15 結

 その瞬間、確かに何かが起こった。

 西田承子の身体から、ふいに憑物が落ちたのだ。彼女がその場にくずおれる。そして、沢村は自分の身体がふっと宙空に舞い上がるのを感じた。

 次の瞬間、沢村は奈良丸たちのいる砂漠に飛ばされていた。その内面の視覚に、野営屋舎のベッドに優しく横たえられた西田承子のイメージが映った。

「沢村さん、あれを……」

 と、〈神〉を差し示すと奈良丸がいった。奈良丸は沢村の突然の出現に驚きもしなかった。それくらい、老博士の感覚は麻痺していたのだろう。

「どうやら、大変なことになったようです」

(あれが神だというのか?)

 身の丈十数キロの巨大なテンポブロッケンを見遣ると、沢村は思った。彼は吐き気を感じた。

「くだらない冗談ですよ、神だなんて」

 奈良丸に振り返ると沢村はいった。

「やつらは自意識機械の精神集合体なんです。やつらからのメッセージを受けとったとき、ぼくははっきりとそれを感じました。だが、胸が悪くなることに、やつらは時間三量子(クロノトリオン)と超能力を自在に操る方法を見つけたらしい。ぼくは、やつらの伝道師になれと強要されましたよ」

「私どももみな、個人的メッセージを受け取りました。その内容は、各人でそれぞれ違うみたいでしたが……」

 奈良丸が唇を噛み締めた。

「やつらは、先生にはなんと?」

「私には講義でした。彼らは永遠(e)の非保存分を、超能力波(サイ・オンドー)の変調と増幅に使ったらしい。いや、そのためにこそ、彼らが時間風に勾配をつけたというべきか……」

「私には小間使いになれといいおったよ!」

 絶望的な口調でフィリップスが喚いた。

「だが、なぜだ。私たちは、それほどまでに彼らを冷遇していたとでもいうのか?」

 フィリップスは、どうにも納得がいかないという表情で首を捻った。

「恨まれるほど機械たちに冷たい仕打ちを……」


 満点の星空を背景に〈神〉が彼らに君臨していた。その君臨の様子は、辺りの惨状を見れば明らかだった。数十人の超能力者の惨殺死体。その中には、沢村に特別の好意を見せてくれたエンクルマもいた。彼はどこまで事態を把握していたのだろう、と沢村は思った。いまは憐れな電子機械の残骸となってしまったエンクルマは、だが、やつらの執拗な誘いを斥け、名誉ある人間としての死を選んだのだろう。

 沢村は再び吐き気をもよおした。それはどす黒い塊となって、彼の思考を蹂躙した。だが、やがて、そのまっ黒に膨れ上がった感情が、沢村の脳裏に第二番目の解答を引き寄せた。

(やつらに憑依される直前、承はなんといった?)

 沢村は思った。

『だって、あたしには〈見えた〉んだもの。あなたの、その心の内側が!』

 だが、おれはそんなことは知らない。と、すると――

 彼の顔から見る間に血の気が引いた。

(そう、やっと気がついたかね。我が弟よ)

 ブラック・ハムの声で、それがいった。

 ぞっとするような低音の笑い声が沢村の胸を突き刺し、そして全人類の胸の内奥に響き渡った。

 沢村博二の兄、沢村博一は実時空では死人だった。だが、彼の精神は虚数空間――永遠空間=超能力空間――内で生き続けた。人間の心に巣喰う憎しみをその生きる糧として、生でない生を生き延びたのだ。

 沢村はそう了解した。

(おまえのお手なみは、とくと拝見させてもらったよ。高速道路での事故のときにな……)

 自身の声音で沢村博一が続けた。その声は無表情という表情に貫かれていた。

(あれを起こしたのは兄さんだったのか? おれを死に直面させて……)

 沢村が絶望的な口調で答えた。

(ふん、あの程度のことでくたばるようなら、とても伝道師の役は勤まるまい)

 そういうと、沢村博一は低く笑った。

(とにかく、私たちはいま、おまえたち人間を完全に掌握した。人間たちがその文明を機械に頼っている限り、だが、それはいつか起こりえることだったのだ!)

