10 渉

 その十数分前、新庄と西田承子は時間風測定装置の設営をしていた。それは、彼の装置のご当地でのデモンストレーションも兼ねていた。チェコ人、イタリア人、ロシア人、デンマーク人など、時間風観測のためにここ――アリゾナ州リチア地区――に集まった数多くの実験科学者たちが、新庄たちを遠巻きに眺めていた。

「ああ、そこそこ、……と、ちょい上かな。あの北側の青いキラキラを狙ってみよう」

 新庄がいった。

「はい、先生のお言葉のままに」

 西田承子が楽しそうに新庄に従う。

 炎天下の砂漠に据えつけられた新庄の装置――レーザー干渉器――は、さながら付属品の山で膨れ上がったバズーカ砲のように見えた。全体の印象を支配する全長二メートル強の円筒の内側で、充分に強力な可干渉性(コヒーレント)の光線が作られ、それが対象物に照射される。その照射を助けるのが、高電圧を供給する電源などの干渉器付属品――ちょっと見にはガラクタ――だった。

 装置は時間三量子(クロノトリオン)と照射光子との虚数空間内での共鳴を観測原理としていた。

 だが、その装置の優良性は、どうやら外観の洗練性を犠牲にして得られたもののようだった。実際、その姿の滑稽さから、時間風を測定する新庄を、風車に向かうドン・キホーテに喩えるものもいたほどだ。才能を買われて、はるばるパデュー大学まで行ったものの、そのなりふりかまわぬ研究態度が禍してか、彼の研究室は学生に恵まれなかった。今回の観測行に新庄がひとりで参加したのも、それが原因だった。だが、もちろん新庄はそんなことは気にもしていない。

「照準、オーケイ」

 新庄が叫んだ。

「西田君、君は波形を見ていてくれ。よーし、測定開始!」

 彼がパチンとレーザー干渉器のスイッチを入れると――もちろん目には見えないが――またたく間に円筒の先端部からおびただしい量のレーザー光が照射され、そして一瞬のうちに、位相と成分を変えられて発射場所まで戻ってきた。一回の測定はこれで終わりだった。だが、それでは照射前の光と照射後の光との干渉があまりにも弱く、また統計的な広がりを持つ時間三量子の一点しか見たことにならないので、通常、測定時間との兼ね合いから、それを数百万回繰り返してデータを積算し、〈一回の測定〉と見なしていた。もちろんこれは、反射光の強度が入射光のそれに比べて極端に少ないことによる。すなわち、時間三量子に擬似的に共鳴吸収されたあと、それから再放射される光子の方向は、その時間三量子が止まっている方向から見て等方的だったからである。このように、時間三量子は光子に対して――陽子や中性子のように――振る舞う性質を持っている。これが、時間三量子の核子描像(陽子や中性子と同じイメージで時間三量子を考えること)だった。

 その場で実測される時間三量子のスペクトルは、だが、多くの角度分布を持つ干渉スペクトルのごった煮だった。そのため、そのスペクトル分布からただちに時間風の性質を決定することはできない。もっとも、新庄のように経験を積んだ実験科学者ならば、ある程度の目安をつけることはできたのだが…… それゆえ、その詳細を知るためには、どうしても計算機による解析が必要だった。そして、その解析の基盤となる有力な理論式の研究を担当していたのが、沢村やブラック・ハム、奈良丸、橋本、そしてニューマンら、理論物理学者たちだったのである(なお、その共鳴が起こるのは、最新の理論によると仮想的な虚数空間である永遠空間(エタニティ・スペース)内で、観測に用いられる光子の観測不可能部分――式の上で虚数で記述される部分――と時間三量子の観測不可能部分が相互作用するため、と考えられている)。

「ふーん、この様子だと」

 と、チャート紙に打ち出された波形を見るなり、新庄はいった。

「……数分後にテンポブロッケンが来るな!」

 果たして数分後、時間風半球内に巨大なテンポブロッケンが出現した。

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