七話
二人は呆然とアーサーを見つめる。
「ご冗談ではございませんよね?」
半信半疑なクロードをアーサーはいちべつする。
「こんなことで冗談なんか言わないよ」
「では、あの、ローザ様のお相手として、どうのようなお心当たりがあるのか、お教えいただけますか?」
アデルの言葉にアーサーは頷く。
「……以前、知り合いの宴に招待されて行った時、そこにローザも来ていて――」
「ちょっとよろしいですか? そのお知り合いというのは……」
「ああ、ウィドール子爵の息子のザカリーだよ。彼は酒宴を開くのが好きで、僕も時々顔を出させてもらっている」
「ザカリー様ですか。酒宴好きは私共も存じております。……続きをお願いいたします」
「知っているなら話は早い。あの宴は酒を楽しむことが目的だから、皆大量の酒を飲むんだ。僕もあの時はたくさん飲んで、半分酔っ払っていた。そのせいで気が大きくなったのかもしれない。普段は見かけても短い会話で終わるんだけど、その日はローザを見かけた途端、誘わずにはいられなくて……」
「どこかへ誘われたのですか?」
「ザカリーが宴を開くのは自宅じゃなく、街の郊外にある別邸なんだ。その二階にはいくつか部屋があって、宴の間は客が自由に使ってもいい決まりで……酔い潰れた客を介抱したり、眠気に襲われた者が休んでいったり、そういったことで使われるんだけど……」
これに二人はすぐに察した。
「アーサー様は、ローザ様と二人きりになられるために、そのお部屋へ行かれたのですね」
「まあ……そうだ」
「その時のローザ様のご様子はどのようなものだったのでしょうか。お誘いの言葉を受け、ためらうことなく向かわれたのですか?」
「その時のローザは僕以上に酒に酔っていた。ろれつが回らず、顔も赤らんでいた。二階でお話しをしませんかと誘ったら、彼女はにこにこしながら頷いてくれたよ。それで一緒に……」
クロードは険しい表情を浮かべて言う。
「そこまで酔われていると、お嬢様がご状況をご理解なさっていたかは怪しいものです」
「おそらくローザは、あの時の出来事は憶えていないと思う。僕と話している間も酒を飲み続けていて、酔いは深くなる一方だったから」
「そんなお酒の力も加わり、お二人はご関係を……?」
「今思えば酔った勢いでそんなことをするべきじゃなかったとは思う。だけど僕はローザの間近にいられることに舞い上がっていたし、彼女もそんな僕を拒まなかったから、冷静な頭なんてもうなかったんだ」
二人は深刻な顔を見合わせる。アーサーの話通りならば、ローザは酔って意識がないまま関係に及んでしまったことになる。それはつまり、お腹の子は互いが愛し合った結果ではなく、予期せず授かってしまった子――だからローザは相手の名を教えなかったのか? 自身の理性を失った行動を恥じて、正直に言うことができずにいるのだろうか。だがしかし、とアデルは思う。ローザは妊娠したことに前向きで喜ぶ様子を見せていた。そこに後悔や不安は見えなかった。それなら相手の名を明かしてもいいようなものだが、それはしていない。アーサーの話とは噛み合っていないような気もするが……。
「まさか一晩の関係で妊娠するとは思いもしなかったから……ローザを独りで悩ませていたなら、それは僕の不本意だ」
「しかし、まだアーサー様のお子かわかりません。他の男性との――」
「ローザには婚約者とか、そういう相手はいないんだろう? それに彼女は見境なく男と遊ぶようなふしだらな女性じゃない。あの時はたまたま、酒を飲み過ぎてはいたけど、酔った彼女を見たのはあの日だけだ。だから多分、いや絶対に僕の子だと思う」
強い口調で父親だと主張するアーサーに、アデルは戸惑いながら聞く。
「それでは、ご妊娠に至らせたのはご自身だと、お認めになられるのですか?」
「ああ。ローザには無責任な態度を取ってしまったみたいだね。けれど彼女が僕との子だと認め、一緒にいることを望んでくれるなら、僕はすぐにでも結婚をする用意と覚悟がある」
「そう仰られますが、突然こんなお話をされても、お父上のイコール卿がご納得してくださるか――」
