03 擬

 優しい手が彼をゆすった。沢村は目覚めた。

「うなされていたわよ」

 承子がいった。

「あん」

「あたしのせい?」

 沢村は首を振った

「いや、そうじゃない。誰のせいでもないんだ」

 誰のせいでもない……。沢村は、もう一度、その言葉を自分にいいきかせた。

 八月二十一日の朝が来ていた。午前六時少し前。

「出掛けよう」

 軽い朝食を済ますと、沢村は承子にいった。そして、無意識のうちに遮蔽フィールドを張ると思った。

 そうさ、おれの悪夢など、きみのそれに比べれば軽いものさ!

 ロボットタクシーで羽田に向かった。関谷と奈良丸が指定した特別便に乗り込むためだ。その途中、沢村と承子はアクシデントに見舞われた。

「ねえ、このタクシー、スピードが速過ぎないかしら?」

 承子が指摘した。

 車は首都高速にのっていた。都内では、混乱を避けるためにエアカーが禁止されている。他の公共交通機関には飛行バスがあったが、不思議なことに、これは通常路面を走る自動車よりも鈍かった。

「なんだって?」

 承子にいわれて、沢村はシートに深く沈めた身体を起こすと、眼をしばたたいた。運転席のメーターは百五十キロを示している。そして、途切れることなく上がっていく。まわりの車が、びゅんびゅん、と彼らのうしろに遠ざかった。

「運転手さん、確かに急いでくれとはいったが、これは行き過ぎなんじゃないか?」

 ロボットタクシーの運転席に陣取るヒューマノイドに沢村は告げた。

「悪いけど、少しスピードを落してくれないかな」

 彼がそういったとたん、振り向きざまに、運転手の頭が爆発した。

 とっさに承子が張った防護壁(デフェンダ・ミューロ)が彼らの命を救った。ほとんど無条件とでもいえる反射作用だった。

 事故?

 やけに緩慢な意識作用で沢村は悟った。首から先のない運転手のその首のところで、七色の配線コードがゆらめいていた。

 少なくとも即死だけは免れたな、と沢村は思った。あとは、おれの機械感能力だけが、事態回避の可能性を持つ。

 ぐいと腹に力を入れると、沢村は右脳を震わせて、ロボットタクシーの共鳴振動数を探った。こいつは警視庁の交通管制コンピュータと接続されているはずだ。それを探れば……

 右脳が大量の血液を消費した。前頭葉の基底部にある超能力認識部位(サイ・エコーノ・パルト)が活性化される。沢村の頬が上気した。全身が感覚センサーとなる。だが――

「くそっ、何故働かない?」

 沢村は叫んだ。彼の脳内にある超能力意識野(サイ・コンショ・エジョ)の触子が作動しないのだ。

 能力の枯渇?

 沢村は恐れた。恐怖で顔面が引き攣った。超能力者なら誰もが恐れる突然の能力喪失が、よりにもよって、こんなときにはじまるとは!

 だが、それは杞憂だったようだ。すぐさま超能力触覚が彼の右脳を超えて、さまざまな振動数が溢れる機械の意識領域に侵入したからだ。沢村は気力の充実を感じた。

「く・そ……っ……

 そのことと呼応するかのように、彼が意識のうちで叫び終わったはずの言葉の断片が、いまやっと彼自身の耳に聞こえてきた。つまり、さっきの焦りから、大した時間は経っていないということだ。

 自信を回復した沢村は、数百、数千、数万という多種多様の機械意識振動数が蠢く海の中を泳ぎまわり、慎重にそれらを選り分けると、目標であるロボットタクシーの意識振動数――警視庁の交通管制コンピュータと接続されたもの――を探した。

 探した○探した○探した○そして→見つける○見つけた○見つけた○アクセスする

 それは彼の感覚では、くすんだヴァーム色の塊に見えた。ヴァーム色とは、超能力意識野でしか見ることのできない、第九番目の擬似光スペクトルことだ。沢村はその塊の中に入り込み、ロボットタクシーの制御系を捉えた。

 事態を回避するには二つの方法があった。ひとつは、このまま彼がロボットタクシーの制御系を操り、羽田まで車を走らすこと。もうひとつは、彼が中継点となり、ロボットタクシーの中枢と交通管制コンピュータを再接続することだった。

 結局、沢村は後者を選んだ。その方が楽だったからだ。この作業は人間の通常機能でいえば、心臓や肺を動かす自律神経の働きに似ていた。無意識の操作が可能だったのだ。

 沢村が作業を完了すると、タクシーが見る間にスピードを落した。通常速度――九十五キロ――で安定走行をはじめた。まわりを走る車もなんだかほっとしたように見える。

 警視庁交通安全課の交通管制コンピュータが、〈沢村の接続部を端子として〉、彼にアクセスしてきた。交通管制コンピュータには、もちろん超能力はないので、それは通常の無線による通信だった。

(危ナイトコロヲ、ゴ援助クダサッテ、アリガトウゴザイマス。アナタノ氏名ト超能力階級ヲオ伝エクダサイ)

 妙に機械機械した声でコンピュータが告げた。すると、沢村のその気持を察したかのように、交通管制コンピュータがつけ加えた。

(コノ方ガ、一般大衆ニ受ケガヨイモノデシテネ…… ナンデシタラれべるしふとシテ、人間ノ擬似音声ヲ発生サセマスガ)

(いや、それは結構です)

 沢村は答えた。

(私の名前は沢村博二。特A一級の自意識機械感能者です)

 彼は続けた。

(とりあえず、このまま高速のターミナルまで走ります。できれば、そこから乗る車を用意していただきたいのですが……)

(了解シマシタ。スグニ手配シマショウ。……トコロデ、サスガハ沢村サン、大シタオ手並デスナ)

(ぼくのことをご存知なんですか?)

(アナタノ論文ハイツモ読マセテイタダカセテイマスヨ。ぶらっく・はむト組マレテカラノ論文ハ特ニデス。実ハ、ぶっらく・はむハ私ノ古イ友人デシテ……)

 そのときになって、やっと、沢村の通常意識が承子の悲鳴と、自分が先に発した言葉の残りを捉えた。

 何……故……働……→らかない?」

 語尾は通常の認識スピードで聞こえた。

 承子をきつく抱き締めると沢村は伝えた。

「大丈夫だ、承。もう終わった」

 彼女が上目づかいで沢村を見た。

 恐れ●不安●恐れ●恐れ●そして→安堵

 彼女が沢村の腕の中で泣きはじめた。

「バカ! あたしを不安がらせないでよ。いつでも、自信たっぷりでいてよ。そうじゃないと、わたし、何を頼って、わたし、誰を頼って、わたし……」

 あとの言葉は嗚咽に飲み込まれた。

(――ドウモ、長々ト話シ込ンデシマッテ、済ミマセンデシタ。マタ、機会ガアリマシタラ、時間三量子(クロノトリオン)解析ノコトヲ、オ聞カセテクダサイ。デハ…… ア、ソウイエバ)

 まるで、重なり合わない波長で分光分析をしているようだな、と沢村は感じた。そして、それが決して比喩でないことを、彼は知っていた。

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