第三話 備えあれば
日も傾いた頃、何の成果も得ることが出来なかった私達は、一度アパートの駐車場へバイクを停め、少し休憩していた。
「……流石に無謀でしたか。思っていたよりも強力な結界自体が少なかったですし」
「結界、結界……魔力の塊でもあるよね?」
「ええ、魔力で作っていますからね。だから、貴方にも見えるでしょう?」
魔力。マナや気と呼ばれる事もある、魔術師を魔術師たらしめる謎の物質。
それが何なのかは未だ解明されていないが、魔術師や神秘に深く関わった生物にとっては当たり前に存在している物であり、魔術という科学によって否定された出鱈目を出鱈目のまま実現させてしまうなにか。
「……もしかしたら、私の蝿で場所くらいなら探れるかも!」
「え?……そういうのはもっと早く言って下さいよ」
「今思いついたんだからしょうがないでしょ!……ねえ、そういえば、ラーメンってのを食べるって言ってたよね」
「今思い出します?……でも、言われたら食べたくなってきましたね」
修理に出したバイクを受け取りに行くまでの道中で、確かにそんな話をした気がする。
何せ、寒い中をバイクで走っては結界の張ってある家に鍵を差し、合わない事を確認してまたバイクで走り、という作業を何時間も繰り返していたのだ、流石に腹が減って仕方が無い。それに私は、昨日から何も食べていなかった。
夕食を取る為、朝通り掛かったラーメン店まで歩く事にする。
「うん、やっぱり良い匂い!早く食べよ、早く!」
「ええ。外は冷えますし、取り敢えず入りましょうか。何か食べたいものはありますか?」
「私は詳しくないし……せっかくだから君が選んでよ!」
「本当に食べ物が絡むと元気ですね……」
彼女が楽しんでいるのは何よりだが、こうしてはしゃいでいる姿はまだ幼い子供のようにも見える。
そんな彼女を少し微笑ましく思いながら、扉を開けて店内へ入る。
「あい、いらっしゃ……今日はちゃんと払えるんだろうな」
「やだなあ、ツケは払い終わったじゃ無いですか」
「うわあ……もしかして君って結構駄目人間だったり……する?」
「今まで目を輝かせていたくせに、何ですかその冷ややかな視線は」
まさか一日の間に二度もそんな目を向けられる事になるなんて、全くもって想像していなかった。というより、どこか店へ行くたびに私への信頼が減っている気もする。
カウンター席へ座り、この店の定番である醤油ラーメンを二人分注文し、彼女と雑談しながら、ラーメンが出て来るのを待つ。
「そして四大元素は––––あ、来ましたね。冷めないうちに頂きましょうか」
「美味しそー!食べていい?良いよね!」
「良いですよ。……うん、やっぱり美味しいですね」
とても美味しそうにラーメンを頬張る彼女を見ながら、私もラーメンをすする。
あっさりとした、それでいてコクのあるスープが疲れた体に染み渡る。
その後は特に話すこともなく、ラーメンをゆっくりと味わって食べ、会計を済ませて外に出る。
「美味しかった!また食べに来ようね!」
「気に入ったなら何よりです。それで、結界の場所を蝿で探ると言っていた件ですが……本当に出来ますか?」
「そうだったそうだった。うん、ラーメンの分くらいはやってみる!」
「……お願いします。今は、貴方だけが頼りですから」
既に日は沈み、辺りを街灯の光が照らす。
彼女は一度深く息を吸い込み、そして自らの人差し指を千切り、そのまま上に投げ捨てる。投げられた彼女の指は地面に落ちる前に数十匹の蠅となり、四方へ飛んで行く。
「結界……結構あるけど、特に強いのは––––あった。結構近いけど、どうする?」
「取り敢えず、様子だけは見てみましょう。そこまで行けますか?」
「分かった。ついてきて!」
暗闇の中走る彼女について行く。よく見れば彼女の人差し指は無くなったままで、血は出ていないものの痛々しい。
彼女に痛覚があるのかは分からないが、どちらにせよ頼りすぎない方が良い様な気がする。少し申し訳ない様な、何ともいえない感情を抱えたまま、気付けば彼女は立ち止まっていた。
「着いたよ。ここだけど……」
「まあ、試すだけ試してみましょうか。鍵、鍵––––あ、こっちじゃ無い」
「大丈夫?しっかりしてよ」
間違えて出した自分の家の鍵をポケットに仕舞い、誘拐犯の死体から盗んだ鍵を取り出す。
見た目はただの古い一軒家だが、壁に赤い膜の様な結界が張ってある為、魔術師の家である事に間違いは無いだろう。
