第二話 結界探索
窓から差し込んだ暖かな日差しと、何かが崩れたような大きな物音で目が覚める。
最早、昨日のことは全て夢だったのではと思える程に爽やかな朝だが、ふと目に入った部屋の様子は、そんな考えを消し去るには十分なほどに様変わりしていた。
そう、驚くほど部屋が綺麗だ。ゴミが落ちていないのは勿論、その辺りに置いてあった本も綺麗に本棚へ仕舞われている。
私の部屋はただ一箇所、恐らくは音の原因である倒れた棚とその周辺を除いて、昨日とは比べ物にならない程片付いていた。
「えっと……その、大丈夫です?」
「いやー、棚に挟まっているのを取ろうとしたら、まさか棚ごと倒れてくるとは思わないよね!あ、おはよう!」
「……おはようございます。あと、片付けてくれてありがとうございます」
「別に、自分で住む場所を整えるくらいは普通じゃない?というわけで、今日からここに住むことにしたから、よろしくね!」
起きてすぐにもかかわらず情報が多い。部屋が綺麗な時点で私にとっては一大事だというのに、一晩経っても彼女は普通に私の部屋に居て、しかもここに住むなんて言い出している。
ただ、部屋を片付けたのは彼女だし、そもそも私が戦って勝てない以上は無理に追い出す理由も方法もない。
「……まあ、私に危害を加えないなら好きにして下さい」
「じゃあ好きにするね!ところで、朝食はどうする?私、料理は出来ないよ?」
「貴方って食事は要るんですね。キッチンも片付いている事ですし、何か作りま––––あ」
「あれ、何かあった?」
寧ろ、何もなかった。確かにここ最近の食事はもっぱらコンビニ弁当か外食で、そもそも今までキッチンが物で埋まっていた時点で分かりきっている。
冷蔵庫に、食材がない。あるのは賞味期限がギリギリの納豆だけだった。
「……納豆、食べます?」
「なっとう?」
「納豆。ええと……発酵した豆です。美味しいですよ?」
「豆……食べて良いなら食べるね!」
そう言った次の瞬間には、彼女は私の持っている納豆のパックを奪い、何故だか慣れた手つきでパックを開け、納豆のタレとからしをかけている。
「あ、お箸ってあるかな?」
「……待って下さい。何でそんなに慣れているんです?ついさっきは納豆が何かも分かっていなかったですよね。何か、私に隠してますか?」
「別に、隠しているつもりは無いんだけどな。せっかくだから、君には話しておくね。ところで、お箸はまだ?」
「どれだけ納豆を食べたいんですか……箸くらいは好きに使って良いですよ」
キッチンの戸棚から箸を取り出し、彼女に渡す。彼女は箸を受け取るとすぐに、これまた慣れた手つきで納豆をかき混ぜ、一通り食べ終わると、とても満足そうな笑みを浮かべ、そして話し始める。
「そもそも、悪魔や神ってのはそのまま人の世に現れることがないんだよね。君も魔術師なら、何となく知ってるとは思うけど」
「ええ。とはいえ、魔術師はそうしたものが好きな生き物ですからね。今まで様々な形で特例を作って来ました。貴方もその内の一つじゃないんですか?」
「……話そうとしてたことほぼほぼ言われちゃった……そのとおりです……」
「……ご、ごめんなさい?」
箸と空になった納豆のパックを手にしながら、見るからに悲しそうな顔で見つめられると、本当に悪いことをしてしまった気がする。
しかし、魔術師なら誰もが知っている様な話だったので仕方がないとは思う。
魔術師は、昔から神や悪魔に憧れる生き物だ。
自ら神や悪魔になろうとする者に、何とかして力の一端を扱おうとする者。元を辿れば、多くの魔術は宗教などが基盤になっている為、魔術師として一つのゴールに神や悪魔を設定するのは当然の帰結なのかも知れない。
「まあ、気を取り直して残りの話をするけど……うん。実は私、人間なんだ!」
「は?いや、会った時は意気揚々と悪魔って言っていましたよね?それに、あの再生能力はどう説明するんですか。魔術師でもあんな芸当できませんよ」
「それが当然の反応だと思うけど、今はちょっと黙って聴いてて。人間ってのはあくまでも私の体の話で、中身はベルゼブブだよ……多分ね」
多分なんて言われると急に不安になるのだが、私は黙れと言われた上に、彼女自身は実に真剣な表情で、とても口を出せる雰囲気ではない。
「私はどうも、人に降ろされた悪魔らしいんだよね。私がベルゼブブになる前のことは分からないけど、この性格とかはその子が元になってるみたい」
「降ろす……降霊魔術の亜種みたいなものでしょうか?それにしても、そんな凄い事ができる魔術師がいたんですね」
「ごめん、その魔術師の人は殺しちゃった。何というか……鼻につく?人だったから。この体の子、結構ひどい目に遭ってたみたいだし」
「……そんな気はしていたので良いですよ。それに、魔術師は人として駄目な場合がほとんどですから」
