二話

 早朝、同じメイド仲間達と過ごす地下室で目覚めたアデルは、素早く身支度を終え、同僚達と部屋を出る。そしてそれぞれが自分の仕事へと向かって行く。普段のアデルならすぐさま二階のローザの元へ向かうのだが、今日からは行き先も仕事も変わる。


「まずは、警備室ね」


 大きな正面玄関から外へ出たアデルは、美しい緑の庭を横目に、館沿いに左へ進んだ先にある小さな建物に向かう。貴族となると敷地内の警備は当たり前で、ここガリフェ家でも数十人が雇われている。なぜ警備室を訪ねるかと言えば、アデルはローザの世話係とは言え、常に側にいるわけではなく、どんな客人を招いたかすべてを把握してはいない。だが厳しく見張っている警備の者なら、館に出入りする人間は全員把握しているはずなのだ。さらに言えば、いつ、どんな者が、誰に会いに来たかを帳面に記していることも考えられ、アデルはまずそこからローザの交友関係を探ろうと考えていた。


 警備室の扉の前に立ったアデルは早速叩いて声をかける。


「すみませーん、ちょっといいですか?」


 しばらくすると中から物音が聞こえ、足音がこちらへ近付いて来た。


「……ん、アデル? 何か用か?」


 そっと開けられた扉の隙間から、アデルとは顔馴染みのクロードが顔を出した。差し込む朝日を眩しそうにする目はどこか眠そうで、直前まで寝ていた様子がうかがえる。


「おはよう。もしかして昨日、夜番だった?」


「まあな。でも起こしてくれてよかったよ。俺も、夢の中にいる部下共を叩き起こさなきゃならなかったから」


「へえ、ちゃんと上司らしいことしてるんだ」


「ったりめえだ。ヒルさんから警備主任を受け継いだんだ。怠けたことはできねえよ」


 短い黒髪の頭をぽりぽりとかきながら、クロードは口の端で笑った。


 今から五年前、アデルは十六歳からこのガリフェ家で働き出したのだが、五歳上のクロードも同じ時期に雇われていた。その頃から同僚として顔を合わせ、何度も話しており、今は気兼ねなく話せる友人の一人となっている。彼は最近、上司だったヒルが仕事を引退する際に警備主任の役を指名され昇進したばかりでもある。


「で? 俺か、誰かに用なのか?」


「主任さんが応対してくれるならちょうどいいわ。過去に館を訪れたお客様について知りたいんだけど」


「過去? また何でだ」


「それはどうでもいいでしょう。教えてくれるの?」


「過去ったってどのぐらい前のお客人だ? 一年以上前だと、悪いがここに記録は残ってないぞ。帳面の保管期限は一年間なんでな」


「そう。ならその一年間分を見せてくれない?」


 するとクロードは怪しむように眉根を寄せた。


「ご主人様から許可はいただいてるのか?」


「ええ。奥様からもいただいてるわ。……何? 疑ってるの?」


「いや……何を調べるつもりなんだ?」


「だからそれはどうでもいいでしょう。見せてくれるなら早く扉開けてよ」


 急かされ、クロードは扉を開けてアデルを中へ入れる。そこそこ広い部屋の隅では、四人の警備人が簡易ベッドで寝息を立てていた。彼らも夜番だったのだろう。


「帳面は奥の部屋にあるよ。机の上の棚だ」


「私が勝手に見てもいいの?」


「許可はいただいてるんだろう? ならいいよ。俺は着替えと、こいつら起こさないといけないから」


 気持ちよさそうに眠る部下達を見回し、クロードはあくびを噛み殺す。確かに、ズボンからはみ出したよれよれのシャツは着替えたほうがいいだろう。


「じゃあ、そうさせてもらいます」


 簡易ベッドの並ぶ部屋を抜け、アデルは言われた奥の部屋に入る。


「……この棚ね」


 ここは事務室なのか、大きな机がどんと置かれているだけの質素で狭い部屋だった。そしてその上には数冊の帳面がしまわれた棚があった。早速アデルはそこに指をかけ、一冊ずつ取り出していく。


「一番古い時期から見ていこうかな……」


 帳面は全部で二十六冊。その全表紙には年月日が書かれている。アデルはおよそ一年前の帳面から開いてみる。


 ミシェル、マデリーン、ローザと名が記され、それぞれ設けられた枠内に客人の姓名と用件が書き込まれている。見るまでもなく、やはりミシェルの客人が断然多い。次にマデリーン、ローザと続く。アデルはローザの枠内だけに注目し、ページをめくっていく。


