08 軍

 次に彼らが案内されたのは、時間風測定機材一式が安置された倉庫室だった。部屋の中には、いままで目にしたよりも多くの各国の時間風学者たちがいた。ざっと見積もっただけでも、アメリカ、フランス、ユーゴスラビア、スウェーデン、ギニアと、混在するさまざまな主義の国の人々が、忙しそうに立ち働いていた。また、この部屋だけは特別の空調が設えられ、適温適湿に調整されていた。約二百坪の急拵えのバラック屋舎の三分の一の面積を占めるその部屋は、計算機室も兼用していた。

「ま、機械の方が人間よりデリケートですからな」

 橋本が意見を述べた。新庄は、すぐさま測定に取りかかろうと、自分より先に到着していた可愛いい装置たちの調整をはじめた。波形分析器と、マルチチャンネル分析器。出力用の高速シリアル・プリンターと、チャート・プリンター。距離(時間)計測用のレーザー干渉器などがその装置だった。それらは決して雑然とではなく、整然とあるべき位置に配列されて置かれていた。

 文部科学省の役人二人、そしてトニーとダグ両博士は、いつの間にかいなくなっていた。

「最近は軍にも、こういった教育が行き届いているんですねぇ」

 新庄が感心して呟いた。

「それだけは感謝しなくちゃいけないかもしれないな。少なくとも、うちの学生の上はいってますよ」

「この手の任務につけるには、相当厳選してるって話ですよ」

 関谷が応じた。

「実際、機械は高いし、ぼくたち学者は、軍人には口うるさいですからね」

「心理学の成果かね」

 と、いくぶん皮肉な調子で橋本がつけ加えた。

「円卓にどっかりと居座った軍人連中が計算機をつついて、『ふむふむ、ここでわれわれがこう振る舞えば、事態Aでは対象集団αは、これこれこういうふうに行動すると予想される。その効果を増大するためには、うーむ、この辺りで装置の整備という特典をつけ加えておくかな。なあに、部下の兵士に、わずかばかりの特別手当てを当てがってやればよいだけのことだ』とかなんとかいって、いいように操られているかと思うと、ぞっとしますがね」

 そういうと橋本は肩を竦めて、

「もっとも、われわれ物理学者は、もしかするとそれと同様のことを、これまでずっと物質に対して行ってきたのかもしれませんがね」

 諦めたようにそうつけ加えた。

「ぼくは大学で高エネルギー物理学の講義も受け持っているんですが、年に二、三人はこう質問してくる学生がいるんですよ。『ねえ先生、そりゃあ実験で確認されているんだから、多種多様の素粒子とか、単独では検出できないにせよクォークとかリッション(根源的素粒子の名称。種類は二種で、混沌というヘブライ語の頭文字をとって、それぞれT、Vと呼ばれる)が存在するんだってことはわかりますよ。でもです、先生、こういうふうには考えられないんでしょうか? もともとは自然界に存在しないものを、わざわざぼくたちが作り出しているのだって。……つまり、高エネルギーの電子やら陽子やらのビームを当てることによって、元々は存在していなかった素粒子を作り出して、ご丁寧にも、それを観測している……というふうにです』揃いも揃って、口調までそっくりに、そういってくるんですよ。しかも、彼らは決してぼくの下手な授業に対する反逆精神からそういってくるのではなく、自分で本当に悩んだあとに、わざわざぼくの研究室にまでやってきて、質問をするんです」

「意識のギャプかも知れませんな」

 と、奈良丸が穏やかな調子で口を挾んだ。

「つまり、その土壌となった理論がビッグバン宇宙開闢論華やかりし頃の遺物で、現在のように、概ね改訂版定常宇宙論が信奉されている世の中では、精神的というか、思想的基盤がどこか抜け落ちて感ぜられる、ということではないのですかな」