改めて鍵を鍵穴に差し込み、回す。すると、小気味良い音が鳴り、扉が開くと共に周りの結界が解かれて中に入れる様になる。
「開いた……まさか、本当に当たるとは思っていませんでした」
「どうする?今すぐ突入する?私はどっちでもいいよ!」
「……いえ、場所がわかっただけで良しとしましょうか。そもそも、私は丸腰ですしね。このまま行くのは流石に無謀でしょう」
「おっけー!じゃ、帰ろ!」
家の鍵を閉めると、仕組みは分からないが結界も元と同じく壁に張り直された。
何はともあれ、結界があるのなら中にいるであろう魔獣が出て来る事は無いだろう。場所が分かったなら焦る必要はない。踵を返し、アパートへ戻る。
改めて見ると、既に彼女の人差し指は治っている。悪魔とはいえ、自ら体の部位を切り離し、再生するのを繰り返して問題はないのだろうか。彼女の謎は深まるばかりだ。
「……やっぱり、帰る前に食材の買い出しへ行っても良いですか。貴女のおかげでキッチンも使える様になりましたし、久し振りに自炊でもしてみたくなりました」
「良いけど……え、料理できるの?というか、買うためのお金なんて持ってたの?」
「私のことを流石に舐めすぎでは?料理なんて寧ろ得意な方ですよ。お金は……まだ前金が残ってますし、そのくらいはできます」
まあ、限界まで切り詰めた上で食費は、なのだが。家賃を始めとしたその他の払わなければいけない金に、そもそも彼女の分の食費まで考えると全くもってどうしようも無い。
とにかく、閉まってしまう前にスーパーへと急ぐ。
「ここがスーパー?何というか……怪しい人、多くない?」
「魔術師だって食べないと死ぬんですよ?少しくらい大目に見てやって下さい」
「そういうものかな……ほら、あの人とかやばい目をしてない?」
「……人を見た目で判断したら駄目ですよ。魔術師なんて、真っ当な人間から先に目が死んでいくものですから」
改めて思い返すと、今までまともそうな魔術師が本当にまともだった事は無い気がする。あの情報屋を始めとして、あまり好きでは無かった私の父親も、中身に反して外面だけは良かった。私も人の事は言えないのだが。
死んだ目をした青年を横目に、野菜が置いてある棚へ急ぐ。
「キャベツ……安いですね。買えるだけ買いましょう。豆腐も特売……よし」
「買えるだけって……大丈夫?このままだと、毎日同じ食材だけにならない?」
「安心して下さい、飽きさせませんから。あ、向こうの方にあるかご、取って来てくれますか?」
「本当に大丈夫かな……まあ、期待しとくけど!」
かごに入るだけのキャベツと豆腐、それに納豆を詰め込み、会計を済ませて外に出る。その後は、特に何事も無くアパートへと帰った。
問題があったとすれば、レジで貰った袋が二つでは足りずに、入りきらなかった分のキャベツを彼女が抱える羽目になった位だろうか。
「いやあ、沢山買えましたね。明日の朝、楽しみにして下さいよ」
「……あのさあ」
「どうかしましたか?納豆なら好きに食べて良いですからね」
「そうじゃなくて……なんで、私がキャベツを抱えて歩かないといけなかったのかな。もう一つ袋を貰うとかさ……やり方はあったよね」
「……見てる分には面白かったです」
静かに怒る彼女をなんとか言いくるめながら、錬金器具の置いてある机に様々な薬品を並べていく。彼女によって片付けられたこの部屋だが、薬品などは同じ所にまとめられていた為、元よりも断然やりやすくなっていた。
私一人ではこの状態を維持するのは不可能なので、この暮らしやすさを知ってしまった以上、彼女がいなくなるとかなり困る。
「私は明日の為に新しい毒を調合しますが、貴方はどうします?先に寝ていても良いですよ。というより、昨日の分までちゃんと休んで下さい」
「あ、そういえば言って無かったっけ?私、睡眠とかいらないんだよね。お腹も空かないし。てことで、君が毒を作るのを見とくよ!」
「……待って下さい。要らないというのは食事もですか」
「……美味しいものは生きる上で大事だから。必要必要!」
彼女の待遇について少し悩みながらも、様々な薬品や植物、鉱物を使い、新しい毒を調合していく。
今にして思えば、あれ程危険な物が散らかった部屋で錬金なんて、正気の沙汰では無かった。この部屋の状態を維持して貰えるのなら、一人分食費が増えるぐらい安いものだ。
そうして調合に没頭していると、気が付いた頃には夜が明けていた。
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