君色流星群(KAC2023まとめ)

水城しほ

KAC参加作品

【KAC20231】恋人よりも大切な(お題:本屋)

 同じクラスの富石とみいしみどりくん――通称「トムくん」に、彼女が出来たと聞いたのは、五月の連休明けのことだった。

 登校すると既に男子がトムくんを取り囲んでいて、大声で騒ぎ散らかしていた。私はトムくんと連休前に本気のケンカをしていて、謝ろうと思った矢先のことで、完全に声をかけるタイミングを失ってしまった。

 聞こえてきた男子の会話によると、相手はトムくんと同じバスケ部の東堂とうどう優美ゆうみちゃんで、彼女の方から告白したということだった。優美ちゃんは去年トムくんにフラれていたはずなので、再告白が実ったということなのだろう。

 本当によかったね、と思う。優美ちゃんと私は小学生の頃に仲が良く、彼女がどれだけトムくんを好きなのか、嫌という程によく知っていた。あたし碧が好きなんだぁと言って、堂々と笑う優美ちゃんは本当に素敵だった。

 だから、私は誰にも言えなかったのだ。私もトムくんを好きだ、なんて。


 ケンカの原因は、本当に些細なことだった。

 春休みの間にトムくんは二十センチも背が伸びていて、そのことが私は面白くなかった。小学生の頃から私たちは揃って背が低く、ずっと身長を張り合ってきた仲だ。トムくんが大きく育ってしまった今、これまで通りの関係が望めないことはハッキリしていて、どう接すればいいのかさえも迷っていた。

 いちおう、態度を変えないようにと頑張ってはみたのだ。だけど今までと変わらないノリで「ちびっ子」と言ってくるトムくんへ、私は二度と言い返すことができない。そのことがただ悔しくて、つい「大嫌い」と言ってしまったのだ。

 トムくんとの「ケンカ友達」という関係を、私は特別なものだと思っていた。勇気を出して告白すれば、私にも可能性はあったのかもしれない。だけど私は、恋愛に発展することが怖かった。離婚したうちの両親を見る限り、恋心とはいつか煙のように消えてしまうものということになる。

 特別なんて言葉に逃げて、曖昧な関係を選んだけれど、こうなれば簡単に壊れてしまう。他の誰かのものじゃなくて、自分のものにしたかったくせに、結局は何もできなかった。

 私は、トムくんと距離を置くことに決めた。

 勇気を出せなかった、私の負けだ。


 うわの空で授業を受け、放課後は部活をサボり、親友の香奈かなと一緒に下校した。いつもなら相談にのってもらう流れだけれど、トムくんと香奈は同じ団地に住む幼馴染で、私のことで隠し事をさせてしまうと思うと言いだせなかった。

 結局は香奈の家に寄ることもせず、まっすぐ自分の家に帰ると、いつもより家が広く感じた。父親は夜中まで帰って来ない。こんな気分のまま一人ぼっちで過ごすのがどうしても嫌で、私は私服に着替えて家を出た。

 ふらりと駅前に来てみたものの、そんなにお金があるわけじゃない。私は本屋へ行くことにした。駅ビルの中にある本屋は結構大きくて、ひとつのフロアが全て本だらけだ。眺めて回るだけでも気がまぎれるので、時間を潰すにはちょうどよかった。

 いくつか雑誌を立ち読みした後、受験生なのだし参考書も見ておこうと思い立ち、学習書のコーナーへ足を踏み入れると、そこには同級生の姿があった。


野渕のぶちくん」

「あ、宮路みやじちゃんだ」


 隣のクラスの野渕ゆずるくんは香奈の幼馴染で、そしてトムくんの大親友だ。背が高くて、栗色のくせ毛がいい感じにあか抜けていて、文武両道の男の子――本人に「モテてる自覚」があるタイプなので、ほんの少し苦手なんだけど、無視するほど仲が悪いわけではない。


