第四話 魔獣の棲む家
窓から差し込む光に目を細める。どうやら、毒の調合をしている間に朝になっていた様だ。しかし、カーテンを閉めていたのに光が差し込んで来るとは、間違い無く彼女がカーテンを開けたのだろう。
今まで暗い部屋の中作業していたせいか、未だ光に慣れない目を擦りながら、カーテンの方を見る。
「……次からは開ける時に一言言って下さいね」
「いや、声は掛けたんだよ?聞こえてなかったみたいだけど」
「本当です?まあ、調合も一段落ついた所ですし、そろそろ何か食べましょうか」
「やった!……でも、納豆とキャベツしか無いよね?」
彼女に言われて思い出したが、本当に冷蔵庫にはキャベツに納豆、そして豆腐しか入っていなかった。賞味期限にやや不安が残る調味料も一応残っていた為、味付けは何とかなりそうだが、それ以前の所で躓いている。
「……そういえば、錬金術の為に買った粉がありましたね。良かった、何とかなりそうです」
「……その粉は食べて良い奴だよね?」
「大丈夫大丈夫、私を信じて下さい」
「余計信じられなくなったかな……」
豆腐を潰し、千切りにしたキャベツと納豆、そして錬金術の為に買った粉と卵、薬草を全てボウルに入れて混ぜ合わせ、白だしで味を付ける。
熱したフライパンに油を引き、さっき作った生地を流し入れ、焼き目がつくまでしっかりと焼く。これで、チヂミ風の料理が完成だ。
量を見誤って二人分どころでは無くなったが、きっと彼女が食べてくれるだろう。
有り合わせの材料にしては、我ながらよく出来たものだ。皿に盛り、テーブルへと運ぶ。
「自炊するのは半年ぶりですが、味は保証します。さあ、どうぞ」
「大丈夫……だよね?途中入れてたのとか、毒だったりしない?」
「……一応毒の専門家ですよ、私は。そこまで初歩的なミスはしません」
「信じるよ?じゃあ……いただきます」
彼女は決意を固めたのか、少し険しい表情になりながらも、料理を頬張る。
その後は数秒固まった後、何か信じられない物を食べたかの様な表情になったが、皿に盛ったほぼ全てを食べるまで彼女は止まらなかった。
「美味しい……何で?一つ一つの要素は最悪な筈なのに、何故かめちゃくちゃ美味しい……美味しいのにわからなさすぎて怖い……でも美味しい……」
「何ですかそれ。そんな事……ありますね、これは。え、何でですか?」
「君が作ったんでしょ?!……やっぱり、幻覚を見せたりする毒とか入ってない?」
「そんな筈は無いんですが……何ででしょうね。不思議な事もあるものです」
本当に訳が分からないが、毒になる様な材料は入れていない以上、食材として謎の噛み合いを見せてしまっただけなのだろう。それはそれで怖いが、取り敢えず皿をシンクに置き、出掛ける準備を始める。
調合した毒を注射器に入れ、少しへこんだトランクに仕舞っていく。一通りの毒を用意した後、コートを羽織り、玄関へ向かう。
「……そろそろ行きましょうか。貴方も、来てくれます?」
「もちろん!じゃ、行こう!」
ゆっくりと扉を開け、外に出る。目指すのは、彼女のお陰で突き止めることが出来た誘拐犯の家だ。
情報屋の言っていた事が確かなら、家の中にはキマイラと呼ばれる魔獣がいる筈だ。気付かれずに本を回収出来れば良いのだが、そう簡単に事が運ぶ気はしない。
ともあれ、何が起こっても良い様に、心の準備だけは済ませておく。
「……じゃあ、開けますよ」
「うん。大丈夫、私に任せて。何が来ても燃やし尽くすから!」
「待って下さい、本を回収するって言いましたよね?うっかり本まで燃えたらどうするつもりなんですか」
「……だめ?」
「絶対に駄目です」
家へ入る前に事故を防げたのは幸いだった。彼女が火まで扱えるのは知らなかったが、少なくとも彼女が扱う火なら、家一つ燃やすぐらいは容易いだろう。
右手に注射器を持ったまま鍵を差し込み、回す。すると、前回と同じ様に、家を覆う結界が解かれた。
一度深呼吸をし、家の中に入る。ただ、そこで見た光景は予想していたよりも遥かに酷い有様だった。
室内は血の匂いに満ちており、棚は倒れ、辺りには様々な本が散乱している。そのうえ、壁には巨大な爪痕が残されていた。
あの誘拐犯は死んだ筈なのに、死臭のしない新しい血の匂いだけがするのは謎だが、人のものとは思えない足音がしている以上、考えている暇は無さそうだ。
「これは……残念ながら、魔獣は元気に起きていそうですね」
「……やっぱり燃やす?」
「それだけはやめて下さい。代わりに……はい、これを」
「注射器……あ、私に刺したあれ?使っていいの?」