「ええ、確かに奈良丸先生の仰有られることはわかるんです。ですが……」

 と、歯切れ悪く橋本が応じた。

「ビッグバン宇宙論では、爆発が起こった初めの数分間、確かにそれらの粒子が〈あった〉と考えられるでしょう。そこが問題なんです。実際、時間風が発見・確認されて、デルフの改訂版定常宇宙論がしぶしぶながらも承認されてからこの方、本質的には、先の学生の問いに答えられなくなってしまったわけですからね」

「科学は〈何故?〉には答えてくれない、ということですね」

 西田承子が口を挾んだ。

「つまり、それは、いつだって科学者についてまわる問題ですから」

「その通りなんです」

 橋本が承子に同意した。

「二つの意識のせめぎ合い。……実はね、西田さん、関谷君から映話を受けて、あなたと沢村さんが超能力者だと知らされたとき、ぼくは不思議な気がしたんですよ。あなたがた超能力者が世間の戯言ではなく、本当に実在するとわかったのが、ちょうど時間風発生の時期と重なったでしょう。二十七年前まで、あなたがたはいなかった。ところがいまは――どうか気を悪くしないでいただきたいが――存在それ自体がその存在の目的であるところの国家に、どちらかといえば、利益優先で保護(管理?)されている。目的はズバリ、その能力発生機構の解明です。それに関して、別の例を引いてもいい。タキオン粒子が右脳と左脳が会話する際に発生するコミュニケイト電流と相互作用して予知能力を生むという、ひと昔前までは一笑に伏されていた理論が、現在では、だんだんと信憑性を増してきています。あるいは、このあいだ開かれた生物学会では、ある種の音楽を聞いたとき、人間が心地良く感じる機構がほぼ解明されたと報告されました。心理学会の話じゃないんです。生物学会でそれが行われたんですよ。そして、それらはみな〈何故?〉ではない。全部〈いかにして?〉なんです」

 そこまでを一気にまくし立てると、橋本は不意に口を禁んだ。まるで、言葉と意識を繋ぐ糸が、急にプツンと切れたかのようだった。

(思考をはじめると脳に穴があいていく)

 奈良丸は橋本の話を受けて、そんなカミュの言葉を思いだしていた。

(理解が深まるほど、わからないことが多くなる)

 関谷が思った。

(理論の体系化が、その形骸化を助長する……)

(本質的に、人間には理解不能の秩序があるのだ)

(理論の黎明期とは、つまり混乱期のことなんだな)

(よし、いいぞ、光軸はほとんどずれていない)

 新庄は話を聞いていなかった。

 ふうん、みんな、本質的には同じことを考えてるのね。薄ぼんやりとした彼らの思考を捉えると、西田承子は思った。そして事態を悟って、ぎょっとした。

 えっ、ひとり多くない?

「たぶん、いまは混沌期なんです」

 と、沢村がいった。そして同時に、

(承、いまのを感じたか?)

 承子に思念波を送った。

「それとも、黎明期と言い直した方がいいんでしょうか? まったく新しい世界秩序の黎明期です。いままでに何度もそれはありましたし、夜が必ず明けるように、時代も必ず新しい秩序を受け入れるときが来るのでしょう。……少なくとも、ぼくはそう信じたいですね」

(ここに来て以来、ぼくはこの近辺に漂っている精神波を探っていたんだ。ここは超能力者で一杯だよ! まず、ぼくたちを案内した兵士のひとりが超能力者だった。それも、特Aの、かなり強い能力を持っていた)

「そしてその現れた秩序は、やがてまったく新しい混沌に進むんでしょうなぁ」

 感慨深げに橋本が呟いた。

「数式だけがその羅針盤となる」

(気をつけた方がいい。もしかすると、ぼくたちは大変な危険の中にいるのかもしれない)

「ところで沢村さん、ぼくはそんな質問をしてきた学生たちに、最後にはこういって逃げを打っているんですよ」

(恐いわ!)

(大丈夫。承の能力は、ある面ではぼくよりずっと強い)

(わからないの? それが恐いのよ!)

「きみたちは大事なことを忘れてはいないかね。地球に降り注ぐ宇宙線は、毎日それをやっているんだよ、とね」

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