「……全部、女性のご友人ね」


 アデルが知っている名もあれば知らない名もあるが、それらはすべて女性だ。男性がローザを訪ねて来たことはないのか? 確かめるため、他の帳面も開いて見ていく。


「おらあ! 起きろ! 顔洗って仕事だ!」


 隣の部屋からクロードの大声が響いてくる。それを背中越しに聞きながらアデルは帳面に目を落とし続ける。そうして次の帳面、その次の帳面と見ていくが、やはり男性の名は出てこない。相手のことはあえて館に呼ばなかったのか、あるいは呼びたくても呼べなかったのか。何にせよ、帳面上からは相手の男性を推測することはできそうにない。


「お嬢様のお客人を調べてるのか?」


 すぐ側からの声にアデルは驚いて振り向く。とそこにはいつの間にか肩越しに帳面をのぞき込んでくるクロードがいた。


「ちょっと、勝手に見ないでよ」


「勝手にって、その帳面はここの管理品だ。別に見たって問題はないだろう」


「ま、まあ、そうだけど……」


「一年前までさかのぼって調べるなんて、お嬢様に何かあったのか?」


「あなたには関係ないことよ。それより早く着替えてきたら?」


「もう着替えたよ。ほら」


 言われてよく見れば、よれよれのシャツは消えて、首元までボタンをはめた上着をしっかり着ていた。


「悪いけど、これは私一人で調べたいことだから。今だけ出てってくれない?」


「何か水臭いんじゃないか? お嬢様のことなら俺も何か手伝って――」


「あれ、主任、朝っぱらから女連れ込んでるんですか?」


 からかうような声に目を向ければ、部屋の入り口から部下の青年がにやにやした顔でクロードを眺めていた。


「馬鹿なこと言う暇があるなら、さっさと飯食って警備に行け!」


 怒鳴って迫る上司に恐れをなした青年は脱兎のごとく逃げて行く。それを睨んで見送ったクロードは他の部下がいないのを確かめると、事務室の扉を閉めてアデルの元に戻った。


「……教育はまだ行き届いてないみたいね」


「そういう教育は俺の範囲外だ。で、何だったか……あ、そうそう、俺も手伝うよ。できることがあれば――」


「何もないわ。その気持ちだけ受け取っておく」


「何だよ。水臭い上に素っ気ねえな。調べ事なら人数が多いほうがいいだろう?」


「これは私一人でやらなきゃいけないの」


「同じ職場で働く同僚だろう? 気遣いは――」


「そんなんじゃないの。これはローザ様の――」


 勢いで言いかけたところでアデルは咄嗟に口を閉じた。危うく理由を言いそうになった自分にどきりとする。だがこの様子をクロードはいぶかしむ。


「……ローザ様が、何だよ」


「何でもない」


 アデルは再び帳面と向き合う。


「やっぱり、お嬢様に何か問題が起こってるのか?」


「クロードには、関係ないから……」


 するとアデルの肩はつかまれ、強引にクロードへ向き直される。


「関係なくはないだろう。お嬢様はガリフェ家のご息女で、俺達がお守りする対象者だ。些細な問題だろうと関係はある」


「そうかもしれないけど、でもこれは私だけに許されたことだから」


「アデルにだけ? じゃあアデルだけが何かを知らされてるってことか?」


「っていうか、その場で知っちゃっただけなんだけど……」


 ぽろりとこぼれた言葉にアデルははっとする。こんな言い方をすれば、ローザに問題が起きていると言っているようなものだった、クロードを見れば、真剣な眼差しがこちらを見据えていた。


「お嬢様に何が起きたんだ。教えてくれよ」


「む、無理よ。勝手に教えるなんて」


「ならご主人様と奥様に許可を得ればいい。俺がアデルに協力するって。それならいいだろう?」


 協力という言葉にアデルは思わず悩む。正直、たった一人で当該男性を捜し出すのは心細い気もしていて、協力という申し出は間違いなく心の重荷を少しばかり軽くしてくれる。時間も限られている中、秘密を共有する仲間がいれば、調査もはかどるのでは――そんな心の声がアデルの背中を押そうとする。


「許可を得た上でなら……私には、教えない理由はないけど」


「わかった。じゃあお二人に許可をいただいてくるから、何が起きてるのか教えてくれ」


「は? ちゃんと聞いてたの? 私は許可を得たらって言ったの。その前に教えられるわけないでしょう」


 協力の申し出はありがたいが、さすがに守るべきことを破る行動はできない。その順序もきっちり守りたかった。


「大丈夫だ。お二人は後できっと許可してくださる。俺にはその自信があるから」


 余裕の笑みを浮かべるクロードを見て、アデルは呆れた視線を送る。


「……そんな意識であなた、よく主任を任せてもらえたわね。ガリフェ家の警備態勢が急に不安に思えてきたわ」


「心配するなって。仕事柄、俺は口が堅いんだ。べらべらしゃべるような真似はしない」


「私も口が軽いとは思ってないけど、私がそう思われるのは嫌なの。だからまずは許可をいただいてきて。話すのはそれからよ」


「何だよ、面倒だな。先に教えてくれても――」


「クロード! 行って!」


 怒鳴るとクロードは仕方なさそうに部屋を出て行った。こういうことには厳しい意識を持っていると思っていたが、こんなにいい加減だと、普段の仕事ぶりが本当に心配に思えるアデルだった。


