六話

「……僕に、何を聞きたいって言うの?」


 広々とした応接間。白と緑を基調にした内装は品があり、落ち着いた雰囲気が感じられる。そこに置かれた白いソファーに座るイコール男爵の三男アーサーは、机を挟んだ向かいに座る二人を上目遣いに見ながら言った。


 男性にしては華奢なのは、まだ二十歳と若いせいだからかもしれない。それにしてもとアデルは思う。服装は他の貴族と同じように立派なものなのに、アーサー自身はやけに地味な印象だった。容姿がどうということではない。波打つ黒髪、艶のある肌、通った鼻筋、紫水晶のような瞳と、顔立ちは整ったほうとも言える。だが発した声は弱々しく、合わせた視線もすぐに外してしまう。座った姿勢は猫背気味で、膝に置かれた両手は指を絡め、落ち着きなく動かされている。そんな挙動は自信なさげに見えて、対する者に地味な印象を与えた。貴族という人間は皆、人前では饒舌で堂々と振る舞うものだと思い込んでいたアデルは、アーサーを目の当たりにして、こういう貴族もいるのかと初めて知ったのだった。


「マデリーン様からのお手紙にも書かれていたと思いますが、ローザ様とのご関係についておうかがいしたく……」


 これにアーサーの目がちらと二人を見た。


「彼女に……ローザに、何かあったの?」


「いえ、何ということは……」


「じゃあ何でそんなことを聞くんだ?」


 引きつった笑顔を作り、アデルは答える。


「私共はご関係をうかがうことだけを指示されましたもので、その理由までは知らされておりません。申し訳ございませんが……」


 嘘でごまかすと、アーサーは納得していない表情ではあったが、それ以上聞いてくることはなかった。


「……ご関係を、おうかがいしてもよろしいでしょうか?」


 控え目に聞いたアデルに、アーサーはやはり弱々しい声で答えた。


「いろいろな場で、何度か顔を合わせた程度だよ」


「いろいろな場というのは?」


「夜会だったり、友人が開いた宴だったり」


「そこでローザ様とお話しをなさいましたか?」


「ああ、もちろん。でもほんの短い間だけだった。彼女は綺麗でもてるから、周りの男達が放っておかない存在だ」


 フェルナンド、ザカリー、そしてアーサーと、知っているだけでも三人の男性に言い寄られているのだから、ローザは確かに魅力的でもてるのだろう。


「ローザ様と個人的に会われたことはございますか?」


 これにアーサーは力なく首を横に振った。


「残念ながら、まだないよ。できたらもっとゆっくりお話ししてみたいけど、そう思っている男が周りには多いから」


 うつむいて話すアーサーからは、ローザへの恋慕が感じ取れる。フェルナンドとザカリーとは違い、今現在もローザへ思いを寄せているようだった。


「大変ぶしつけなことをおうかがいいたしますが、お許しください……アーサー様は、ローザ様をどのように思われていらっしゃるのでしょうか」


「どのようにって……?」


「ご友人なのか、それとも心惹かれる異性としてなのか……」


 見据えて質問したアデルを、アーサーは驚いたように、だが少し恥ずかしそうに見る。


「……何で、そんなことを聞くんだよ」


「こちらでうかがったお話では、ある夜会でローザ様が、アーサー様に言い寄られていたというので、実際どのように思われていらっしゃるのか――」


「い、言い寄るって……僕はただ、楽しくお話をしようとしていただけだ」


「では、ローザ様へのお気持ちはないということですか?」


 聞くとアーサーは困惑した表情を浮かべる。


「ないとは、言えないよ。男なら一度はローザの美しさに惹かれるはずだ」


「つまり、お気持ちはあるということですね」


「……ああ……ローザのことは、とても、気になっている……」


 そう言ったアーサーの耳はじわじわと赤くなっていく。彼は恋愛に関しては奥手なのかもしれない。


 するとアーサーはアデルにねめつけるような眼差しを向けると言った。


「僕がローザに好意を持っていたら、何だっていうんだ?」


