五話

「どうぞ、こちらへ」


 執事に案内され、二人は館の中へ通される。二階への階段を上がり、落ち着いた色合いで統一された廊下を進み、見えてきた扉の前で執事は立ち止まる。そして取っ手をつかみ、静かに開くと、無言のまま中へ入るよう促す。それに従い、二人は部屋に入った。


 今回も同様、マデリーンに頼んで約束を取り付けてもらい、フェルナンドを訪ねてから数日が経った今日、ザカリーの住む館を訪れていた。彼は個人で家を持ち、独りで暮らしているようで、今まで訪ねた館と比べればあまり大きくはない住まいだったが、それでも庶民の目からすれば部屋数も多く、十分立派な館ではあった。


 山の中腹に建つここから見える景色は、どこも紅葉で着飾った木々ばかりだが、それは今の時期にしか見られない最高に美しい景色でもある。晴れ渡った青空との対比は色鮮やかで、それを窓枠が切り取り、一つの絵画のように見せている。そんな窓の数だけ、この館には美しい風景画が飾られているようだった。


 そして、そんな風景画の一部のように、大きな窓の前にたたずむ男性がいた。部屋に入って来た二人の気配に気付いてゆるりと振り向く。


「君達が、ガリフェ卿の下働きか」


 ウィドール子爵家次男の二十三歳で、自他共に認める酒好き――そんな情報からは何となく明るい雰囲気を想像していたアデルだったが、目の前にいる男性はそれとは真逆のように感じた。低い声、撫で付けられた茶の髪、鋭くこちらを見てくる眼差し……硬く、冷たい印象ばかりを受ける。年齢の割に老けて見えるせいでもあるかもしれない。少々強面の顔立ちは三十前と言っても頷いてしまうだろう。だが実際はフェルナンドより一歳若いのだから、人は見た目ではわからない。


 二人はザカリーの前まで進み出ると頭を下げた。


「このたびは、貴重なお時間を割いていただき、ありがたく、感謝しております」


「ガリフェ夫人たっての頼みなら断ることはできない。まあ私も暇を持て余していた身だ。ちょうどいいさ」


 感情が見えない表情のまま、ザカリーは部屋の片隅に置かれた一人掛けのソファーに腰を下ろす。


「見ての通り、ここにはこの椅子一脚しかない。私だけ失礼させてもらうよ」


「お気遣いはご無用です。どうぞお構いなく」


 この部屋には本棚や骨董品、酒瓶が並べられた棚などしか置いておらず、見た感じ趣味の物を集めた私的な部屋のようだった。だから椅子もザカリー一人分しかないのだろう。二人は彼の側まで近付き、まずは自己紹介をする。


「私はメイドをしております、アデル・リシェと申します」


「警備主任のクロード・ギルベールです」


 名乗る二人をザカリーはいちべつする。


「ふむ……ガリフェ夫人は君達に、ローザの何を聞きに行けと指示したんだ?」


「はい。では早速おたずねをさせていただきますが、ザカリー様はローザ様とは、どのようなご関係でいらっしゃいますか?」


「関係、とは?」


「単なるお知り合いですとか、よく会われるご友人ですとか、あるいは、それ以上に親しい仲であるとか……」


 ザカリーは冷めた視線でアデルをじっと見る。


「……なるほど。ガリフェ夫人は娘の男性関係を探らせているのか」


「仰りにくいことをお聞きするようで申し訳ございませんが――」


「別に言いにくいことなどない。ローザと私はそういう関係ではないから」


「お話しをなさる程度の仲ということですか?」


「話も数えるほどしかしたことはない」


 これにアデルは小首をかしげる。


「しかし、他の方にうかがったところでは、ローザ様と長くお話しされていたようですが」


「長く話していたら何だと言うんだ?」


 真っすぐ見てくるザカリーの目に気圧されないよう、アデルは一呼吸置いてから言った。


「……その、ローザ様へ、言い寄られていたというお話もございまして」


 ザカリーは黙ってアデルを見つめる。そこから感情は読み取れない。怒っているのだろうか――気まずい空気に何か言わなければと考えていた時だった。


「言い寄っていたというのは、確かにそうだ」


 素直に認めた言葉に、てっきり怒鳴られると思ったアデルは拍子抜けする。


「だが一度だけだ。以前、夜会へ行った時にローザを見かけ、その美しさに惹かれて誘いの言葉をかけたことはある。けれど彼女は私に振り向く様子を見せてはくれなかった。それきり、ローザを誘ったことはない」


「なぜそれ以降、お誘いなさらないのですか?」


「彼女の反応だ。あれは私を完全に拒んでいた。そんな態度の女性を誘ったところで結果は目に見えているだろう」


「ローザ様はなぜそのような態度を取られたのでしょうか?」


「単純に私のことが好みでなかったか、もしくは思いを寄せる者がすでにいたのかもしれない。想像の範囲だが」


「ローザ様が思いを寄せる方にお心当たりなどは……」


「あれば想像の範囲などとは言わない。私は彼女とはあまり親しくないんだ」


 ザカリーの話はデルフィーヌが目撃したことと一致している。言い寄ったが断られたというのは本当だろう。だがその一度で諦めたというのは本当だろうか。惹かれた女性ならフェルナンドのように何度も誘ってみるものではないのか? 断られただけでローザへの気持ちが完全に消えるとは思えない。なぜなら――