 それから二十分後、帳面に目を通し続けていると、背後で扉の開く音がしてアデルは顔を向けた。


「……許可はいただけたの?」


 聞くとクロードは笑みを見せる。


「ああ。奥様からいただいた。ご主人様はまだご就寝中だったから、奥様からお伝えしてくださるそうだ」


「そう。それで、問題の内容については聞いたの?」


「いや、はっきりとは。すでに俺が知ってると思われていたのか、その前提でお話しされてたから……何か、おたずねしづらくて」


「前提でお話しを? ……私が許可前に話したって思われてたらどうしよう」


「もしそうなら俺が証言するから安心しろ。……それじゃあ、お嬢様に起こってることを教えてくれるか」


 頷き、アデルはローザの妊娠の事実を話し、その相手の男性を捜していることを伝えた。これにじっと耳を傾けていたクロードだったが、聞き終わると険しい表情を浮かべた。


「お嬢様が、ご妊娠を……それは確かに、簡単には口外できない内容だな」


「だから私一人で捜そうとしてたんだけど。でも手伝ってくれるなら心強い」


「これは絶対に見つけないとな。お嬢様は喜んでると言っても、きっとお独りでご不安を抱かれていることだろう。一体どこのどいつだ。お嬢様を身ごもらせながら放って置いてるのは。それだけでも俺には許せないことだ」


 二人は五年間、ローザが十三歳の頃から見守り続けており、その日々の成長であどけない少女から洗練された女性に変わっていく様を間近で見てきた。ここで働く者なら誰でもそれを見て、目を細める気持ちを持っている。アデルが勝手に親近感を覚えているように、クロードもローザには自分の身内のような感覚を抱いていた。だからこそこの出来事には感情がより強く出てしまう。


「まあ、怒る気持ちもわかるけど、ここは冷静になって捜して。人違いは絶対に許されないことなんだから」


「わかってるさ。……それで? どうやって捜す算段なんだ?」


「とりあえずローザ様のご交友関係を知るために、この帳面を見に来たわけなんだけど……」


 アデルは机に広げられた何冊もの帳面を見渡す。


「お客様に男性がいないかって期待してたけど、見事に一人もいなかったわ」


「つまりお嬢様は館の外だけでお相手と会われていたってことか」


「外となると捜し出すのはますます難しくなるわ。誰と会っていたかなんて記録はないからね」


「じゃあ、聞き込むしか方法はなさそうだな……だったらお嬢様におたずねすれば――」


「お教えくださるわけがないでしょう。ローザ様はお相手の男性を明かす気がないのよ? その方につながるようなお話をしてくれるとは思えないわ」


「そりゃそうか……なら誰に聞く?」


「それなんだけど、帳面を見てて気付いたことがあって……」


 アデルはクロードを手招きし、一緒に帳面に目を落とす。


「女性のお客様が多くいらっしゃる中で、一ヶ月に一度や二度、必ずいらっしゃる方がいて――」


 そう言いながらページをめくったアデルは、記された一つの名を指し示した。


「この、ローザ様の従妹に当たる、デルフィーヌ様のお名前が多くあるの。この方は私も唯一知る親しいご友人で、確かに何度もお顔を拝見したことはあったけど、こんなに頻繁に訪れてたのは知らなかったわ」


 横からのぞくクロードは他の帳面をぺらぺらとめくる。


「どれどれ……ふむ、本当によくいらっしゃってるな」


「直近だと、二週間前ね。こんなに仲のいい方なら、もしかすると……」


「お相手について、聞かされてる?」


 アデルは小さく頷く。


「可能性は十分あると思う。訪ねるなら、まずはデルフィーヌ様がいいと思うの」


「ああ。俺もそれでいいと思う」


「よし、じゃあ決まりね」


 アデルは帳面を棚に戻し、扉へ向かおうとしたが、そこでクロードが聞いた。


「でもお話をうかがいに行くにしても、あちらは貴族だ。下働きの俺達が訪ねても追い返されるんじゃないか?」


 あ、とアデルは足を止める。確かにクロードの言う通りだった。主人の使いでもないのに、ただのメイドが会いたいと訪ねたところで、向こうは不審に思って追い払うだけだろう。会ってもらうにはどうしたらいいのか――考えるアデルだったが、それはすぐに浮かんだ。


「こういう時は、奥様に助けを仰ぎましょう。手伝いが必要なら遠慮なく言いなさいって仰ってくださったから、きっと話を聞けるようにしてくれるはずよ」


「本当か? それならありがたいが……」


「大丈夫。行きましょう」


 アデルは扉を開け、足早に館へと向かった。

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