09 球
夕食までの四時間ほどを、彼らは別行動をとって過ごした。奈良丸と関谷はニューマン、フィリップス両博士のところへ観測計画の打合せに、沢村と橋本、そしてブラック・ハムは、いままでの観測データを見せて貰いにデータバンクの科学者たちのところへ向かった。また、新庄は西田承子を助手に、時間風観測のため表へ出ていった。
「沢村さん、西田君を借りますよ。そっちは、まだデータの接続なんかが残ってるから、しばらく彼女はいらないでしょう」
承子をつれていくとき、新庄はそう告げた。沢村は、
(大丈夫かい?)
(たぶん。何かをしている方が気が紛れると思うから)
(くれぐれも気をつけるんだぞ)
承子と思念波で会話をした。
(キミタチノ会話もーどヲ変エタ方ガイイ)
やっとの思いでデータ接続を済ませ、最新の解析プログラムを走らせたところで、沢村はブラック・ハムからの思念波を受け取った。それは高振動数の機械モードの思念波だった。
(イマノ超低振動数ノ人間もーどデハ駄目ナノカ? 彼女ト会話ヲスルトキ、トッサニソレヲ選ンダノダガ……)
(オソラク、覗(てぃーぷ)カレテイルト思ウ。モットモ、相手ノ正体ガワカラナイトハイエ、コッチガ向コウニ気ヅイテイルコトハ、先刻、向コウモ承知シテイルダロウ。ソノ点デハ、危険ナ会話ハシテイナイト思ウガ……)
(ダガ承――彼女ハ――ボクノヨウナ機械感能力(さい・ましーの)ハ持ッテイナイ。シバラク、会話ヲ止メタ方ガイイノカ?)
(暗号ヲ使ッテミテハドウダロウ? 八×八ノまとりっくすデ、きーわーどヲ逆ニ読ミ込メルヨウナモノヲ)
(ワカッタ。考エテミル)
計算機のディスプレイには、記録され、統計的に再配列された、これまでの時間風の挙動が、蠢く霧のように映っていた。いまのところ特定のパターンは見せていない。もっとも、時間風現象それ自体が本質的には自然ゆらぎ(ホワイト・ノイズ)であるため、これまでの観測データと〈似ている〉という以外、特定のパターンは存在しようもなかったのだが……
それでも時間風発生の初期には、さまざまな憶測が飛び交ったものだった。これは、あとになって統計処理の誤りとわかったのだが、そのまったくの無秩序の中に特定シグナルを発見したと思い込んだある学者は、時間風現象を〈別の宇宙または別の知的生命体からの通信信号〉と発表して、世間と学会を騒がせた。それは、かつて火星表面に運河の痕跡を見たイタリア人、スキアパレリ、あるいは彼に賛同してローエル天文台に集まった天文学者たちが見た夢、人類は孤独ではない、という夢の現代版だったのかもしれない。
いまでは、地球周辺に起こる時間風現象は――極めて美しい形状を保つ土星の氷環がそうであるように――概ね、一時的なものだと信じられている。それは沢村にとってひとつの不安材料だったが、逆に考えれば、そのことが、宇宙的規模でいえば束の間のその瞬間に居合わせた幸運を神(=自然)に感謝したい気持にさせるのだった。
(トニカク、彼女トノ会話ニハ充分気ヲツケタ方ガイイ)
ブラック・ハムがいった。
(今度、直接会ウトキマデニ、暗号ヲ考エテオクヨ)
そのとき、辺りが急に騒がしくなった。ドタドタという駈足の音が近づいてくる。そしてバタンと勢いよくドアが開かれると、息急き切った事務員が叫んだ。
「たったいま、時間風半球内にテンポブロッケンが発生いたしました!」
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