【KAC20232】それは未来のための嘘(お題:ぬいぐるみ)
中学三年生になって最初の大型連休初日、俺は部活の帰り道、同じクラスの女の子の家を訪ねるか迷っていた。
中学校からは少し距離のある、駅前の田舎らしくない高層マンション。その最上階に住んでいる
だけど今、その関係は壊れようとしている。事の発端は春休みだ。突如として成長期を迎えた俺の身長は、ひと月足らずで二十センチも伸びてしまった。ずっと「お調子者のちびっ子」扱いを受けていた俺は、急激に学校での立ち位置が変わってしまった。
途端にライバル意識を向けてくるバスケ部の仲間たちにも、何を思ったのかイケメン認定してくる女子たちにも、正直言ってかなり
そんな中、これまでと変わらない態度を向けてくる宮路は、俺にとってはありがたい存在だった。だから俺も、これまでと変わらずにいようとして、無神経な言葉を投げ付けた――今まで互いに何度だって投げ合ってきた「ちびっ子」という言葉を。
いつもなら憎まれ口を叩いてじゃれ合っていた、身体測定の結果報告。身長が百八十センチに迫りつつある俺、百五十センチを少し超えただけの宮路。その事実がアイツを傷付けていることに、俺は全く気付いていなかった。言い慣れた言葉がいきなり凶器になるなんて、考えもしていなかったのだ。
か細い声で「大嫌い」と呟いて、俺から逃げるように
連絡先の交換はしていなかったから、こうして家の前まで来てみたけれど……完全に嫌われてしまった今、家に押しかけて謝ったところで、状況は悪化するだけだろうな。
交差点で信号待ちの人に紛れて、目の前のマンションを見上げていると、後ろから俺を呼ぶ声がした。
「
振り返ると、同じバスケ部の
東堂とは小学生の頃から親しくて、一時期は一緒にバスケの朝練をしたりもしていたのだけれど、去年の夏に告白されたのを断ってから、少し気まずくなっていた。それでも東堂は「奇遇~!」とぴょんぴょん跳ねて、ゆるいウェーブのかかったポニーテールが揺れた。
「こんなところで何してるの?」
「あー、いや……」
つい視線を向けてしまった、目の前のマンションの最上階。それだけで優美は察したらしく「恵理ちゃん?」と言いながら俺の顔を覗き込んだ。
「何かあったの?」
「俺が無神経だったせいで、嫌われた」
「えー!? 今更!?」
東堂は極めて失礼な驚き方をしてから、ごめんごめん、と笑いをこらえるように言った。
まぁ、言われても仕方がない。俺と宮路が「ケンカ友達」だったのは、俺がずっと宮路に悪戯を仕掛け続けてきたからで、普通の女子ならとっくの昔に俺のことなんか嫌いになってる。
俺は、心のどこかで思ってた。宮路は俺を好きなんだろうって。だけど現実はそうじゃなかった。本当は、もっと前から嫌いだったのかもしれない。アイツはお人好しだから、言い出せなかっただけかもしれない……それを受け入れきれない俺は、きっと、宮路のことが好きだったんだ。
「要はさ。フラれたんだよ、俺も」
東堂を相手にこんなことを言うのは、すごく卑怯だ。フラれた後も好意を隠さない女の子が、どんな反応をするのかなんて、さすがの俺でもわからないわけじゃないのに――案の定、東堂は真剣な顔をして、俺を真っ直ぐに見据えた。
「ねぇ碧、最初はお試しでいいから、あたしと付き合ってみない?」
「……東堂を好きになるって約束は、できないけど」
「いいよ。もっとあたしを知って貰わなきゃ、このままじゃ何も始まらないもん!」
東堂は明るく言い放ち、だけど、その声は微かに震えていた。
そして俺には、人生で初めての彼女ができた。嬉しさもときめきも何もなく、ただ、自分の感情から逃げ出すような選択だった。
その日の夜、東堂がメッセで初デートの提案をしてきて、翌日の部活終わりに駅前で遊ぶことになった。
周囲にバレてしまわないよう、部活中は普段通りに言葉を交わしていたけれど、昼過ぎに部活が終わる頃には女バスの連中がニヤニヤしながら俺を見ていた。バラしたな、と少し苛立ったけど、別に「誰にも言わない」なんて約束はしていない。おそらく連休明けには学年中の噂になるだろうし……確実に、宮路の耳にも入るだろう。
俺が東堂と付き合うことを、アイツはどう思うんだろうか。
部活仲間に冷やかされながら校門を出て駅に向かうと、駅前は連休ならではの混み具合だった。
駅ビルの中のワンダフルバーガーで昼飯を食いながら、好みのバスケットシューズ談議に花を咲かせたり、部活の愚痴を聞いたりしていると、これはこれで悪くないと思う。だけど俺の中の東堂は、どこまでも「バスケ仲間」でしかない。いつか、これが恋愛感情へ発展する日が来るなんて、今の俺には到底思えない。
しかし、いくら「お試し期間」と言えど、付き合い始めたからには「仲良くする努力」をするべきだろうな――そう考えた俺は、初めて東堂を「優美」と呼んだ。女子を名前で呼ぶなんて、幼馴染の
優美は一気に耳まで赤くなって、びぇっ、とカエルが潰れたような声を出した。意外だ。
「やだ、変な声出ちゃった……碧、どうしたのいきなり!?」