「舐めないでください。貴方に刺したものよりも強力な––––」
私の声は、とても大きな咆哮によってかき消された。
音のせいで耳鳴りが酷いが、それでも微かに聞こえたこちらへ向かって来る足音から少しでも遠ざかる為、近くの部屋に逃げ込む。
入った部屋はこれまた酷い有様だったが、机や皿の残骸を見るに、恐らく元はリビングだったのだろう。
彼女とは一瞬ではぐれてしまったが、向こうは一人でも大丈夫だろう。それよりも、今は自身の心配をしなければ。
いつ魔獣が来ても良い様に、注射器を持ち直していると、二階の方から魔獣の唸り声が聞こえた。恐らく、彼女が戦っているのだろう。
私が行って力になれるかは分からないが、加勢へ行く為に階段を探す。しかし、入ってきた所とは別の扉を開けた私の目に映ったのは、全く予想していなかった生き物の死体だった。
「……は?キマイラの……死体?でも、彼女はまだ戦っている様だし……」
その死体はかなり小さいものの、ライオンの頭に山羊の胴体、そして尻尾は蛇になっている、伝承通りのキマイラだった。
まだ二階から音が聞こえる為、彼女が殺したものでは無さそうだ。それに、死体をよく見ると、噛まれた様な傷痕がある。
「もしかして、子供?だとしたら、少なくとももう一体は––––」
死体に気を取られていたせいで、反応が遅れる。
振り返った時にはもう、すぐ後ろにキマイラが迫っていた。
紙一重で噛みつきを避け、すれ違いざまに目玉へ注射器を刺す。すると、キマイラはこの世のものとは思えない叫び声を上げながら、怒ってこちらへ突進してくる。
「っ––––起動!」
後方へ吹き飛ばされながらも、注射器にあらかじめ仕込んだ魔術を起動し、キマイラへと毒を注入する。
キマイラはまたもや叫び声を上げながら倒れた私へ近付こうとするが、瞬時に毒が回り、一歩動いた後に床へと倒れた。
「よかった、殺せ……痛っ!……これ、間違い無く骨にひびが入ってますね……」
痛む肋骨をさすりながら、キマイラが死んだ事に安堵する。
しかし、キマイラを一匹殺して得た安全な状況も長くは続かない。二階から聞こえる音は徐々に激しさを増し、床が軋む音が聞こえたかと思えば、私の前へ彼女とキマイラが床と共に落ちて来た。
「びっくりした!床が抜ける事って本当にあるんだね!」
「こっちを見て喋っている場合ですか!良いから前を……あ」
キマイラは私を見るや否や、標的を変えこちらへ向かって来る。
私の前に倒れている死体でキマイラが減速したため、何とか横に飛び退き攻撃をかわす事ができた。ただ、無理に動いたせいで肋骨が更に痛み、次の攻撃を避けるのは絶望的だ。
口を開けたキマイラが迫り死を覚悟したその時、私の前に横から彼女が飛び込み、そのまま彼女の下半身はキマイラによって噛み砕かれる。
今までと変わらず、彼女から血は出ていない。そして恐らく、彼女の事なのですぐに再生するのだろう。それでも、私を庇って彼女が下半身を失ったという事実は、私にとってとても辛いものだった。
私が放心していると、肉が焦げる様な匂いと共にキマイラが苦しみ出し、その場に倒れた。その体は溶け、炭になり、炎と共に崩れ落ちていく。
「死んだ……の?」
「うん。というか、私が本気で燃やしたんだから、そりゃあ死ぬよ」
「その……ありがとうございます。貴方がそこまで身を挺して助けてくれるなんて、思っていませんでした」
「君のことは気に入ったって言ったでしょ?こんな所で死なれたら困るんだよね」
キマイラが崩れるにつれ彼女の体は徐々に戻り、私の前で堂々と、そして当然の事をしただけだと言わんばかりの、少し冷めた表情で立っている。
まさか、会ってからほとんど経っていない彼女に命を助けられるとは思っていなかった。
もう少しこうして生きている事実に浸っていたかったが、辺りが燃える音と熱で強制的に意識が現実へと戻される。
「やば、思いっきり燃えて……痛っ!」
「大丈夫?歩けそうに無いなら私が抱えるけど、どうする?」
「すみません、お願い––––いや、そうじゃなくて、本!」
「これだけ燃えてたら無理だと思うよ?ちょっと手荒くなるけど、我慢してね!」
「待って下さい、まだ……あ、抱えるにしてももっと他の––––」
何故かお姫様抱っこで抱えられ、燃える家から脱出する。
本を回収出来なかった為、仕事は失敗に終わったが、生きているだけ御の字だろう。彼女に抱き抱えられたまま、アパートへ帰る。
消防車のサイレンと彼女の声を聞きながら、私の意識は落ちていく。
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