「父が反対しようが、僕は必ず説得してみせる。それがローザへの責任というものだろう?」
あれだけ視線を避けていた目が、今は二人を真っすぐに見据えていた。そこには言葉通り、ローザへの責任を果たす力強い意志を感じる。
「……アーサー様のご意志は承知いたしました。そのお言葉とお気持ちはお伝えさせていただきますが、その前にローザ様に諸々のご確認のため、再度お話をうかがうことになると思いますので、こちらからの返答はしばらくお待ちいただいてもよろしいでしょうか」
「ローザの気持ちもある。急がなくたっていいよ。僕はいつまでも待っているから」
ソファーの背もたれに身体を預けたアーサーは、少し疲れたように息を吐くと、二人に向けていた視線をふと切り、自分の手元へそらした。うつむいた表情は自信なさげで、それは最初に感じた地味な印象に戻っていた。
日が傾いて夕焼けの朱に染まった街の通り。家路を急ぐ人々に混じり、二人も帰路につきながらアーサーについて話していた。
「気弱そうに見えて、結構押しの強い方だったな」
「ローザ様のご妊娠のこと、知られちゃったけど、どうしよう」
「自分の子だと言ってんだ。簡単に言いふらしたりはしないだろう。……それはともかく、アデルはどう思った? 話の内容」
腕を組み、アデルは考える。
「そうね……あのお話の中のローザ様は、何だかローザ様らしくなく聞こえたわ。私が知ってるローザ様じゃないような」
「確かに。それは俺も感じた。お嬢様が意識がなくなるほど酒を飲んでたって聞いて驚いたよ」
「ローザ様はお酒をたしなまれるけど、度を越した飲まれ方はしない。お部屋で飲まれていても、常に静かで落ち着かれたご様子だったわ」
「酒宴っていう楽しい場で、羽目を外したってことかな。お嬢様も時には浮かれた気分になりたいだろうし」
これにアデルはクロードをじろりと見やる。
「それ、本気で言ってるの?」
「な、何だよ。違うのかよ」
「クロードはアーサー様のお話を全部信じてるの?」
「え? お前は疑ってるのか?」
「申し訳ないけど、そうね」
これにクロードは大きな溜息を吐いた。
「またかよ。お前は会う相手全員疑ってるじゃねえか」
「疑ってかからなきゃ本当のお相手は見つからないわよ。その方がローザ様に対して、どういう気持ちを抱いてるのかわからないんだから」
「まあ、それはそうだが……で、今回はどこが疑わしく思えたんだ?」
「アーサー様が妊娠という事実を知った前と後のご発言よ。まるで違ったように感じて」
クロードは小首をかしげる。
「そんなに違うこと言ってたか?」
「最初はローザ様とのご関係についてはご否定なさっていたけど、妊娠を知ると、そのお相手がご自身だとすぐに仰ったわ。これって何か不自然じゃない?」
「重大な事実を知って責任を感じたからだろう? 別におかしいことじゃない」
「じゃあ、ローザ様と深いご関係になられた事実は、私達から話を聞かなかったらずっと黙されるおつもりだったっていうの?」
「それはご本人に聞かなきゃわかんないことだ」
「そうかな……アーサー様はローザ様のことをとても慕っているようだったわ。そんなお相手とご関係があれば、私達に個人的な関係はないなんて言うかな……」
「酔っ払った末の関係だったんだ。言いにくかったんだろう? それにお嬢様の体面もある」
「そういうお気遣いはなさっても、最初にご関係は薄いものだと嘘を仰ったのは、責任を果たすと覚悟なさったご様子とは真逆だわ。まるで急遽、方針転換したみたい」
「そりゃ転換もするさ。お嬢様がご妊娠なさっていたんだからな。さすがにだんまりはできないと感じたんだろう?」
考えながらアデルはクロードを見やる。
「……何だよ」
「アーサー様の真意が、何だか、よくわからなくなってきたわ」
これにクロードはアデルの肩を軽く小突く。
「あれこれ考えなくてもいいだろう。お嬢様におたずねすれば全部わかることだ」
「そうだけど、でも、お話しくださらなかったら?」
うーんと唸りながらクロードは考え込む。
