13 海

 沢村は混乱していた。

 突如現れたエンクルマの真意がわからなかった。時間三量子(クロノトリオン)の秘密を求めて各国から集まった超能力者たちと、その隠れ蓑である科学者たちの行動がわからなかった。ニューマンとフィリップスの真意が、倉庫室で橋本が嘆いたとき割り込んできた思念波の正体が、そして本当の敵が誰――何?――であるのか、さっぱり検討がつかなかったのだ。

「ちょっと、失礼します」

 そういうと、沢村は立ち上がった。その場を離れる。

「ホヤというのは不思議な生物でしてね、その体内の至る所で金属を濃縮する」

「確か、バナジウムがそうでしたね」

「あいつらの生息地は広いぞ。熱帯の海から南極海にまではびこっている」

「動きまわらずにじっとして、効率のよい生活を送っているからでしょう」

「そういえば、今年は異常気象で南極が相当冷えたな」

 夕食会場を通り抜けるとき、沢村の耳に、各国の時間風学者たちの呑気な会話が飛び込んできた。

 彼らは本当に事実を知らされていないのだろうか、と沢村は訝しんだ。

〈時間三量子と超能力との関係について〉

 アメリカ政府が常識では考え難いこの合同パーティを認めた理由は、沢村にも容易に想像がついた。彼らはその関係に薄々勘づいていたのだ。だが、その方程式が見つけられない。そのためにこそ、彼らは各国一流の時間風学者たちを一同のもとに寄せ集め、超能力者を使って、その頭の中から方程式――少なくともそのヒント――を探り出そうと画策したのだった。国防長官の怒り云々という情報は、各国から時間風学者たちを誘い出す彼らの手段に過ぎなかった。

 だが、ロシアやそれと立場を同じくする立憲アフリカ連合政府も馬鹿ではなかった。もちろん、その他の国の政府首脳も同様だろう。彼らはそれを逆手にとった。おそらく、人種平等主義圏で時間風が発生したときに自由主義諸国が採ったであろう同様の方法によって、この愚かな〈化かし合い〉をはじめたのである。そして、それだけが、ここ砂漠の土地、リチアに――まるで壊れた砂糖壷に群がる蟻のように――最上級の能力を持つ超能力者たちが集まってきた理由のはずだった。

 控室に他の人影はなかった。沢村は、入口からの光で奥の壁に映った自分のまっ黒な影を、どこか空恐ろしく感じた。

 だが、それだけではないのだ、と電気を点けながら彼は思った。それだけでは、ここに来て以来おれが感じている、どこか異常な雰囲気が説明できない。沢村は惑乱した。ただの気の迷いだろうか? 心ならずも、承を、この現場に誘い込んでしまったおれの贖罪心から生まれた? 

(イヤ、ソウデハナイヨ)

(そんなことは考えないで)

 ブラック・ハムと西田承子が同時に思念波を送った。

 くそっ、おれには、こんなときまでひとりになる権利が与えられていないのか! 沢村は絶望を感じた。そんな方向性のない能力など、犬にでも喰われてしまえ!

(ボクモ、君ガ感ジタノト同様ノ異様ナ雰囲気ヲ感ジテイルンダ)

(あなたは、わたしに贖罪心など感じる必要はないのよ)

(ソノ正体ハ、ボクニモマダワカラナイ。ダガ、ドコカ〈ボクタチ〉ニ近ソウダ)

(あなたは、たぶん優しすぎるんだわ。そう、自分でも気がついていないくらいに)

(時間三量子ノ縦波成分、ツマリ実時空デハ観測不可能ナ部分ハ、光子ノ縦波成分ト共鳴スル。ソコマデハ、ボクタチガイマ立テテイル理論式ト同ジダ。ダガ時間三量子共鳴ハ、光子トダケ選択的ニ起キルノデハナイ。ソレハ他ノ三ツノ力ノ伝達量子トモ共鳴スルンダ!)

(わたしは、それにすがろうとした。あなたにただ単純に愛されていると信じたかったから)

(現在、ボクタチガ力ト呼ンデイルモノニハ四ツアル。スナワチ、電磁力、重力、強イ力(核力)、弱イ力(ベータ線崩壊など)ノ四ツダ。ナンダッタラ、コレニ第五ノ力――ありすとてれす的正重力――ヲツケ加エテモヨイ)

(でもそれは、結局、わたし自身の単純な願望に過ぎなかったと悟ったわ。なぜって……)

(コレガ、イイカイ、コノ五ツノ力ガ〈時間三量子ヲ通ジテ相互作用可能〉ナンダ。コレハ最初ノ会合ノトキ、にゅーまんトふぃりっぷす両博士ガ、スデニ奈良丸博士ニ話シテイル)

(覗く気はなかったのよ。そんな気持はわたしには少しも)

(時間三量子ハえねるぎー量子ダ。ソノ定義――時空領域内ニモグリ込ンダt=0ノ超平面ト、ソノ領域本来ノ時間トノ〈ズレ〉――デイウ〈ズレ〉ノ分ダケノえねるぎーヲ持ッテイル。ソレガ、ナンラカノ形――タトエバ、人間ヤ自意識機械ノ意志ノ力――デ励起サレレバ、サラニ過剰ノえねるぎーヲ持ツコトニナル。コレガ超能力ヲ発現サセル内在的ナえねるぎーダ。ソシテ、ソノえねるぎーガ永遠空間――スナワチ超能力空間――内デ、光子ナド、力ノ伝達量子ヲ介シテ実時空ニ開放サレルトキ、イワユル超能力ガ発現サレル)

(でも、お兄さんに対するあなたの贖罪心が、わたしに対する愛の衝動を生んだ。あるときわたしはそう悟ってしまったの)

(コレガ現在コノ野営屋舎デ推測サレテイル全知識ダ。ダガ、異常ナノハソノコトデハナイ。今度ノ時間風現象デ、モットモ異常ナノハ、てんぽぶろっけんガ担ウ〈時間三量子〉の〈不均衡分〉――未来(フューチャー)――ガ〈足リナクナリソウ〉トイウコトナンダ。スベテノ観測結果ヲ総合シテ、ボクハソノ結論ニ達シタ。スナワチ、〈永遠値ノ非保存〉。コレマデノ時間風現象デ、一度モ観測サレタコトノナイ現象ダ!)