「宮路ちゃんも参考書買うの?」

「ちょっと覗きに来ただけだけど、一冊くらい何か買おうかな……数学、頑張らないとまずいんだよね」

「言ってくれればいつでも教えるのに」

「香奈に教わるから大丈夫」


 私が「常に学年トップの成績を叩き出す才媛」の名を挙げると、野渕くんはあははと笑い、香奈には勝てないなあ、と頭を掻いた。その笑顔はまるで蕩けるようで、女の子たちに人気があるのはよくわかる。

 つまり、こんなところを同級生に見られたら、どんな噂が立つかわかったものじゃない。

 早くこの場を離れようと、私は参考書の棚に目を向けた。いっそ適当に一冊掴んで……なんてできるほど裕福ではないから、慌てて数学の参考書を探す。背表紙をざっと目で追って、見つけたそれは一番上の段にあった。私じゃ手を伸ばしても届かない。脚立か何か持って来ないと――視線をフロアに向けた時、野渕くんがスッと手を伸ばした。


「これ?」

「うん、そう。ありがとう」

「あー、素直でいいね。トムだったら余計なことすんじゃねーってキレてる」

「……今のトムくんなら、自分で取れるんじゃない?」


 不意にトムくんの名前を出されて、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。今の私は普段通りにできているだろうか。野渕くんは気付いているのかいないのか、そうだなあ、と笑っている。


「アイツ大変だったんだよ、いきなり二十センチも背が伸びただろ? 制服が完全に入らなくなってて、うちの兄貴のお下がり貸してんだよ」

「そうなんだ」

「あっさり俺の身長に並んでるし、急に女子から告られまくってるし、お前誰だよって感じがしちゃってさ。宮路ちゃんもそうなんじゃない?」

「そんなことないよ」

「そう? でもアイツのこと、ずっと好きだったでしょ? あのままのトムが良かったんだよね?」


 トムくんへの想いを見透かされてしまって、頬が熱くなる。返事もできないまま戸惑っていると、あのさ、と野渕くんが声をひそめた。


「トムと優美ちゃん、別れさせちゃおうか?」

「……えっ?」

「あの二人、今はなんだってさ。まだ間に合うんじゃない?」


 その言葉に、気持ちが弾むのを感じた。お試し期間ということは、きちんと付き合ってるわけじゃないんだ……そんなことを喜んでしまう自分が、なんだか嫌だ。

 だけど野渕くんはどうして「別れさせる」なんて言うんだろう? 親友に彼女が出来たんだから、普通は喜ぶものなんじゃないの? 野渕くんに限っては、トムくんへの妬みなんかはないだろうし――もっとも、その理由が何であれ、これは同意できない提案だ。もしも二人が別れたとして、トムくんは今更こっちを選んだりはしないだろう。


「私は、そういうのは嫌だな」

「うん、宮路ちゃんらしいね。でも気が変わったらいつでも言ってよ、協力する」

「変わらないから!」


 つい声を荒らげてしまい、慌てて周囲を見回したけど、誰も気に留めてはいない様子だ。そんな私を見て、野渕くんがニヤニヤと笑っている。小学生の頃から知ってる仲だけど、野渕くんって、こんな意地悪な笑みを浮かべる人だっけ? なんだか少し苛立って、ひどいひとだね、という言葉をぶつけた。


「俺、そんなにひどい?」

「ひどいと思う……野渕くんは、トムくんが幸せになって嬉しくないの?」

「ん-、俺から見たら、あれは幸せって言わないんだよね。だってさ――」


 野渕くんは軽く背をかがめて、私に視線を合わせてきた。


「――トムは別に、優美ちゃんを好きなわけじゃない。本当にトムが好きなのは」

「やめて、聞きたくない」

「どうして? 欲しい言葉を言ってやれると思うけどな」

「欲しくない……」


 正解を告げたも同然の言葉に、私は絶望さえ覚えた。トムくんが私を好きだったとして、今更どうしろというのだ。優美ちゃんと別れてしまえば、トムくんが私のところに来てくれるとでもいうの?