「そこまで衝撃を受けるようなことか? お前だって俺を碧って呼ぶじゃん。俺を本名で呼ぶの、ぶっちゃけお前くらいだぞ?」
俺は普段、名字をもじった「トム」というあだ名で呼ばれている。本名の「碧」という名前が女性的で好きじゃないから、子供の頃から「あまり呼ばないでくれ」と周囲に頼んでいるのに、優美だけはずっと「綺麗な名前なのに!」と言って譲らなかった。そんな経緯も忘れてしまったのか、優美は「じゃあトムって呼ぼっかなぁ」みたいなことを小声でブツブツと呟き、それから照れ隠しのように「ゲーセンいこ!」と言って立ち上がり、ぎゅっと俺の手を握った。
手を繋いだまま店を出て、四階のゲームセンターに入り、言われるままにプリシールを撮って、その後はプライズゲームを見て回った。金銭的な余裕があるわけではないので、手当たり次第に遊びまくることはできない。
ふと、優美がクレーンゲームの前で足を止めた。
そのマシンは有名アニメのキャラクターの、鞄に付けられるぬいぐるみが景品になっている。主役の猫の名前は「トム」と言い、いつも「ジェリー」というネズミと仲良くケンカばかりしている話で……一昨年の担任が、俺と宮路の関係をこのアニメになぞらえていて、俺自身も「俺たちみたいだ」と思っていた。
そんなことを知らない優美は、普通に「トム」が欲しいんだろう。俺との初デートの記念にピッタリ、とか言い出しそうな感じがする。
「トムが欲しいのか?」
「うん!」
もちろん即答、満面の笑みだった。こういう時、彼女の頼みなら、多少財布が寂しくなろうと頑張るべきなんだろう。己の財力に心を痛めながら、百円玉をマシンに投入していく。あまりプライズは得意ではない、千円くらいでどうにかならないものか……祈るような気持ちでアームを操作し、リトライを繰り返し、千五百円でどうにか手に入れたのは、残念ながらジェリーの方だった。
先にジェリーをどかさないと、トムが手に入らない配置になっていたのだ。
「ジェリーじゃダメか?」
「えー、トムじゃなきゃ意味がないと思わない~?」
「わかるけどさ、俺もう金ねえよ」
「じゃあ、あとは取れるまであたしが出すっ!」
どうしても「トム」が欲しいらしく、優美は百円玉を
すっかりご機嫌になった優美が、通学鞄に付けようね、と浮かれている。
「トムはあたしが鞄に付けるからっ、碧はジェリーを付けてよね!」
「え、俺も付けるのかよ」
「いいじゃない、初デートの記念~! ちゃんと付けてね!」
俺は、どんな表情を向ければいいのかわからなかった。俺にとっての「ジェリー」は「宮路恵理」なんだ。それを鞄に付けて持ち歩くのも、このアイテムを今日の記念にしてしまうことも、俺にとっては罪悪感しか残らない。
だけど、今更「付けたくない」とは言えなかった。その理由を言えば嫌な気持ちになるだろう。せっかくこんなに喜んでくれているのに、水を差したくはなかった。
だから俺は、このネズミのぬいぐるみが持つ意味を、一生黙っておくことにした。担任の例え話は、俺と宮路しか知らないことで、他の誰にも言ったことのない話だ。だからバレるはずがない、優美に伝わるわけがない――大丈夫だ、何も問題はない。くすぶる恋も罪悪感も、どうせ時間が経てば忘れてしまうに決まってる……そうじゃなきゃ、困る。
「ねぇ碧、このぬいぐるみ、ずっとずっと大事にしてね!」
嬉しそうな顔で俺の鞄へ「ジェリー」を付けている優美に、大事にするよ、と俺は言った。
家に帰り、自室に放り出した通学鞄を見て、ふと思う。
連休明け、鞄に「ジェリー」を付けてる俺を見て、宮路はどう思うんだろう。アイツだけは、担任の例え話を知ってるわけだから――もしかして、妙な誤解を生むんじゃないのか?
最悪の展開を考えてすごく焦ったけれど、次第に「それならそれでもいいか」という気分になってくる。それで俺の本心に気付くのなら、いっそのこと誤解してくれればいいのに……そんなことまで考えて、慌ててそれを打ち消した。もしも本当にそんな誤解をされてしまったら、今度は「大嫌い」だけじゃなく「気持ち悪い」まで追加されてしまう。やっぱり外してしまおうか……だけど、きっと優美は傷付くだろうな。
鞄ごと「ジェリー」を引き寄せて、そのままベッドへ倒れ込む。
優美が「トム」を見ながら思っていることと、俺が「ジェリー」を見ながら思っていることは、残念ながら全く違うことだ。だけど、それを馬鹿正直に言わなければ、優美が傷付くことはない。
罪悪感が消えたわけじゃない。それでもきっとこの世には、必要な嘘というものもある。大丈夫、嘘をつくのは今だけだ。きっとそのうち優美を好きになって、宮路のことは過去のことになって、何ひとつ問題はなくなるんだ。
「……大事に、するさ」
自然にこぼれたその呟きに、偽りはなかった。
茶色いネズミの頭を撫でてみて、その手触りの良さにホッとする。撫でながら眺めているうちに、宮路の瞳の色に似てるな……なんて思って、宮路のことを考えながら、そのままゆっくり目を閉じた。
(了)
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