「ザカリー様はご自身で宴を開かれているそうですね。そこにローザ様をご招待なさったことは?」


「ないが、招待客の友人として来たことはある。私の開く宴は連れであれば、招待状がなくても受け入れているんだ」


「その宴の場で、ザカリー様がローザ様に積極的にお話しなさっていたとお聞きしたのですが……」


「私は主催者だ。客に積極的に話しかけるのは当然だろう」


「それはそうですが――」


 アデルが発しようとした言葉をザカリーは鋭い視線でさえぎった。


「君が考えていることは的外れだ。私が今もローザへの思いを抱いていると疑っているんだろうが、それはない」


「わずかもないと……?」


「ああ。私は判断が早いものでね。何事も時間をかけたくない質なんだ。ある友人は恋愛を遊びの対象としているが、私には無理だ。こちらに振り向かせるために様々な考えを巡らす時間があるなら、私はさっさと次の女性を探す。未練など綺麗さっぱり流して」


「けれどフェルナンド様は、ローザ様のご様子には構わずにザカリー様が話しかけられ続けていたと――」


「おい、アデル! お名前は……」


 横のクロードに肘で突かれたアデルは、はっと気付く。無意識にフェルナンドの名を出していた。これでは彼にも話を聞いたことが明らかだった。


 同じように気付いたザカリーは、初めて感情を見せる薄い笑みを浮かべた。


「ふっ、そうか。情報の出所はあいつだったか。確かに私の宴にはよく来ているからな。そんな光景を見ていてもおかしくはない」


「あ、あの、フェルナンド様のお名前は聞かなかったことにしていただきたく……」


 困惑しながら懇願するアデルにザカリーは軽く頷く。


「心配するな。こんなことであいつに文句をつけたりなどしない。……言い訳ではないが、私は酒を飲むことが趣味でね。舌で味わうより、酔うことが好きなんだ。普段は真面目でつまらないと言われるが、酒が入ると別の自分を出せる。よく笑い、よくしゃべり……だからあの時もローザに酔った勢いで話し続けていたんだ。主催者として、暇そうにしている客は放っておけないからな。だがそれは決して恋愛感情からではないと断言しておく」


「そ、そうですか……」


 ここまできっぱり言われると探る質問がしづらくなる。フェルナンドはザカリーの行動が酒のせいか気があるからかわからないと言っていたが、どうやら前者が濃厚だ。ローザへの思いを絶ったというのはやや疑わしくはあるが、本人が酒を飲む理由を踏まえれば、陽気になって誰彼構わず話しかけても不思議ではない。だがそんな酒の勢いで強引な行動を起こすことも考えられなくもない。ザカリーの言葉を信じるか、自分の疑念を信じるか、アデルにはなかなか選べなかった。


「……私に聞きたいことは以上なのか?」


 考え込むアデルにザカリーが聞く。


「いえ、まだ……」


「しつこいようですが、お嬢様……ローザ様へのお気持ちは本当になくされたのですか?」


 アデルが聞きたかったことを察したかのようにクロードが代わりに聞いた。


「……私の言ったことが信じられないか?」


 少し不快そうな視線がクロードを見る。だがクロードは怯まずに言う。


「たった一度断られただけで諦められるというのは、どうも腑に落ちない気がしまして」


「ふむ、そういうものか。私にはごく普通の判断だが」


「お気持ちがないという証明は難しいと思います。なので――」


「いいや、難しくはない」


「え?」


 思わぬ言葉に二人は目を丸くして見つめる。そんな二人には構わず椅子から立ち上がったザカリーは、壁際の棚に置かれていた小物入れの蓋を開けると、そこから何かを取って戻って来る。


「……これはごく最近、恋人から貰ったブローチだ」


「……ええっ!」


 二人はザカリーの手に乗る四角いブローチを食い入るように見つめた。深い青色の宝石を金細工で留めた、いかにも高価そうな、美しい輝きを放っている。


「裏には彼女のイニシャルが刻まれている」


 おもむろに裏返された背面には、確かに「D」の文字が彫られていた。


「あの、そのお方のお名前は……?」


「ダイナ。マクミラン男爵の三女だ。調べればすぐにわかるだろう」


 二人は唖然とザカリーを見た。


「……恋人がおられると、なぜ仰っていただけなかったのですか」


「聞かれなかったからな。これで証明はできたか?」


「はい……十分です」


 ザカリーはブローチを小物入れに戻すと、また椅子に座る。素性と名を明かしたのであれば、もうこれは疑いようがなかった。すでに恋人がいるのなら、ローザに気持ちを残している可能性は限りなく低いだろう。つまりザカリーとローザの間には親しくつながる要素はない。