 私は勇気を出せなかった、だから諦めるって決めたんだ。二人が幸せならそれでいい、そう思おうと頑張ってるのに……どうしてこの人は、私の決意を壊すようなことを言うんだろう?

 一日考えてみてよ、と野渕くんは言った。


「明日また、今ぐらいの時間にここで待ってる。その時に返事を聞かせて」


 野渕くんはじゃあねと手を振って、そのまま足早に去って行った。

 気分を変えたくて本屋に来たのに、どうしてこんなことになったんだろう。これなら家で大人しくしていればよかったと思いつつ、参考書を買うためにレジへ向かう。途中にある児童書のコーナーで、おまじないの本が目に入った。カラフルな文字で書かれた『恋がかなう』とか『両想い』という言葉の羅列を見て、私は大きな溜息を吐いた。


 翌日の放課後、私は本屋に足を向けた。野渕くんの提案を受け入れたわけじゃない、改めてしっかりと断るためだ。二人が自然に別れるのならまだしも、そうなるように仕向けるなんてこと、いくらなんでもしていいはずがない。

 学習書のコーナーを覗くと、そこには背の高い男の子がいた。黒くて硬そうな髪、少しだけ丈の合わない制服のズボン……振り返らなくてもわかる、間違いなくトムくんの後ろ姿だ。私が逃げ出すより先に、トムくんはこちらを振り返った。


「宮路? なんで?」

「トムくんこそ、なんでここにいるの?」

「譲と待ち合わせしてるんだけど……ってか、気安く話しかけて、ごめん」


 トムくんは気まずそうに視線を逸らし、私から逃げるように歩き出した。

 その時、咄嗟に手が動いた。何かを考える間もないほど反射的に、トムくんの腕を掴んでしまう。このまま行かせてはいけないと、そう思ってしまったんだ。

 困惑するような表情のトムくんへ、ごめん、と私は頭を下げた。


「この前のこと、ごめんね」

「あー、いいよ、それはもう」

「よくないの」

「なんでだよ。俺がいいっつってんだから、もういいだろ?」


 気にしてないから、とトムくんが笑う。そうじゃない、私はまだ、大切なことを伝えていない。もしかしたら、本当の気持ちがバレちゃうかもしれないけれど……ああ、私も野渕くんのことは言えない。ここで黙れない私は、彼と同じくらいにひどいひとだ。

 優美ちゃん、ごめんね。心の中でそう唱えた。


「大嫌いなんて言ったけど……嫌いだなんて、思ってないから」


 好きだ、とは一言も言っていない。誤解されたままなのが嫌だっただけ、ただそれだけ、たったそれだけ――とは、やっぱりちょっと言い切れない。

 ねぇ、ここまでだったら許してもらえる?

 バレてもいいと思ってる時点で、許されないことをしているのかな?

 緊張と罪悪感で、足が震える。顔を見られず俯いてしまった私に、トムくんは、小さな声で「うん」と言った。


「それ聞いて、安心した。宮路がよければこれからも、今まで通りにやってこーぜ」

「……今まで通りで、いいの? 優美ちゃんは?」

「俺、友達関係にまで口挟む彼女なら、正直いらねえ」


 真顔でそう言い放つトムくんに、ひどいひとだ、と私は言った。きっと嬉しさを隠せていないんだろう、自分の頬が緩んでいるのがわかる。

 ひどくていいよ、とトムくんが返す。でも、本当にひどいのは誰なんだろう? こんなことを言い放っちゃうトムくんも、多分こうなるとわかっていて引き合わせてきた野渕くんも、結局は諦めきれなかった私も……みんな、みんな、ひどいひとだ。

 優美ちゃん、ごめんね。心の中で、もう一度だけ繰り返した。


 帰り際、視界に入ったおまじないの本を、一冊だけ手に取ってみる。表紙に「好きな人と今より仲良くなれる!」と書かれていたのが、今の私には何よりも気になったからだ。

 彼女にはなれなくても、ずっと仲良くしていられれば――そんな想いを抱えつつ、私はそのままレジへ向かった。


(了)

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