正直なところ、彼女の話に驚きはなかった。
魔術師が悪魔を呼ぶ理由なんてものは分かりきっている。富と力を得るためだ。そして、その為ならどんな事だってする人でなしが多い。
それに、魔術師は基本的に高圧的なため、基本的に彼女とそりが合いそうにないことは、まだ会ってからほとんど経っていない私にも分かる。
「ちょっと話を戻すけど、本当に自分の事が分からないんだよね。体に関しても、蠅で体を作ったりは出来たけど、私の体には何か核みたいなのがあって……」
「核……単純に心臓などでは無く?」
「んー……違うとは思うけど、何というか、言葉にしづらい物質だったんだよね。悪魔としての知識も少し持ってるけど、よく分からないものだったから……」
彼女が言語化出来ない物質というのは大変興味をそそられるが、そろそろ私は現実を見ないといけない。仕事を終わらせる事こそ、今の私にとっては最優先だ。
今回は主に彼女のせいで全てのプランが崩れたが、だからと言って納期である一週間を越えてしまえば、何かと理由をつけられ報酬の額を減らされる事になるだろう。
「まあ、分からないことを今考えてもしょうがないですよ。それより、貴方はこれからどうするんです?私は自分の仕事を終わらせますが……」
「私は特に予定もないから……せっかくだし君について行きたいけど、どう?」
「良いんですか?人手が増える分にはこちらとしては大助かりです。是非お願いします」
彼女がついて来てくれるとは思っていなかったが、彼女の強さは折り紙付きで、そして何より、彼女が居てくれるだけで私も多少気が楽になる。
「そうと決まれば早速行こう!……で、何するの?」
「そこからですか……取り敢えずは外に出て、歩きながら話しましょう」
「了解!」
何やら彼女のテンションが異様に高いが、寧ろこのくらいが素なのかも知れない。
玄関まで歩き、靴を履く。そういえば、彼女は靴をどうしているのだろうか。私が靴を履き、顔を上げた頃には既に扉の前で立っていたが、玄関に彼女の靴が置いてあった形跡はない。
彼女と戦った時も自分の腕をパーカーごと千切っていたのに、再生した時には服も元に戻っていた為、やはり衣服も自身の力で作っているのだろうか。考えても答えが出そうに無いが、だからと言って本人に訊くのも何だか抵抗がある。
湧いて出た疑問を一旦放置しながら、アパートを出る。その後は特に何事もなく、彼女へ今回の仕事について説明しながら、大通りを歩いて行く。
「……今回、何を探しているのかわかりました?」
「うん。魔獣の育て方が載っている本を探していて、その魔獣を育てている人を私が殺したから、手掛かりが鍵しかない……なんかごめんね?」
「貴方が謝る事ではありませんが、少なくともこれからは出来る限り殺しは避けて下さいね。情報源が減りますから」
ここまで話して来て思ったが、彼女は私よりも余程人間らしい。
それが彼女自身のものなのか、あるいは体となった少女の影響なのかは分からないが、何にせよ魔術師としての倫理観で育ってきた私よりは、人としてましだろう。
「そういえば、今はどこに向かってるんだっけ?私はただついて行くだけだけど!」
「そこの説明はまだでしたね。今は、修理に出したバイクを取りに行くところです。広い町ではないですが、流石に移動手段は必要でしょう?」
「バイク……?聞いたことあるような……何だっけ」
「納豆はスムーズに食べる癖してバイクは知らないんですね。現代の乗り物ですよ。ほら、あそこで走っているあれです」
公道を走るバイクを指差しながら、何とか彼女に説明する。
彼女に悪気は全く無いのだろうが、本当に何も知らないらしく、こうして歩いているだけで質問攻めに遭ってしまう。
私も人に説明するのは不慣れだが拒否する訳にもいかず、かれこれ十分ほど頭を抱えっぱなしだ。
「現代にはそんな乗り物もあるんだね!あ、この匂いは?」
「匂い?ああ、ラーメン屋があるから……ラーメン、知ってます?」
「ううん、知らない。本当に色々なものがあるんだね、この時代って!」
「話していたら食べたくなって来ましたね。帰り、寄ってみましょうか」
それにしても、食べ物の話になった途端に目を輝かせるのは些か食い意地が張りすぎてはいないだろうか。
その後も彼女の質問攻めに遭いながら、特に何事もなく目的の整備屋へと辿り着いた。
「着きましたよ。中はかなり狭いですが、良い整備屋です。店主は良くも悪くもバイクにしか興味が無いので、貴方の事を詮索される恐れも無いですし」
「凄い!こんなに沢山種類があるものなんだね、バイクって!」
「気に入ったなら何よりです。詳しい話は店主に聞いて下さい。バイクの話なら、喜んで何時間でも話し始めますからね、あの人」
