14 神
屋舎からバラバラと人が飛び出してきた。何個所かに散らばって警備に当たっていた軍隊が、速やかにその場所に集結した。その場に居合わせた全員が、異様な光彩を放つテンポブロッケンを凝視していた。声を発するものはひとりもいなかった。
テンポブロッケンは急速にその姿を変えつつあった。ゆらめく赤色が膨れ上がり、どこか人の影のようなものになった。発する光は禍々しく、見るものの心を不安にさせた。そして突然、その色が変わった。意志を持った形の広がりが、目映く輝く高貴な白色に塗り替えられ、ローブを纏った巨大な人の姿に収斂したのだ。
「我は〈神(ツィエーロ)〉だ!」
両腕を大きく前に突き出すと、それは宣言した。その言葉は耳にではなく、聞くものすべての心の中に直接響き渡った。ずっしりと重量感のある声だった。
「なんだって(ホワット)?」
「なんだって(ケ)?」
「なんだって(ヴィー)?」
各国の時間風学者が母国語で叫んだ。
その姿と声に敬虔さを呼び覚まされ、地に跪くものは、もちろん彼らの中にはひとりもいなかった。だが、心の内側を抉るその強烈な声の印象には全員がぞっとした。
「我が子らよ、我に従うがよい」
そのとき、ひとりの兵士が〈時間三量子共鳴に振動数を合わせた〉レーザー兵器で〈神〉を狙った。だがその瞬間、彼は焼かれ、一塊のまっ黒な炭になった。ぷすぷすという小さな音と、蛋白質が焼ける悪臭だけが残った。
その一瞬の出来事に関する〈神〉からのコメントはなかった。そうするまでもないと判断されたのだろう。実際、その〈天罰〉のあと、普通人からの無謀な攻撃は仕掛けられなかった。
次の〈神〉の怒りは、その場に居合わせた超能力者たちに向けられた。その全員が弾き跳ばされたのだ。あるものは先の兵士同様、炭にまで焼かれ、あるものは宙に持ち上げられ、加速をつけて地面に叩きつけられた。骨をぐしゃぐしゃに曲げられ、内臓をつぶされた。
〈神〉の哄笑が全員の心の内奥に響き渡った。
さらに奇妙なことが同時進行して起こっていた。助けを呼ぼうにも無線が使えず、それどころか、機械という機械が制御不能に陥っていたのだ。そのときの彼らには気づきようもなかったが、実際、その異変は世界規模で広がっていた。
無駄ナ努力ハ止メタマエ。無駄ナ努力ハ止メタマエ。無駄ナ努力ハ止メタマエ。無駄ナ努力ハ……
計算機室のプリンターが――不気味なほど静かに――その宣告(センテンス)だけを印字していた。顔をまっ青にしたオペレーターが計算機にアクセスを続けたが、印字は止む気配を見せなかった。
(ぶらっく・はむ!)
と、表の惨状に目を覆いながら、沢村が思念波を放った。
(ぶらっく・はむ! ドコニイル? イマ何ガ起コッテイルンダ!)
だが、ブラック・ハムからの返信はなかった。思念波が拒絶されたのだ。石のように硬い邪悪な精神の壁に弾き飛ばされて……
(ぶらっく・はむ! クソッ……)
すると次の瞬間、強烈な思念波が沢村を襲った。全身に電撃が走った。
「無駄だよ、彼はいま私たちの一部となった」
沢村に向き直ると、西田承子に憑依したそれがいった。
「君との友情から、彼は危うく道を踏み外すところだった。だが、もう大丈夫だ」
それは読経のような声だった。数十、数百、数千の精神が、渾然と入り混じっているという印象。
(私たちが誰かを知りたいかね)
(貴様は誰だ!)
答えが、沢村のその質問に〈先行〉した。
(心を読んでいるのか?)
(その表現は近い。だが、まったく外れているともいえる)
(おれは貴様たちと禅問答をする気はない)
(君がその二つの能力――自意識機械感能力と精神感能力――を利用して、私たちの伝道師になるというなら、教えてやってもよい。さもなくば……)
(そうか、おまえたちは……)
(……死だ!)
西田承子が鋭い叫びをあげると、沢村を睨めつけた。その手が、架空の沢村の首を絞める仕種をした。〈神〉の哄笑が、沢村の右脳に突き刺さった。
日本を遠く離れたここリチア砂漠で、恋人の承子は悪鬼に憑かれ、いまにもおれに襲いかからんと殺人衝動に眼を赤く燃やしている。窓の外では、巨大なテンポブロッケンとして時間球の中に現れた〈神(ツィエーロ)〉が、すでに何人もの技師や物理学者――新東西陣営エリートの、多くは超能力(サイ・タレント)を備えた時間風の調査隊員たち――を血祭にあげていた。〈神〉の嘲笑は、どす黒い塊となって、おれの右脳の中でますますうねり、脹らんでいく。くそっ、おれの機械感応力(サイ・マシーノ)はどうなちまったんだ! 怖れていた能力の枯渇が、よりにもよってこの瞬間に訪れたのか? だが、おれの唯一の親友、思考機械であるブラック・ハムからの返信はない。このまま死ぬのか? ようやく真の意味で心を開いてくれた承子に首を絞められ、〈兄貴のいる〉極楽浄土に向かわねばならないのか?
沢村の意識が拘泥(こうでい)した。だが、まだだ! まだおれはくたばる気はない。最後の気力を振り絞って、沢村はそう思った。そして己の能力を、今度は恋人、承子に向けて全解放した。
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