「先ほど、何度かお顔を合わせられただけと仰いましたが、本当にそれだけだったのでしょうか?」


 アーサーは眉根を寄せる。


「……どういう意味だ?」


「たとえば……たとえばのお話ですが、アーサー様とローザ様はお互いに思い合っておられる、というようなことは……?」


 アデルの慎重に探る口調に、アーサーは首をかしげる。


「質問の意図がわからない。僕が嘘を言っているって言いたいのか?」


「け、決してそのようなことではございません」


「でもそうじゃないか。僕とローザにそこまでの関係はないんだ。ここまで話を聞いていたならわかっているだろう?」


「それは、理解しておりますが……」


「そもそもお前達はローザとの関係を聞きに来ただけのはずだ。関係の薄い僕の気持ちを知って、一体何の意味があるっていうんだよ。まさか興味本位とか言わないよね」


「滅相もございません! ただ私共はご指示通りに――」


「ガリフェ夫人が僕の気持ちを探って来いと仰ったの?」


 方法は二人に任されており、そんな指示は一切ないのだが、アデルは迷いながらも小さく頷いた。マデリーンの指示だとすることでアーサーの疑問を抑えようとの考えだったのだが――


「本当に? でも僕との関係を疑うなら、まずローザに聞くべきだと思うけど。彼女も同じことを話しているはずだ。そうだろう?」


 問われ、二人は押し黙ってしまう。どう答えればいいのか、咄嗟には出てこなかった。


「……もしかして、聞いていないの?」


「いえ、その……」


 口ごもるアデルを見ながら、アーサーは怪訝な顔を浮かべ、考える素振りを見せる。


「何か彼女に聞けない理由でもあるの? まさか、病や怪我を負っているわけでは――」


「そ、それはございません。ローザ様は至ってお元気に過ごされております」


「だけど最近、ローザの姿を見ていないし、話も聞いていない。実は何かあったんじゃないのか?」


 最初の弱々しい口調はどこへ行ってしまったのか、話を聞き出すはずの二人に、なぜかアーサーのほうが聞き出そうと迫っていた。


「アデル、問い詰められたらやばそうだ。一応話は聞けたし、もう引き上げていいんじゃねえか?」


 クロードがアデルに小声で話しかけると、それにすぐさまアーサーが反応した。


「僕の前で耳打ちはやめてほしい。気分がいいものじゃないから」


「し、失礼いたしました……」


 謝ったクロードはソファーに座り直し、目を伏せる。それをいちべつし、アーサーは続ける。


「わざわざ僕にこんなことを聞きに来るなんて、よく考えればおかしなことだ。やっぱり彼女に何かあったとしか思えないよ」


「ですから、ローザ様は至ってお元気に――」


「何も身体的なことだけじゃない。周囲の変化や自身の出来事ということだってある。どうだ?」


 探ってくるアーサーに二人は戸惑い、黙るだけだった。


「……そうか。お前達はやはり、こうして指示された理由を知っているんだね」


 洞察力だけは鋭いアーサーをアデルは思わず見やる。紫水晶の瞳はこちらと視線を合わせることはないが、さまよいつつ考える様子は、二人から言葉を引き出すことをまだまだ諦めていない。


「私共は、本当にご指示を受けただけで――」


「下手な嘘は僕には通用しないよ。ローザに何があったの? 教えてくれ」


「ご勘弁ください。下働きの身で無責任な発言などできようがございません」


 苦しい感情を込めて言うも、アーサーに伝わった様子はなかった。


「それなら当ててみようか」


 真剣な顔付きを受け、二人は固まる。アーサーは両足に肘を付き、組んだ手に顎を乗せて言う。


「男性との関係を聞くのは、ローザに結婚の話が持ち上がったか、あるいはそれが決まったか……その辺りかな」


 二人は目を伏せ、押し黙る。


「そうなんだろう?」


 当たらずも遠からずの答え。だから反応もしにくかった。子の父親が判明すれば結婚に至ることも考えられるが、今はその父親を捜している段階で、必ずしもそこまでに至るかはまだまだ不透明だ。