「……その時は、俺達がどうこうできることじゃない。当事者であるお二人で話し合っていただくしかないだろう。まあとにかく、さっさと帰ってご報告だ」
「ええ、そうね……」
アーサーの告白に対して、どこかもやもやしたものを感じながらアデルは館への道を歩いて行った。
帰った二人は早速報告のため、通りかかったメイドに声をかける。
「あ、ヘティ、奥様がどちらにおられるかわかる?」
「……アデル、今日も奥様からの特別な仕事に行ってたの? 一体何してるの? 皆気になってるわ」
「それを言ったら奥様からお叱りを受けるのは私なんだから、それだけは勘弁してよ」
「やっぱり無理か。わかってたけどさ。……奥様ならさっき二階で見かけたわ。まだどこかのお部屋にいると思うけど」
「わかった。ありがとうね」
「何してるか知らないけど、アデルも頑張ってね」
同僚と笑顔で別れると、二人は廊下を突き進み、二階への階段を上って行く。すると上がり切ったところで、マデリーンが廊下の奥からちょうどこちらへ歩いて来る姿があった。
「奥様、ただ今戻りました」
「……あら、アデルにクロード、ご苦労だったわね」
微笑んで近付いてくるマデリーンに二人は会釈する。
「首尾はどうだったかしら」
「はい。そちらにつきましては、重大なお話をうかがうことができました」
「重大? ということは、もしかして相手を……?」
「一応、見つけることはできました」
少し目を見開いたものの、マデリーンは怪訝そうに聞く。
「歯切れが悪いようだけれど、何かあるの?」
「うかがったお話は、現段階では男性側の主張でしかありませんので、最終的な判断のために、ローザ様にご確認のお話をうかがいたいのですが」
「ああ、そうね。あの娘の確認も要るわね……」
「暗いお時間ですが、今うかがってもよろしいでしょうか?」
これにマデリーンは困った表情を浮かべた。
「悪いけれど、今は控えてちょうだい」
「そ、そうですよね。こんなお時間に――」
「そうではないのよ。あの娘は今……」
マデリーンは周囲を見回し、人影がないのを確かめると、二人に顔を近付けて言った。
「つわりで寝込んでいるの」
妊娠すれば大半の女性が経験することで、それはローザも例外ではないようだ。
「それは、さぞお辛いことでしょう……」
「私も経験はあるけれど、見ているこちらも辛いくらいよ。数日は続くでしょうから、落ち着くまで待ってちょうだい。あれではどうせ話なんか耳に入らないわ」
「わかりました。そういうことでしたら控えます。ではその間、私達は通常の仕事に戻ります」
「ええ、そうして。でも無理はしないようにね。遠出が続いて疲れも溜まっているでしょうから」
「お気遣い、痛み入ります」
笑顔を残し、マデリーンは去って行く。その姿に頭を下げて見送った二人は一階へ戻ろうと再び階段を下る。
「……つわりか。それってどのくらい続くもんなんだ?」
「私もよくわかんないけど、二、三ヶ月とか、人によって――」
「ああ、奥様!」
背後の廊下からメイドの慌てた声が聞こえ、二人は階段の途中で足を止めて振り返った。
「何だ……?」
気になり、階段を戻って廊下の先を見てみると、メイドがマデリーンを呼び止めている姿があった。
「どうしたの。何を慌てているの?」
「お、お嬢様が、お手洗いで……」
マデリーンの表情はすぐに険しさを見せた。
「ローザに何かあったの?」
「はい。お手洗いで、出血をなさって……」
「!」
ただごとではない話に、アデルとクロードはすぐさまマデリーンの元へ駆けていた。
「出血ですって? 大変……!」
「奥様!」
駆けて来る二人にマデリーンは振り向く。
「……アデル、まだいたのね。ちょうどよかったわ。ローザの部屋へ一緒に来てちょうだい」
駆け出そうとするマデリーンにクロードが言う。
「私はお医者様を呼んで参ります」
「二人とも話を聞いていたのね。それならお願い。急いで」
クロードは一階へ、アデルはローザの部屋へ急ぐ。状況はまだわからないが、二人は最悪な結果にならないことだけを願い、駆けて行く。
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