所狭しとバイクや工具が並んだ店内だが、店主の姿は無い。おそらく店の奥にいるのだろうが、呼びに行くのも面倒だ。出て来るのを少し待つ事にする。
興奮気味に店の中を見渡している彼女を横目に、どうやって支払いを待ってもらうか考えていると、また質問が飛んできた。
「……これはなんてバイクなの?他のとは少し違うけど」
「なんだ、隣の奴と違って見込みがあるじゃないか、嬢ちゃん」
「すっと会話に入って来た挙句、流れるように私のことを下げないでくださいよ」
「うるせぇ、何やったらあんな壊れ方するんだよ。そして文句は金払ってから言いやがれ」
気がついた時には私の隣に立っていた柄も口も悪い彼が、つい先程まで奥にいたであろう、この店の店主だ。
私に対して常に攻撃的だが、とても腕の立つ整備士である上に、いつも支払いを待ってもらっている以上は強く出られない。
「この人がここの店主さん?何というか……強そうな人だね!」
「強そう、ではなく実際に強いですよ。それで、修理は出来ましたか?」
「そりゃ当然。何をしたかは知らないが、次からはもっと丁寧に扱え。何せ、あちこちイカレてて部品代だけでも馬鹿にならない。今回はちゃんと払えるんだろうな?」
「……二週間。二週間待ってくれませんか。必ず払いますから」
こうして頭を下げるのも何回目になるのだろうか。
生まれて初めて哀れな生き物を見たかの様な、彼女の視線がとても痛い。
しかし、次の収入までは最低でも一週間は待たないといけない以上、今の私には頭を下げ、情けをかけて貰える様願うしかない。
「……それ以上は待たないからな。あと、前貸した分も忘れんなよ」
「はい、いやもう本当にありがとうございます。前の分も必ず払いますから」
「情けな……てか、払えないのに修理へ出してたの?」
「うるさいですよ。そういうのは自分で稼いでから言って下さい」
ひとまずは、今回も待ってもらえる様で安心だ。今回の仕事を失敗出来ない理由が また一つ増えたが、今締め上げられないのなら些細なことだろう。
「あ、二人分のヘルメット、出来る限り安いもので何かありますか?二週間後には必ず払いますから」
「お前の面の皮はどうなってんだ……てか、二人乗りでもする気か?そのバイク、二人乗り用のカスタムはしてないぞ」
「大丈夫ですよ、何かあっても彼女は死なないでしょうし、それに、この町の警察は外に出ようとしない限り、何やってても放置ですからね」
「どうなっても知らねえぞ……金は必ず払えよ」
私に向かって少しの殺意と共に投げられたヘルメットを取り、片方を彼女に渡しながら、店の横に建っている彼の工房へと移動する。
工房に置いてある私の黒いバイクは、預けた時とは比べものにならない程綺麗になっており、言われなければ新品の様にさえ見える。
「凄い!かっこいい!……え、君に乗れる?大丈夫?」
「何でこの店に来てから私への当たりが強いんですか。大丈夫ですよ……多分」
「お前が多分なんて言ってるからだよ。ほら、さっさと行って稼いで来い」
「言われなくても行きますよ。ありがとうございました」
一週間ぶりにバイクへキーを差し込み、エンジンを掛ける。
思っていたよりも後ろは座りにくそうなので、この仕事が終わり次第また彼へ頼る事になりそうだ。
「座れそうですか?……まあ、大丈夫そうですね。じゃあ私の腰に腕を……うん、いけますね」
「本当に大丈夫だよね……?私だって無駄死には嫌なんだけど」
「ヘルメットも付けていますし、貴方なら問題ないですよ。私を信じて下さい」
「君のせいで死ぬのは本当に嫌なんだけど!」
文句を言っている彼女を無視しながらアクセルを回し、走り始める。
後ろに誰かを乗せるのは初めてだったが、意外と何とかなりそうだ。出来る限り速度を抑えながら、街の外れへと向かう。
「走ってる走ってる!何だ、ちゃんと乗れるんじゃん!」
「だから大丈夫って……あ、こら、そんなに動かないで下さい!事故で死ぬのは私なんですよ!」
「ごめんごめん!それで、今度はどこに?」
「街外れに向かいます。魔獣を飼っているなら街中ではないと踏んでの……まあ、賭けですね。貴方も結界が張ってある家を見つけたら、教えて下さいね」
結界自体はこの町においてそれ程珍しい物ではないが、山奥でも無い限り、魔獣を飼うためには音を漏らさない為のそれなりに高度な結界が必要になるだろう。そうした結界だけに絞れば、何とか探す時間を短縮出来ないだろうか。
誘拐犯が魔獣を飼っているという情報以外を伝えなかった、あの情報屋を控えめに言って海に沈めたい。
ただ、結界以外の手段で防音がされていたら詰むので、そうで無い事を祈るばかりだ。
そして、日が傾くまで私達は捜索を続けたが、特に成果も無く終わってしまった。
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