 黙る二人を見ながらアーサーは溜息を吐く。


「……何も言わないってことは、そうなんだね。結婚はめでたい出来事じゃないか。何も秘密にすること――」


「いえ、違うんです。お嬢様はまだご結婚までのご予定はなく……」


 クロードの否定にアーサーはわずかに眉を上げた。


「結婚までって、その言い方だとまるで候補相手はいるみたいに聞こえるけど」


 ぎくりとしたクロードをアデルは横目で睨む。


「恋人がいるなら、どうして僕に関係を聞いたりするの? ローザは結婚を嫌がっているの?」


「ですから、ローザ様にはご婚約者もご結婚相手もおられません。アーサー様は豊かな想像力をお持ちのようで」


「何? 僕をあざけっているの?」


「め、滅相もございません! ただ、少々お考えすぎなように感じられまして……」


「果たしてそうかな。異性の話を聞いてくるなんて、そういったことしか考えられないけど。……そうだ。今度ローザに会いに行こうかな」


 アーサーの思い付きに二人は思わず強く反応する。


「それはお待ちください!」


「ローザ様とお会いされる前に、ま、まずはお手紙などを送られては……?」


 慌てるような不自然な態度を見てアーサーは怪訝な表情を浮かべた。


「……お前達はローザの何を隠しているんだ?」


「何も、隠すようなことなどは――」


「僕が会いに行くと、不都合なことがあるみたいな態度だ」


「そのようなことは……」


 アデルの声は尻すぼみになる。


「そうやってお前達が話さないつもりなら、直接ローザに聞きに行ったほうが早いだろう。それとも、ローザはやっぱり病で寝込んでいるとか言うの?」


「いえ、ご健康に問題はございません」


「それならなぜ僕を止めようとする? おかしいじゃないか。最近のローザは姿も見せていないし、明らかに問題があるようにしか思えないけど」


 苛立った言葉を浴び、二人は身を小さくして聞き続けるしかなかった。


「病で伏せているわけでもなく、婚約者もいなければ結婚の話もない。姿を見せないローザに会いに行こうとすれば止められる……こんな状況、疑うしかないじゃないか。彼女に何か起きたんだろう?」


 アーサーの追求は緩むことがない。それは単なる興味や好奇心と言うより、ひとえに心を寄せるローザに関することだからなのだろう。最初の地味で自信なさげな印象は影を潜め、今は別人のようにさえ感じた。それだけローザへの思いが強いということなのかもしれない。


 アデルは困り果てた顔を隠すように、深々と頭を下げて言う。


「申し訳ございません。アーサー様のお望みでも、私共の口からお話しすることはできかねます。どうかお許しを……」


「会えない理由、会わせられない理由が他にあるんだろう。たとえば、そうだな……」


「お願いですから、ご勘弁ください……」


 この人は真実を知るまで諦めそうにない――そんな嫌な予感がアデルの中には湧く。一体どうやってこの追求から抜け出せばいいのか、頭はぐるぐると思考する。だがアーサーはお構いなしに口を開く。


「僕との関係を聞きに来たからには、恋愛絡みではあるはずだ。ローザはそれでひどい目に遭わされて、ひどく落ち込んで人に会える状態じゃない、とか?」


 アーサーの視線が二人に答えを求める。しかしアデルもクロードもわずかに目を上げただけで反応を返さなかった。


「……無視だなんて、失礼だな」


「そ、そのようなつもりは……」


「ローザは遊び回るような女性じゃないと思うし、男性を選ぶ目も慎重だとは思うけど、軽薄な男に目を付けられた可能性はある。あれだけ美しい女性なんだ。惹かれない男は少ない。そんな状況で問題が起こるとすれば、金か、お互いの家柄か、二人の見解の相違……でも、ローザが姿を見せないのを考えると……いや、まさか、妊娠というのは考えす――」