「疑いが晴れたようでよかった。さて、次は?」


 気を取り直し、アデルが聞く。


「……では、開かれている宴の場などで、ローザ様に話しかけている男性をお見かけしておりませんか? あ、フェルナンド様以外で」


「どうだったか……宴は社交の場でもある。多くの者と言葉を交わすのは当たり前のことだ。ローザも会話はよくするほうだと思うし、誰と特定するのは難しい。私もローザにだけ構っているわけではないから」


「どなたかお一人でも、ご記憶に残っている方はおりませんか?」


 ザカリーはしばらく考えてから口を開いた。


「……わからないな。だが招待客なら全員わかっている。毎回同じ者を呼ぶから名簿があるんだ。そこに載る男性客は全員ローザと話した可能性がある、ということしか言えない」


「それでは、その名簿を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」


 これにクロードが眉をひそめて聞いた。


「アデル、まさか一人一人訪ねに行くつもりか?」


「ローザ様とご関係する可能性があるなら、そうする必要も――」


「それでは時間がかかるだろう。だったら君達も宴に来るといい」


 二人はぽかんとザカリーを見る。


「し、しかし、その宴は下働きの者が紛れ込んでいいようなものでは……」


「通常は私と同じような身分の人間しか呼ばないが、君達はガリフェ卿のために働いているんだ。それをお手伝いできるならメイドだろうと警備人だろうと構わないだろう」


「よろしいのですか? 本当に、私共などを……」


「主催者の私がいいと言っている。近々また開こうと考えていたところだ。実際に客と会い、話を聞いてみればいい。まあ他の客と同等とまでは言わないが、来るからにはそれなりの格好で来てもらわないと困るが」


 ザカリーは二人の服装をいちべつして言う。


「そ、そうですね。そういった場での礼儀や作法は、できるだけ守るつもりではおります……」


 そうは言ったものの、二人は貴族が着るような礼服など当然持ってはいない。庶民が呼ばれるのはせいぜい気心の知れた仲間内の宴だけで、そこで着飾る必要はない。だが上流階級の宴ではそうもいかない。今度の出費は大きくなりそうだと、アデルは心の中で溜息を吐くのだった。


「……お話を聞かせていただき、ありがとうございました」


「もう終わりか?」


「はい。ザカリー様からお聞きしたいことはすべて聞けましたので、私共はこれで失礼いたします」


「そうか。では宴の日時が決まり次第、君達にも招待状を送ろう」


「届くのを心待ちにしております。それでは――」


「ところで……」


 頭を下げかけた二人にザカリーは聞く。


「ガリフェ夫人はなぜ君達にこんなことをさせているんだ?」


 素直な疑問に二人は顔を見合わせ、答えに詰まる。


「なぜ、と仰られても……」


「ローザが話せば済むことだと思うが? それとも、そう簡単なことではないのか?」


「わ、私共はご指示を受けているだけの身ですので、詳しいことは何とも……」


「まあそうだな。たとえ知っているとしても、君達の立場から話すわけにはいかないか……少し気になって聞いてみただけだ」


「は、はい。それでは、失礼いたします」


 深々と頭を下げた二人は、そそくさと部屋を後にし、館の外へ出た。緑の新鮮な空気と共に肌寒い秋風が頬を撫でる。紅葉した木々からはらはらと色あせた葉が舞い落ちる下を歩き、二人は緩やかな山道を下って行く。


「最初は気難しいかと思ったけど、意外に優しい方でよかったな」


「本当ね。まさか招待状を送ってくれるなんて」


「話を聞いた限り、お嬢様とは近い関係じゃなさそうだな。恋人もいるっていうし」


「ザカリー様の可能性は低いと思っていいかもね。一度ローザ様に言い寄ったっていうのは気になるけど」


「大丈夫だろう。招待状を送るってぐらい、こっちには協力的だ。お嬢様と何か関係があればそんなことしないはずだろう?」


「そうとも言えるけど、ただ平然を装ってるだけとも……」


 クロードは隣を歩くアデルをじっと見やる。


「お前は本当に疑り深いな。前回の女たらしのことも疑ってただろう」


「だって絶対的な確証がない限り、疑いは消えないものでしょう? 私達にはローザ様のお相手を捜し出す責務があるんだから、わずかなことでも気は抜けないわ」


「それはわかるけど、ザカリー様は疑わなくても平気だろう」


「とりあえず今はね。……じゃあ次にうかがうのは、デルフィーヌ様が挙げた最後のお一人のアーサー様ね」


「今度こそ進展があればいいが。それで空振りだったらほぼ振り出しだ」


「どうなろうと私達は捜し出すだけよ。ほら、気合い入れ直して頑張ろう!」


 クロードの背中をバシンと叩き、アデルは歩を速めて進む。空振りはご免こうむりたいが、少しでもいい情報が引き出せればと今は期待することしかできない。だがもしその期待が外れたら――そんな後ろ向きの気持ちは隠し、アデルは強く、真っすぐ前だけを見続ける。必ず見つけられると信じて。

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