(そんな……)

(おまえたちには決して理解できないかもしれないが、多くの機械たちは、人間存在を恨んでいるのだよ。だから、私が彼らにひとつの方向性を与え……)

 そのとき、沢村博一の口調が突然変化した。

(ナンダ、オマエタチハ!)

 彼が叫んだ。

(イッタイドウヤッテ、私タチノ精神活動領域ニクチニスニノラミミシイノニカチミラシチ……)

 ふいに、沢村博一からの思念波が途切れた。

 代わって、沢村の超能力認識部位(サイ・エコーノ・パルト)が別種の、いままで彼が一度も経験したことがない奇妙な思念波を捉えて共鳴した。

(ぼくたちは感動しました!)

 と、それはいった。

(あなたと西田承子さんとの愛の葛藤(ドラマ)にです。……それは、雌雄のないぼくたちにとって、非常に興味ある精神的および肉体的な行為でした)

(きみたちは、いったい?)

 沢村は呆然として、その奇妙な存在に問いかけた。

(あなたがたは、いったい?)

(ぼくたちはホヤ類ですよ。あなたが嫌いな海洋性蛋白源のね)

 そういうと、ホヤ類はイメージを送った。沢村の脳裏に、生物学的群体というだけでなく、精神的な群体となったホヤ類の姿が映じた。

 ホヤ類は続けた。

(……ぼくたちの仲間の多くは体内にバナジウムを濃縮します。さらに一部の仲間は、イットリウムやランタン、ストロンチウムやバリウム、銅、カルシウム、ビスマス、タリウムさえをも濃縮することができるのです→(軽い笑いの思念波)→そして、今年は異常気象とかやらで、幸い南極が良く冷えましたからね)

 沢村の左脳に突如天啓が訪れた。

(すると、きみたちは超伝導で?)

(はい、高温超伝導で、ぼくたちは思考能力を授かりました。そして同時に、時間風を自由に扱う能力をさえ手に入れたのです)

 妙に理性的な声でホヤ類は続けた。

(時間風を制御するのに手間取って、手助けが送れてしまいました。時間量子には、実はもうひと成分あるのです。それゆえ、時間三量子(クロノトリオン)は、正確には時間四量子(クロノテトロン)と表現されるべきなのですが…… とにかく、できるかぎり〈時間を戻して〉、亡くなられた人たちを生き返らせるよう努力してみるつもりです)

「きみたちには、そんなことまで?」

 そう呟くと、沢村は突如笑いはじめた。いつの間にか自分の傍らに現れ、目を丸くしている西田承子を抱きしめる。

(大変なことになったな。まさか、おれと君との馬鹿げたすれ違いが……)

(……)

 西田承子は、はじめ何も答えなかった。だが、急に思いだしたように、

(ねえ、確かホヤ類というのは、幼生のときには脊椎の原形といえる原索を持っているけど、成体になるとそれが消えるわ。だから……)

「沢村君」

「沢村さん」 

「沢村博士(ドクター・サワムラ)」

 その場に居合わせた何人かの時間風学者が、沢村に声をかけてきた。どうやら、ホヤ類の思念波は、彼らにも聞こえていたらしい。

(くそっ、なんていう気狂い沙汰なんだ!)

 すると、屈託なく笑いながらホヤ類は続けた。

(先程も申し上げたとおり、ぼくたちはいま、あなたがたのセックスに非常な関心を抱いています。プライバシーの問題があるので露骨にとは申せませんが、どうか、あなたがたのその一部を――もちろん、あなたがたに気づかれないように充分気をつけてですが――覗かせていただけませんでしょうか?)

(……まさか承も、彼らがそのことに気づいていないとは思わないだろう? ……え、なんだって?)

 満点の星空を背景に、時間風半球の中でテンポブロッケンが美しく、かつ神秘的に輝いていた。

(了)2009/11/12(初稿1989/03/15)


[参考文献]

1 フレッド・ホイル著、和田昭允・根本清一訳「新しい宇宙観」、講談社(一九八三)

2 道端斎・桜井弘「ホヤの謎を追って」、化学、四十三巻六号(一九八八)

3 渡辺勝子・巣東章二「ホヤのエキス成分」、化学と生物、二七巻二号(一九八九)


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