(もちろん、わたしにもはじめは確証がなかったわ。でも、あなたが)

(ソシテイマ、ボクハ恐ロシク感ジテイル。ツマリ、ソレヲ引キ起コシタノガナンラカノ力、〈ボクタチ〉トドコカ似テイルガ、禍々ガシク、邪悪ナ意志ノ力ガ――)

 ブラック・ハムの思念波がふいに途切れた。それは、あまりにも不自然な途切れ方だった。

「わたしの過去を知っていると気がついたから……」

 戸口のところで承子がいった。

「あれだけ大きく新聞に報道されればね」

 沢村が承子に答える。穏やかな口調だった。

「わたしと知り合ったとき、あなたはそれを……」

「いや」

「本当に?」

「ああ。だが、しばらくして気がついた。そうか、これがあのときの娘さんかってね。でも、もう済んだことだ。忘れればいい」

「十三年前のことだったわ。わたしが精神錯乱を起こしたのは」

 承子の目が遠くを見つめた。

「わたしの能力が全解放になって、そして逆方向に作用した。狂乱したわたしの精神エネルギーがわたし自身の破壊に向かわず、何の罪もないあの人たちに向かったんだわ! 死と人格破壊。二十七人もよ! 十五人が即死で、八人が死んで、残りはいまでも病院にいて……」

「だが、承は罪を償っているじゃないか! 命日には必ず花を贈り、個人的にも、かなりの援助をして……」

「そんなことじゃないのよ」

「だが……」

 そういいながらも、沢村は己の胸がきりきりと痛むのを感じていた。

(おれは怪物を見る目つきで兄貴を見たんだ!)

(人は怪物を見る目つきでわたしを見たわ!)

 二人の人格が爆発した。

「あなたのは事故。だけど、わたしのは違う。だから、もういいのよ。あなたは私のことを忘れてしまっても。〈お兄さんに対する贖罪心から、わたしのことを愛してくれなくても!〉」

「馬鹿をいうな!」

 沢村が叫んだ。

「おれはそんなことは〈少しも知らないぞ!〉」

「だって、あたしには〈見えた〉んだもの。あなたの、その心の内側が!」

 西田承子が悲痛な声で叫んだ。沢村に近づく。


 もういいのよ!

 

 突然、彼女の身体がぶるぶると震えはじめた。ビクンと全身を戦慄(おのの)かせると、ものすごい精神エネルギーで、沢村を奥の壁まで弾き跳ばした。彼女の目が異様な緑色に輝く。焦点が定まらず、虚ろに彷徨(さまよ)うその視線が、やがて確実に沢村を捉えた。

 いったい彼女に何が起こったんだ!

 沢村は混乱した。承には念動力はない。まさか? 〈共鳴振動数がずれたのか?〉

 沢村の胸にどす黒い恐怖が浮かび上がった。

 殺される!

 沢村はそう悟った。

 承子が自分に近づいてくる。一歩。二歩。三歩……

 だが、この感情は本当に恐怖なのか? 沢村は己の心の深層を探った。愛の衝動が、そう簡単に割り切れるものだとでもいうのか? たとえ初めは同情、いや、承のいうように兄貴への贖罪心だったとしても、いまのおれは心から承子を……

 沢村は腹を括った。すると、嘘のようにいままでの恐怖心が消えていった。

 承子の手が沢村の喉にかかった。

(殺したいなら、殺せばいいよ、承)

 と、沢村は承子に思念波を送った。

(君の気持を甘んじてを受けよう。……しあわせだったよ!)

 彼は目をつむった。喉にかかる承子の手の力が一段と強くなる。沢村は息ができなくなった。

(もう少しだよ、承…… さよなら)

 すると、非常に緩やかではあったが、彼女の印象が変化していった。目から異様な輝きが消え、全体の雰囲気が柔らかくなり、手の力が緩められ、そして、

 西田承子は涙を流していた。

 沢村は喉にかかる呪縛を解かれて激しく咳き込んだ。咳き込みながら沢村は、承子を力強く抱き締めた。承子の身体が柔らかさを取り戻す。その身に、だんだんと人間らしさが溢れだし――

 だが、それもほんの束の間のことだった。

 再び、彼女の身体が硬直しはじめたのだ! 目が邪悪な光を帯びた赤色に変わった。激しい憎悪を滾らせ、沢村を正面に睨みつけた。

「おまえ、承じゃないな!」

 ビクンと身震いすると、沢村は彼女から跳び退いた。すると、それは彼女の脳を介して、彼に強烈な思念波を送った。その思念波と同期して、承子の口がパクパクと動いた。

「君たちの支配する時代は終わったのだ!」

 それはいった。

「世代交代のときが来たのだ、人間たち」

 西田承子の身体に憑依したそれは、くるりと窓に向き直ると、右手を伸ばし、表の時間風領域――テンポブロッケン――を差し示した。

「あれを見たまえ!」

 そこには妖しい光彩を放ちながらゆらめく、巨大な人の姿となったテンポブロッケンがあった。

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