君色流星群(KAC2023まとめ)
水城しほ
KAC参加作品
【KAC20231】恋人よりも大切な(お題:本屋)
同じクラスの
登校すると既に男子がトムくんを取り囲んでいて、大声で騒ぎ散らかしていた。私はトムくんと連休前に本気のケンカをしていて、謝ろうと思った矢先のことで、完全に声をかけるタイミングを失ってしまった。
聞こえてきた男子の会話によると、相手はトムくんと同じバスケ部の
本当によかったね、と思う。優美ちゃんと私は小学生の頃に仲が良く、彼女がどれだけトムくんを好きなのか、嫌という程によく知っていた。あたし碧が好きなんだぁと言って、堂々と笑う優美ちゃんは本当に素敵だった。
だから、私は誰にも言えなかったのだ。私もトムくんを好きだ、なんて。
ケンカの原因は、本当に些細なことだった。
春休みの間にトムくんは二十センチも背が伸びていて、そのことが私は面白くなかった。小学生の頃から私たちは揃って背が低く、ずっと身長を張り合ってきた仲だ。トムくんが大きく育ってしまった今、これまで通りの関係が望めないことはハッキリしていて、どう接すればいいのかさえも迷っていた。
いちおう、態度を変えないようにと頑張ってはみたのだ。だけど今までと変わらないノリで「ちびっ子」と言ってくるトムくんへ、私は二度と言い返すことができない。そのことがただ悔しくて、つい「大嫌い」と言ってしまったのだ。
トムくんとの「ケンカ友達」という関係を、私は特別なものだと思っていた。勇気を出して告白すれば、私にも可能性はあったのかもしれない。だけど私は、恋愛に発展することが怖かった。離婚したうちの両親を見る限り、恋心とはいつか煙のように消えてしまうものということになる。
特別なんて言葉に逃げて、曖昧な関係を選んだけれど、こうなれば簡単に壊れてしまう。他の誰かのものじゃなくて、自分のものにしたかったくせに、結局は何もできなかった。
私は、トムくんと距離を置くことに決めた。
勇気を出せなかった、私の負けだ。
うわの空で授業を受け、放課後は部活をサボり、親友の
結局は香奈の家に寄ることもせず、まっすぐ自分の家に帰ると、いつもより家が広く感じた。父親は夜中まで帰って来ない。こんな気分のまま一人ぼっちで過ごすのがどうしても嫌で、私は私服に着替えて家を出た。
ふらりと駅前に来てみたものの、そんなにお金があるわけじゃない。私は本屋へ行くことにした。駅ビルの中にある本屋は結構大きくて、ひとつのフロアが全て本だらけだ。眺めて回るだけでも気がまぎれるので、時間を潰すにはちょうどよかった。
いくつか雑誌を立ち読みした後、受験生なのだし参考書も見ておこうと思い立ち、学習書のコーナーへ足を踏み入れると、そこには同級生の姿があった。
「
「あ、
隣のクラスの野渕
「宮路ちゃんも参考書買うの?」
「ちょっと覗きに来ただけだけど、一冊くらい何か買おうかな……数学、頑張らないとまずいんだよね」
「言ってくれればいつでも教えるのに」
「香奈に教わるから大丈夫」
私が「常に学年トップの成績を叩き出す才媛」の名を挙げると、野渕くんはあははと笑い、香奈には勝てないなあ、と頭を掻いた。その笑顔はまるで蕩けるようで、女の子たちに人気があるのはよくわかる。
つまり、こんなところを同級生に見られたら、どんな噂が立つかわかったものじゃない。
早くこの場を離れようと、私は参考書の棚に目を向けた。いっそ適当に一冊掴んで……なんてできるほど裕福ではないから、慌てて数学の参考書を探す。背表紙をざっと目で追って、見つけたそれは一番上の段にあった。私じゃ手を伸ばしても届かない。脚立か何か持って来ないと――視線をフロアに向けた時、野渕くんがスッと手を伸ばした。
「これ?」
「うん、そう。ありがとう」
「あー、素直でいいね。トムだったら余計なことすんじゃねーってキレてる」
「……今のトムくんなら、自分で取れるんじゃない?」
不意にトムくんの名前を出されて、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。今の私は普段通りにできているだろうか。野渕くんは気付いているのかいないのか、そうだなあ、と笑っている。
「アイツ大変だったんだよ、いきなり二十センチも背が伸びただろ? 制服が完全に入らなくなってて、うちの兄貴のお下がり貸してんだよ」
「そうなんだ」
「あっさり俺の身長に並んでるし、急に女子から告られまくってるし、お前誰だよって感じがしちゃってさ。宮路ちゃんもそうなんじゃない?」
「そんなことないよ」
「そう? でもアイツのこと、ずっと好きだったでしょ? あのままのトムが良かったんだよね?」
トムくんへの想いを見透かされてしまって、頬が熱くなる。返事もできないまま戸惑っていると、あのさ、と野渕くんが声をひそめた。
「トムと優美ちゃん、別れさせちゃおうか?」
「……えっ?」
「あの二人、今はお試し期間なんだってさ。まだ間に合うんじゃない?」
その言葉に、気持ちが弾むのを感じた。お試し期間ということは、きちんと付き合ってるわけじゃないんだ……そんなことを喜んでしまう自分が、なんだか嫌だ。
だけど野渕くんはどうして「別れさせる」なんて言うんだろう? 親友に彼女が出来たんだから、普通は喜ぶものなんじゃないの? 野渕くんに限っては、トムくんへの妬みなんかはないだろうし――もっとも、その理由が何であれ、これは同意できない提案だ。もしも二人が別れたとして、トムくんは今更こっちを選んだりはしないだろう。
「私は、そういうのは嫌だな」
「うん、宮路ちゃんらしいね。でも気が変わったらいつでも言ってよ、協力する」
「変わらないから!」
つい声を荒らげてしまい、慌てて周囲を見回したけど、誰も気に留めてはいない様子だ。そんな私を見て、野渕くんがニヤニヤと笑っている。小学生の頃から知ってる仲だけど、野渕くんって、こんな意地悪な笑みを浮かべる人だっけ? なんだか少し苛立って、ひどいひとだね、という言葉をぶつけた。
「俺、そんなにひどい?」
「ひどいと思う……野渕くんは、トムくんが幸せになって嬉しくないの?」
「ん-、俺から見たら、あれは幸せって言わないんだよね。だってさ――」
野渕くんは軽く背をかがめて、私に視線を合わせてきた。
「――トムは別に、優美ちゃんを好きなわけじゃない。本当にトムが好きなのは」
「やめて、聞きたくない」
「どうして? 欲しい言葉を言ってやれると思うけどな」
「欲しくない……」
正解を告げたも同然の言葉に、私は絶望さえ覚えた。トムくんが私を好きだったとして、今更どうしろというのだ。優美ちゃんと別れてしまえば、トムくんが私のところに来てくれるとでもいうの?
