05 砂

 リチア! そこは、ひたすら暑い場所だった。夏の太陽はギラギラと輝き、そこを訪れるすべてのものを焼き尽くそうと自然の怒りを滾らせていた。陽炎がたゆとう。熱風が頬を打つ。砂塵が渦を巻く。まさにそうでなければならない自然の姿が、そこには満ち溢れていた。

 日本から派遣された合衆国アリゾナ州リチア地区時間風調査隊(正式名称はさらに長い)の特別チャーター機は、まずアリゾナ州の州都、フェニックスに着陸し、先にそこに来ていたパデュー大学の新庄良介と合流すると、軍用のジェットヘリで現地に向かった。到着したのは――現地時間で――午後三時を少しまわった時刻だった。

「さあて、ようやく本物が見られるな!」

 大きく伸びをすると橋本がいった。窮屈な軍用ヘリコプターのシートに押し込められ、緊張しきった全身の筋肉を解放させると、彼は嬉しそうに微笑んだ。

「噂どおりのものならいいがな……」

 ほかの調査隊隊員たちも、少なくとも軍用機から降りられて、ほっとしているようだった。エコノミーシート症候群には罹患しないですんだわけだ。

「あれだけ大柄な体格に合うようにシートが作られているのに、どうして軍の乗り物だと肩が凝るんでしょうね。不思議だな」

 関谷が疑問を口にし、一同の顔を見まわした。

「もっとも、ぼくたちはまだ、軍の支配下からは脱していないようですがね」

 おそらく命令によってだろう、彼らの案内人である兵士たちは硬く口を閉ざしていた。そして押し黙ったまま、彼ら一行を丘の向こうに設えられたアメリカ調査隊の野営地に案内した。

 日射しはきつかった。陽光は烈火の如く地表に照りつけ、そこいらじゅうに陽炎がたゆたっていた。太陽光そのものが大気で緩和されず、直接照射されているような印象を受ける。彼ら全員は汗だくになった。

「ほう、こりゃ見事だ!」

 ふいに、橋本が歓声をあげた。

 やっとの思いで低い丘を越えると、それまで丘に隠されていた半径六十キロの時間風半球が、一望のもとに見渡せたのだ。可視領域の光スペクトルをすべて反射するかのように、それは淡い七色を放ち、キラキラと輝いていた。

「うーむ、確かに」

 関谷が橋本に同意した。

「これだけ大きなものは初めてだな。ねえ、奈良丸先生?」

 新庄良介も同意し、奈良丸に水を向けた。彼は一時期、奈良丸のもとで助手を努めたことがあったのだ。

 奈良丸が満足そうに新庄に頷く。

「これなら、来た甲斐があったというものです」

「ほとんど歪んでいませんね。きれいな半球状だ」

 沢村が指摘した。

「地下に沈んでいたり、宙空に不安定な状態で浮かんでいるものに比べたら、ずっと観測が楽でしょう」

 だが、彼ら一行の中でもっとも素直に感動を表現したのは西田承子のようだった。彼女は言葉をひと言も発しなかった。その代りに、彼女は目を大きく見開き、ただ呆然と、その七色に輝く巨大な光と色の一大スペクタクルを堪能していた。

「きれいだわ、本当にきれい。まるで、この世のものではないみたい」

 彼女の感動の言葉は、その〈無意識の〉精神波を通して、彼ら全員の心にも伝わった。

 沢村は尻のポケットからオペラグラスを取り出すと、時間風半球を満遍なく見渡した。

 全体的にいうなら、それは覗き込んだ海の水という印象だった。あるいは、混ぜたばかりの砂糖水だろうか? 透明なコップに水を入れ、砂糖を溶かし、ゆっくりとかき混ぜてから、光に透かして見たときの感じに似ていた。さもなければ、ウィスキーの水割りかロックで、水が注ぎ込まれた直後か、氷の表面から溶け出した水が、だんだんとアルコールに馴染んでいく有様によく似ていた。それは時間風領域に現れる時間特有の深さと濃さが生む光と影の控えめな舞踏、砂漠にたゆとう陽炎のように、あたかも時空の一点で自然が舞った控えめな、だが晴れやかな舞踏だった。時間的に光の波が足し合わされたところでは――当然、それは四六時中位置を変えていたが――キラキラと、まるで水玉のように光って見えた。目前で展開される大自然の雄大なドラマに、沢村は神秘的に魅了された。そして、時間風が自分の近くにあるというその事実によって、別の意味でも精神の充実を感じていた。

「実際、きれいなもんですな」

 肩にポンと手を置くと新庄が呟いた。

「あなたとブラック・ハムが発表された理論式も美しいが、実際のこの眺めも実に美しい。両方とも、まさしく、『見て快いものは美である』を実践していますな」

「聖トマス・アクイナスですね」

 沢村は恐縮して答えた。

「でも、ぼくたちの仕事と本物の時間風を同列に並べてよいものですか? ぼくとブラック・ハムの式が美しいとしたら、それは、自然そのものが美しいからに他なりませんよ」

「なるほど、なかなかに哲学者でいらっしゃる」

 新庄が沢村の答えに感心したように言葉を返した。

「で、どうです。その後の式の進展具合は――」

「そろそろ出発したいと思います」

 案内人である兵士のひとりが丁寧な英語で彼らを促した。

(あの人たちは、こんな風景を見ても、なんとも思わないのかしらね?)

 西田承子が首を捻りながら、沢村に思念波を送った。

(さあね、ぼくにもわからないよ)

 沢村も思念波で答えた。

(もう、慣れてしまったのかもしれないな。……でも最初にあれを見たとき彼らが跳び上がって感動したと、ぼくは信じるよ)

 それを聞くと、西田承子はにっこりと微笑んだ。

(ええ、わたしもそう思うわ!)

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