が頭に浮かんできて、申し訳ない気持ちになる。最低だ、他の男の子にときめくなんて……ごめんね碧、と心の中で謝ったけど、別に碧は怒らないような気もした。きっと碧は、あたしが誰と仲良くしても、妬いてくれたりはしないのだから。
その日の夜、あたしは碧に、おやすみなさいのメッセを送ることができなかった。
朝までスマホを眺めていても、碧の方から送られてくることは、なかった。
次の日に廊下で会った譲くんは、いつも通りに眠そうで、ひらひらと手を振りながらすれ違って行った。女の子にモテる彼にとっては、たいしたことのない行為だったのかもしれない。それでもあたしは、あの時の強い眼差しが忘れられなかった。碧が決してくれないものを、譲くんはくれるんだろうか――そんなことを思うだなんて、今までは絶対に考えられなかったのに、昨日からのあたしは何かが変だ。こんな状態が続いたら、いったいどうなってしまうんだろう……頭の中がぐちゃぐちゃで、とてもテストどころじゃなかった。このままじゃ何も手につかない。
碧の顔が、見たかった。
帰りのホームルームが終わるとすぐに教室を飛び出し、碧のいる一組へと駆け出した。あたしのいる三組と違って、一組は担任の話が短いので、碧はもういないかもしれない。メッセを送ってもよかったけど、通学鞄からスマホを取り出すよりも走った方が早い。
開けっ放しのドアから中を覗くと、教室に残る生徒は既にまばらだった。そして、碧は教室に残っていて――恵理ちゃんと、一緒だった。
「ここ、その数式じゃないぞ。問題文が完全に引っ掛け、あの先生そういうことするんだよ」
「そうなんだ、それ先に聞いておきたかったなぁ……」
碧は窓側の席で、恵理ちゃんと向かい合わせに座り、今日のテストの答え合わせをしているようだった。碧は成績がいいから、恵理ちゃんへ一方的に教えてるんだろうけど……普通なら「彼女」のあたしがいるはずの場所へ、恵理ちゃんが当然のように座っている。二人の間に流れる空気は自然で、あたしはますますぐちゃぐちゃになる。
見られていることにも気付かず、碧が明るい声で「この後は暇?」と恵理ちゃんに尋ねた。これ以上は聞かない方がいいとわかっているのに、あたしの足はまったく動いてくれない。
「暇ならさ、明日のテストの勉強会しないか?」
「それは……えっと、やめとく。どうせ私が教わるばっかりだし」
「気にすんなよ。つーか俺に古典教えてくれ」
「古典だって、そっちの方が成績いいじゃん」
「そんなことないって」
二人の会話を聞いた途端、身体の中のどこかで、何かがぷつんと切れたような気がした。わかってる、恵理ちゃんは何も悪くない。あたしに気を遣って断ってるんだろうし……だけどそのせいで、碧はますます押しが強くなってる。
ねぇ碧、付き合ってるのはあたしだよね?
こんな光景、見たくなかった!
二人にバレないようにそっとドアから離れ、それから一気に昇降口まで駆け抜けた。自分の靴箱の前で一息ついてから、通学用のスニーカーを取り出すと、一枚のメモが差し入れられていた。そこにはとても綺麗な文字で、たった一言だけが書かれている。
『資料室で待ってる』
差出人の顔を思い描いた途端、鼓動が早くなっていく。それは単純な驚きなのか、それとも何かへの期待なのか?
頭の中がぐちゃぐちゃになったまま、あたしは資料室へと足を向けた。あの場所へ行けば、あたしが欲しくてたまらないものを、たっぷりと貰えるような気がした。
大丈夫、考える時間はいっぱいあるから――下校チャイムは、まだ鳴らないから。
(了)
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