私は勇気を出せなかった、だから諦めるって決めたんだ。二人が幸せならそれでいい、そう思おうと頑張ってるのに……どうしてこの人は、私の決意を壊すようなことを言うんだろう?
一日考えてみてよ、と野渕くんは言った。
「明日また、今ぐらいの時間にここで待ってる。その時に返事を聞かせて」
野渕くんはじゃあねと手を振って、そのまま足早に去って行った。
気分を変えたくて本屋に来たのに、どうしてこんなことになったんだろう。これなら家で大人しくしていればよかったと思いつつ、参考書を買うためにレジへ向かう。途中にある児童書のコーナーで、おまじないの本が目に入った。カラフルな文字で書かれた『恋がかなう』とか『両想い』という言葉の羅列を見て、私は大きな溜息を吐いた。
翌日の放課後、私は本屋に足を向けた。野渕くんの提案を受け入れたわけじゃない、改めてしっかりと断るためだ。二人が自然に別れるのならまだしも、そうなるように仕向けるなんてこと、いくらなんでもしていいはずがない。
学習書のコーナーを覗くと、そこには背の高い男の子がいた。黒くて硬そうな髪、少しだけ丈の合わない制服のズボン……振り返らなくてもわかる、間違いなくトムくんの後ろ姿だ。私が逃げ出すより先に、トムくんはこちらを振り返った。
「宮路? なんで?」
「トムくんこそ、なんでここにいるの?」
「譲と待ち合わせしてるんだけど……ってか、気安く話しかけて、ごめん」
トムくんは気まずそうに視線を逸らし、私から逃げるように歩き出した。
その時、咄嗟に手が動いた。何かを考える間もないほど反射的に、トムくんの腕を掴んでしまう。このまま行かせてはいけないと、そう思ってしまったんだ。
困惑するような表情のトムくんへ、ごめん、と私は頭を下げた。
「この前のこと、ごめんね」
「あー、いいよ、それはもう」
「よくないの」
「なんでだよ。俺がいいっつってんだから、もういいだろ?」
気にしてないから、とトムくんが笑う。そうじゃない、私はまだ、大切なことを伝えていない。もしかしたら、本当の気持ちがバレちゃうかもしれないけれど……ああ、私も野渕くんのことは言えない。ここで黙れない私は、彼と同じくらいにひどいひとだ。
優美ちゃん、ごめんね。心の中でそう唱えた。
「大嫌いなんて言ったけど……嫌いだなんて、思ってないから」
好きだ、とは一言も言っていない。誤解されたままなのが嫌だっただけ、ただそれだけ、たったそれだけ――とは、やっぱりちょっと言い切れない。
ねぇ、ここまでだったら許してもらえる?
バレてもいいと思ってる時点で、許されないことをしているのかな?
緊張と罪悪感で、足が震える。顔を見られず俯いてしまった私に、トムくんは、小さな声で「うん」と言った。
「それ聞いて、安心した。宮路がよければこれからも、今まで通りにやってこーぜ」
「……今まで通りで、いいの? 優美ちゃんは?」
「俺、友達関係にまで口挟む彼女なら、正直いらねえ」
真顔でそう言い放つトムくんに、ひどいひとだ、と私は言った。きっと嬉しさを隠せていないんだろう、自分の頬が緩んでいるのがわかる。
ひどくていいよ、とトムくんが返す。でも、本当にひどいのは誰なんだろう? こんなことを言い放っちゃうトムくんも、多分こうなるとわかっていて引き合わせてきた野渕くんも、結局は諦めきれなかった私も……みんな、みんな、ひどいひとだ。
優美ちゃん、ごめんね。心の中で、もう一度だけ繰り返した。
帰り際、視界に入ったおまじないの本を、一冊だけ手に取ってみる。表紙に「好きな人と今より仲良くなれる!」と書かれていたのが、今の私には何よりも気になったからだ。
彼女にはなれなくても、ずっと仲良くしていられれば――そんな想いを抱えつつ、私はそのままレジへ向かった。
(了)
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