 アデルが密かに心臓を跳ねさせたと同時に、隣のクロードが突然大声を上げた。


「何を仰るのですか! ご冗談はおやめください!」


 アデルは唖然とクロードを見つめた。本人は全力で否定したつもりだろうが、傍から見ればわかりやすいうろたえとごまかしだった。洞察力の鋭いアーサーに通用するはずがない。そんな相手にはらはらしながらアデルはそっと目を向けると、紫水晶の瞳は驚いたように見開き、クロードを見ていた。


「……いきなり大声なんか上げて、図星、なのか?」


 やはり通用しなかった。過剰な反応は答えを教えているようなものだ。それでもアデルはクロードの否定の声を待ったが、図星と指摘されたクロードは動揺を見せ、言葉を詰まらせていた。


「本気で言ったわけじゃなかったけど……そんな……ローザが、妊娠を……」


 すでに確信したのか、気が抜けた声でアーサーは呟いた。だがアデルはクロードの代わりに否定を試みる。


「そ、そのような事実はございません。ご結婚もなさる前から妊娠だなんてあるはず――」


「それなら、ローザに会いに行って確かめてみようか?」


 アデルは首を絞められたように声を途切れさせた。それを見てアーサーはすべてを悟ったような薄い笑みを滲ませる。


「そうか。これでお前達がここに来た理由がわかった。ローザは妊娠したけど、その相手がわからず、関係のありそうな男をそれとなく探りに来たわけか。彼女が最近姿を見せないのも妊娠のせい……そういうことなんだろう?」


 アデルとクロードは互いに横目で見合う。確信してしまったアーサーに違うと言ったところで、もう聞いてくれることはないだろう。二人の下手な嘘は見破られてしまったのだ。ここは潔く認めるしかなかった。


「……どうか、このお話はアーサー様の胸の内にだけ秘めていただきたく……」


「わかっているよ。こんなこと、誰かにべらべらと話せることじゃない。僕の中にしまっておく。だけど、ローザ自身がわからないなんてことがあるの? 当人なのに」


「いえ、ローザ様はお相手をおわかりなのですが、なぜかお教えくださらないのです」


「教えない? ご両親にも?」


 アデルは頷く。


「なので、こうして私共がご関係のある方の元へ訪れている次第で……」


「わかっている相手を、明かさない……どうしてだろう。わかっているなら名を出せばいいのに。それとも出せない理由があるんだろうか」


「私共には想像もつかないことです」


 ローザは相手の男性について、言いたくないと言った。だが言えないような相手ではないとも言った。矛盾したような言い方……それがどんな男性を指しているのか、アデルにはさっぱりわからなかった。


「……本当にローザは、相手を知っているのかな」


 長いこと考え込んでいたアーサーはおもむろにそう言った。


「どういう、ことでしょうか」


「実際は相手がわからないけど、ご両親にそうは言えないから、わかっているけど教えないという態度を取っているんじゃ……」


「ご自身に関わる重大なことで、私はお嬢様が嘘をつかれるとはとても思えません」


 少しむっとした口調でクロードが言った。


「重大なことだから嘘をつくしかないんじゃないか。もしそうだとするなら、僕には相手の男に心当たりがある」


「……え? 今、何と?」


 さらりと言った言葉をアデルは聞き返す。


「僕はローザの相手の男に心当たりがあるって言ったんだ」


 言葉の意味をしっかり理解した二人は、前のめりになりながらアーサーを見つめた。


「ほ、本当ですか?」


「それは、ど、どなたなのでしょうか」


 真剣な二人の視線を避けつつ、アーサーは静かに言った。


「相手は、僕だよ」


 数秒間の沈黙が流れた後、固まっていたアデルの口がようやく開いた。


「……アーサー様が、ローザ様の、お相手?」


「そう。僕」


 言ってアーサーは自分の胸を軽く叩き、示した。

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